主権妻権

さわりの紹介

 そこで私は前の日に打ち合せて置いて神鞭さんを調布に訪れることになった。一番余計お世話になるこの先輩には確定次第報告する積りだったが、日頃のご贔屓に甘えて依頼の筋も入って来たのである。同課のものが一番多く群生しているのは調布の田園都市だから、ここへは度々足が向く。神鞭さんを初め原君と浅倉君が居を構えている上に、吉田君が目下新築中である。他の課の連中の顔も時折この方面に認める。建築費の三分のニまでは会社の金を低利で借りられるから、同僚は独身ものでない限り、大抵自分の住宅を持っている。これも社長の家族的方針の一発露で、我が社の特に誇りとするところである。その代わり皆三千四千という纏まった借金を背負ってウンウン唸っている。余所の会社に好い口があっても、おいそれと転任は出来ない。
 目黒から調布までの間、私は電車の中で住宅のことを考えた。去年あたりまでは来る度毎にこの沿道の発達が目についても一向驚かなかった。何の酔狂で皆畑の中へ家を建てるのだろうかと怪しんでいたが、今はそれが、自分の身の上になりかけている。一緒に建てようと既に新井君とも約束してある。地面を探すとなれば、もう市内では手に入らない。尤も新井君は裕福だから何う都合をつけるかも知れないが、私は犠牲をしてまでも共通の行動は取れない。地面が恰好で成るべく東京へ近いところとなると、結論は矢張りこの辺へ辿りつく。私は平常無関心で見て通る住宅地に特別の興味を催しながら、三四千円の借金を背負う決心の臍を固めて下車した。
 「沢山家が出来ましたね」
 と私は間もなく神鞭さんの書斎へ通って、窓から見晴らしながら言った。停車場からの途すがらも家と地面のことに屈託していたのである。
 「出来たろう。しかし悉皆建ち並ぶまでには未だ間があるよ。さあ、坐りたまえ」
 と神鞭さんは自ら椅子の上に胡座をかいて模範を示した。
 「今度は悉皆御無沙汰してしまいました」
 「久しぶりだね。ゆっくり話して行き給え」
 「今日は御報告かたがた心得を伺いに上がったんです」
 と私も椅子に寛いだ。
 「覚えていたね。心得は兎に角お芽出度う」
 「有難うございます」
 「新井君の奥さんの親戚だってね?」
 「いいえ、違います」
 「然うかね。専らそんな評判だったが」
 と神鞭さんは誰しも見当をつけそうなところを伝えた。
 「叔父の同僚の娘です」
 と私は無意識的の見合から成立までの出来事を先方が頻りに呉れたがったり来たがったりするように潤色して物語った。仲人役を頼むには予備知識を注入する必要がある。

作品紹介

 「主権妻権」は、大正14年10月号〜15年9月号にかけての1年間「婦人倶楽部」に連載された長編小説です。

 佐々木邦は、明治末期の「いたずら小僧日記」から昭和30年代の「赤ちゃん」に至るまでの延べ50年間もの作家生活を送りましたが、一番作家として充実していたのは、大正後期から昭和10年に至る人気作家時代でした。ことに、大正期の作品は、時代が「大正デモクラシー」の比較的開明な時代であったこともあり、その影響を受けて、市民的良識に裏づけされた新しいユーモア小説を開拓していったのでした。「主権妻権」はまさに、大正末期の開明的雰囲気を如実に掴んだ佳作です。

 主人公は服部久男。彼が「私」という一人称で語った作品です。久男は、京都の大学を卒業した後、東京の会社に就職して4年経ち、既に30歳。そろそろ結婚して所帯を持とうと思っています。久男は就職以来、叔父夫婦の家に下宿していますが、この叔父さんは哲学者で世間世事には疎く、一方あまり年の離れていない叔母さんとは、まるで兄弟のような間柄です。

 久男は、美人国宝論という考え方を持っており、綺麗な女性には殊に関心が深いです。会社の同僚で仲の好い新井君の奥さんはその典型で、自然とその家庭を訪ねることが増えます。新井君夫妻はアメリカ帰りで、お互いを名前で呼び合うなど、夫婦の仲も一々向こう式です。また、新井君の屈託はいつも奥さんが関係します。

 叔父夫婦は、叔父の大学の同僚・岸本さんの令嬢順子さんと、芝居見物をかこつけてお見合をさせます。準国宝級の順子さんに彼は一度で気に入ります。お見合と気付かない久男は、放言をはいてしまい、大いに心配になりますが、それは杞憂。目出度く婚約の運びとなります。この婚約物語が小説の縦糸ですが、久男の会社の人々や叔父夫妻の夫婦関係が横糸になっています。これらの夫婦の主権(主人の権力)と妻権(妻の権力)のせめぎあいは、どの家庭でもどちらが強いともいえない微妙な様相を呈しています。

 会社の外国課の次席・神鞭さんは、奥さんを牝鳥と呼び、その操縦法を久男に教えようとするほどですが、実際は奥さんが幅を利かせています。酒好きの原君のところも、家では奥さんに頭が上がらないようです。主人公の久男も最後に、順子さんに天下を取られそうな気がすると言っています。

 佐々木邦の描く夫婦は、お互いにせめぎあい、状況で強弱が変化しますが、基本的には対等です。どの家庭でも夫人を大事にし、夫婦の信頼関係を基盤として、遠慮なくやりあっているというところでしょう。その自由さが、実際はそこまで開明ではなかったが、時代の変化について行きたかった婦人達に支持されたと思います。

 また、本編のもう一つの特徴は、大正末期のサラリーマンの状況を期せずしてよく描いているところがあります。久男は、新家庭のために、彼は田園調布に土地を買い、家を建てようとします。田園調布は、当時開発中の郊外住宅地でしたが、その購入主たちは東京で働くサラリーマンだったということがよく分ります。また、田園調布の家は、当時流行の洋館風の文化住宅であったことも知れます。また、叔母さんが着物を買うために、高島屋、三越、松屋、白木屋とまわり、最後に高島屋で購入するという件を見ると、このころ、百貨店で買いものをするという習慣が当たり前になった、ということがよく分ります。

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