負けない男

さわりの紹介

 堀尾君は夕刻、九段上の松葉館へ出頭した。師弟四年ぶりの対面だった。安藤先生は久闊を叙して卒業を祝した後、
 「どうだね?会社の方は」
 と直ぐに聞いた。
 「いけません」
 と堀尾君は頭を掻いた、先生生徒の関係は高等学校時代そのままに。
 「面白くないかね?」
 「もうやめたんです」
 「馬鹿に早いんだね」
 と安藤さんは驚いて、
 「いつ?」
 「一昨日です」
 「ふうむ。衝突かい?」
 「はあ。しかしそれが正々堂々の陣じゃないんです」
 「それじゃ。やめさせられたんだね?やめたというよりは」
 「はあ。暗殺されたようなものです」
 と堀尾君は早速物語りにかかった。先生は傾聴した後、
 「それは当たり前だよ。馬鹿だなあ。同輩なら兎に角、社長と人事課長じゃないか?ノメノメ出て行く奴があるものかい?」
 と真剣になった。
 「つい油断しました」
 「相手に取って不足はない。しかしそれだけ痛快にやった以上、覚悟をしないって法はないよ」
 「したんですけど、つい・・・・・」
 「悉皆(すっかり)打ち壊してしまったね。課長を玄関へ送り出したところまでは徹頭徹尾君の方が勝っていたのに」
 「はあ」
 「未練が出たんだね」
 「ついよかろうと思ったんです。先方の策に引っかかったんですよ」
 と堀尾君は又頭を掻いた。
 「惜しいことをしたね」
 「考えて見ると忌々しいです。このくらいなら、あの時根本的にやってしまうんでした」
 「今更仕方が無い」
 「はあ」
 「未だ未だ若い。喧嘩一つ器用に出来ないんだもの」
 と安藤先生は名人をもって自ら任じている人だ。
 「青いって言いましたよ。奴が」
 「先方じゃ乗りこんだ時、もう方針が定めてあったんだよ」
 「悉皆愚弄されたしまいました」
 と堀尾君は腕組みをして考え込んだ。何とかして鬱憤を晴らしたいと思っているのだが、もう縁が切れているから仕方がない。

薀蓄

 本作品は、先に紹介した「次男坊」の続編。「次男坊」は、東海道の街道筋の○○町に近い馬橋村の、村一番の豪農である堀尾家の次男坊に生まれた正晴君の、出生から大学卒業までのエピソードを綴った小説であるが、本篇「負けない男」は、堀尾君の大学卒業から、就職、結婚へ至るエピソードを綴った小説である。「次男坊」は「面白倶楽部」の昭和2年の1月号から12月号に連載されたが、「負けない男」は続けて連載されたわけではなく、昭和5年に「講談倶楽部」に連載された(1月号〜12月号)。

 そのため、作者は、独立した作品として読めるように配慮しているが、一方において、前作との関係を明らかにするために、最初に「堀尾の小旦那」という章をたてている。登場人物は、当然ながら「次男坊」とオーバーラップしている。
 幼馴染の悌四郎君、岡村先生、中学校時代の校長であり現在は○○高等学校教授の安藤先生、大学時代の友人の奥田君とその妹で堀尾君の彼女道子さんなど。そして、大学時代の同級生で、堀尾君の家主になり、結婚式の仲人を勤める間瀬君。最初の就職先の○○紡績会社の人事課長鳧三平、その他が新たな登場人物として現れる。

 大学を卒業すると、同級生はみな散り散りになる。多くは就職するが、奥田君のように故郷に戻って親の跡を継ぐ人や、間瀬君の様に婿養子に入って妻の家の家作の世話をするものもいる。堀尾君は就職先がきまらない。堀尾君は大地主の次男坊で、大学を卒業すると財産10万円を分与して貰うことになっている。安藤先生は財産を貰うと慢心してしまってだめになると云う意見。一方、奥田君は、「君が勤まらないのは恒産があるからじゃあない。君はあってもなくても勤まらない。君のことだから10万円がいつまでも10万円では無い。だんだんと減って、その内理想通りになる」と言って、貰うことを勧める。そんなこんなで財産は分与される。一方、就職は、大学時代の恩師西本教授の世話で半年送れで○○紡績会社に就職する。家も間瀬君の家作に決まる。新しい家の裏には、高等商業を卒業して三井物産に勤めている悌四郎君が住んでいる。新しい家には飼い犬のアレキサンダーがいる。ところが散歩に来るブルドックが、庭に入りこみアレキサンダーをいじめる。堀尾君は、散歩に連れて来る書生と喧嘩をし、書生の寄宿先の主人である○○紡績会社の社長を馬鹿呼ばわりする。これで、紡績会社を首になり、安藤先生の紹介で新聞社に勤める。この間、ずっと道子さんとの関係が緊密になり、目出度く結婚式を迎える。以上が梗概。
 上記のさわりは、紡績会社を首になったときの安藤先生への報告の場面。

 時代は大正中期頃だと思います。話の主体には堀尾君と道子さんとの恋愛があります。この当時、男女間の恋愛は、大学生だからこそ成立した部分があり、当時にしてみれば非常にモダンな感じが致します。発表は、「大学は出たけれども」の就職難の時代。15年戦争が始まるころです。当時の時代背景そのままの中で描くのではなく、一寸前の大正デモクラシーの時代を描いたことにより(だからといって、政治的な話は全く出てこないのですが)、ゆったりとした作品になっています。
 

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