喧嘩三代記

さわりの紹介

「態々門のところまで来て叫んだんだから、罵詈讒謗に相違ない」
 と老人はカンカンに憤っていた。犬の喧嘩が因で、筋向いの大高家の書生と運転手が諢うのである。それには立石家の書生達もそれだけのことをしているのだ。決して、負けていない。
 それから二三日たって、森下君と山辺君は学校の帰りに大高家の書生と行きあった。
「オワイ屋!」
 と森下君が呼んだ。大高家の主人は肥料会社の重役だ。それを香わせて、オワイ屋と綽名をつけて置く。書生は二人に一人では敵わないと思って、黙って通り過ぎたが、間に安全の距離の生じるのをまって、
「オンキーマン」
 と呼び返した。
「何だ?オワイ屋!」
「オンキーマン」
「オワイ屋!」
「オンキーマンのコクゾウ!」
「オワイ屋あああ!」
「オンキイマアアン!コクゾウウウ!
 山辺君が追う真似をしたら、書生は逃げる真似をした。馬鹿にしている。シェッパードを連れていないから、絶好のチャンスだけれど、野郎、もう交番の近くへ辿り着いた。白昼街頭で怒鳴り合うのは紳士的でないことを何方も承知しているから、それだけで事が済んだ。
「マンキーマンと言ったんじゃないか?」
 と山辺君が首を傾げた。
「さあ。そうか知ら?」
「マンキーマンなら猿人だ」
「しかしそんな英語があるかい?」
「あるだろう」
「怪しい先生だ」
「マンキーマンのコクゾウか?コクゾウってのは何だろう」
「書生のことかな?兎に角、マンキーマンとは失敬千万だ。これは黙っていられない」
「オンキーマンだったろう。僕には矢っ張りそう聞えた」
「先入主になっているからだよ。マンキーマンさ。類人猿のことだろう。そういえば先生は少し似ている」
「悪いことを言うな」
「ハッハハハ」
 オンキーマンかマンキーマンか、コクゾウ諸共、差当り疑問になった。何方にしても、意味が分らない。兎に角、大高家の書生と運転手は此方の顔を見ると、そう叫ぶ。立石家でも負けていない。二人の書生は大高家の門に向って、
「ラ、ラ、オワイ屋!、ラ、ラ、オワイ屋!、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、・・・・」
 と合唱することがあった。
 或朝、魚屋の小僧が荷を担ぎ込んで、お喋り序に、
「奥さん、お宅の御隠居様は恩給取でいらっしゃいますか?」
 と訊いた。
「ええ、恩給を戴きますのよ」
 と蔦子夫人が答えた。
「好い恰幅ですが、陸軍大佐ぐらいですか?」
「裁判官よ、昔は」
「豪いんですね、矢っ張り。恩給はお幾ら戴きますか?」
「そんなことまで訊くものじゃありません」
「でも、あすこの佐久間さんと何方かと思うんです。佐久間さんは陸軍大佐で金鵄勲章とも二百円と少しですって」
「妙なことを穿鑿して歩くのね」
「お幾らぐらいでしょう?教えて下さい」
 と小僧さん、頻りに聞きたがる。
「まあ!私、存じませんが、矢っ張り陸軍大佐ぐらいのところでしょう、屹度」
「毎日遊んでいて恩給米ニ百円とは大したものですな。僕なんかは日曜も休まないで働いて、月給十円ですよ。尤も、口は食わせて貰いますけど」
「勉強して早く店を持てば宜いでしょう」
「その積りですけど、魚屋じゃ唯取れません。天秤棒を担いで、一生ウンウン言うんですから辛いと思います」
「商売となると何でも楽じゃありませんわ」
「しかし恩給米をニ百円も貰って、穀象を二疋も飼って置くようなら、人生、確かに立派な成功者といって宜いでしょう」
「オホホホホホホ、面白いことを言う人ね」
 と蔦子夫人は偶然オンキーマンのコクゾウの手掛りがついた。

作品の楽しみ

 「喧嘩三代記」は、昭和14年2月号から15年3月号まで「ユーモアクラブ」に連載された作品です。「ユーモアクラブ」は、昭和12年10月に発刊され、佐々木邦は、この雑誌の主宰者として、多くの作品を発表しました。佐々木邦は昭和一桁の講談社文化の担い手の一人として活躍したわけですが、昭和10年代は、「ユーモアクラブ」が彼の主たる活躍の場となりました。

 ストーリーはあって無きの如し。立石家のお祖父さんは、官吏の中でも一生涯保険付きの裁判官を勤めながら、上役と組討したために、停年まで持たなかった人です。その息子のお父さん、忠太さんも、官僚として地方を転々としていますが、行く先々で喧嘩をして、遂には、長男の鋭太郎君が中三、弟の敏次薫が中一の夏休みが終わった頃、上役にいきなりインキ壷を投げつけて、首になります。鋭太郎君は、お父さんと一緒に各地を転々としますが、新しい土地に行けば、喧嘩をして自分の力を示すという具合。親子三代で喧嘩にとても縁があります。

 官僚を首になった忠太さん一家は、東京のおじいさんの家に戻って来ます。そして、お父さんは、民間の会社に勤めます。おじいさんの家には、あまり出来のよく無い書生、森下君と山辺君とがいて、この二人がおじいさんの薫陶宜しく喧嘩が好き。筋向いの大高さんの家と喧嘩をはじめます。大高家と立石家との喧嘩は、ほど無く収まり、大高家の当主と立石家のおじいさんとが、昔の喧嘩の相手であることが分ってしまいます。一方、鋭太郎君、敏次君の兄弟もその間に喧嘩をしていますし、民間の会社に変わったお父さんも喧嘩をします。

 唯、喧嘩は口喧嘩の部分が多く、又、作品としても、口喧嘩の部分が面白いと思います。たわいの無い喧嘩のエピソードで一編を纏めているのですから、大したものだといえるでしょう。

 佐々木邦は英文学の素養を下敷きとした上品なユーモア小説の書き手だったわけですが、彼自身は決してユーモラスな人では無く、教えていた大学でも、授業は厳しくニコリともしなかったといわれます。又、若い頃は喧嘩もよくしたようで、明治学院時代は、学生運動の首謀者の一人であったこともありました。彼のそのような経験だけでこの小説が成立しているわけではないとは思いますが、転校の多かった子供達の体験などは、子供の頃から一つどころに居つくことが少なかった、邦の体験が影響しているに違いないと思います。

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