地に爪跡を残すもの

さわりの紹介

 翌朝早く豊彦君と堅固君は先生を迎えに行って、自分達は自転車だったから、先生を人力に乗せた。中の松原を通りながら、
「先生、この松でしたね」
 と豊彦君が指さした。
「然う然う。去年の九月だった。君達とは妙な縁だ」
 と三須先生は感慨が深かった。
 豊彦君の家ではお父さんとお母さんが先生を持てなす支度をしていた。堅固君のお父さんも顔を出して、
「不思議の御縁でございます。先生の御教授を受け始めてから、全く見違えるような勉強家になりました」
 とお礼を述べた。
 少時話しこんだ後、
「実際景色の好い村ですな。余所から来たものには神仙境です。一遍大池の岸をグルッと一廻り歩いて見たいと思いながら、未だ果しません」
 と三須先生がいった。
「先生、お供致しましょう」
「この機逸すべからず」
 と豊彦君と堅固君が申出た。そこで師弟三人連れ立った。松崎、小崎、田川、水門、新田、五反田と六つの字が大池を繞っている。田川を通りながら、
「ここだね。その何とかいう少女の家のあるところは」
 と先生が諢った。
「いけませんよ。もう」
 と豊彦君が真赤になった。
「ハッハヽヽヽ」
 と堅固君は小石を蹴飛ばした。
「豆腐屋は何処かね?」
「何うせ前を通ります」
「小町娘を見て行くかな」
 と三須先生は打ち興じた。間もなく豆腐屋の前へ差しかかったが、田川小町は姿を見せなかった。しかし青木さんの家の門の前に青木さんが立っていたのには、豊彦君も堅固君も困り切った。智恵子さんは頓着なくニコッと笑ってお辞儀をした。二人は急いで答礼した。先生は確かにそれと覚ったようだった。
「暑いね、君」
「暑い」
 と豊彦君と堅固君は額から汗を流していた。
 実際暑い日だった。村中を歩いて家へ戻った時は先生も草臥れていたようだった。師弟三人、風通しの好い座敷で昼食を共にした。
「先生、少し休んでから舟で池へ出ましょう。水の上は涼しいです」
 と豊彦君が西瓜を食べながら言った。
「今日一日でお別れです。何うぞ御ゆっくり願います。何かないかなあ?面白いことは」
 と堅固君も先生を喜ばせたい一心だった。
「斯うやって話しをしているのが何よりだよ。僕は先刻水門の川の砂原を歩きながら考えた。又お説法になるけれど、今日はもう最後だから我慢して聞いてくれ給え」
「お説法でも結構です」
「是非承わります」
 と二人は膝を進めた。
「水門ってところは好いところだね。あすこの川の砂原が気に入った。月見草が咲いていたね。夕方ああいうところを歩いていると詩人のような心持になれるだろう」
「僕も水門が好きで時々あの川へ釣魚に行きます」
 と豊彦君が受けた。
「あの綺麗な砂原に足跡を残して来た。僕は君達の靴跡を見ながら、時代の砂原に足跡を残すという句を思い出した」
「ははあ」
「お互にあの砂原へ足跡を残して来たように、時代の砂原に足跡を残したいものだね」
「はあ」
「僕は大いにやる。イヨイヨこれから自分の天職と信じる方面へ進出するんだ。空元気かも知れないけれど、希望に燃えている」
「先生は大丈夫です」
「何故?」
「もう立派に学問の基礎が出来ているんですから」
「多少自信はある。しかし足跡を残すことはナカナカむずかしい。時代の砂原は水門の砂原と違う」
 と三須先生は少時考え込んだ後、
「せめて爪跡ぐらい残したいものだ」
 と言った。
「先生、僕達も残します」
 と堅固君が意気込んだ。
「爪跡で結構だ。生れて来た印にこの地球を引っ掻いて、爪跡を残して行く」
「はあ」
「何でも宜い。大にやろうぜ」
「はあ」
「一度しかない一生だ」
「はあ」
「一生懸命でやろう。そうして何か爪跡を残して行こう。斯ういう具合に」
 と三須先生は側に有り合せた新聞を爪で掻いた。思いさま力を入れて、再三掻いた。
「先生、僕もやります」
 と豊彦君が言った。
「やり給え。お説法はもうこれでお仕舞いだ。ハッハ、ハッハ」
 と三須先生は朗らかに笑った。

作品紹介

 「地に爪跡を残すもの」は、昭和6年9月号から昭和8年11月号まで27回にわたって、雑誌「冨士」に連載された佐々木邦最長の小説です。佐々木邦は、昭和1桁時代にもっとも活躍した作家ですが、特に昭和6年と言えば、昭和5年より刊行された第一次「佐々木邦全集」が完結した時期であり、彼の作家として最も脂の乗った時期と申し上げても過言ではありません。その時期に作家として最も代表作を書く(これは評価としての代表作ということではなく自分の意識の中での代表作という意味ですが)という意志をもって書いた作品ということで、数多い佐々木邦の作品の中でも特に重要な作品と申し上げてよいと思います。

 連載を始めるにあたって、邦は次のように述べているそうです。すなわち、

 「今度は必ずしも諧謔小説ではなくて、筋として読みこたえのあるものを書いて見たい。筆者も来年は五十、大分人生の経験を積んだ。文筆で立つからには一生に二つや三つの大作を物したい。その積りだから今度は長くなる。意気込みだけは近来になく素晴らしい。但し筋は未だ悉皆考えていない。私のは人物を拵えて、その性格にあり得るような発展をさせて行く。これが本当のやり方だと信じる。小説は材料で書くものでない。現代に有り得そうな青年を二人捉えて、その人生奮闘を書く。二人は従兄弟同志で、何方も秀才だ。一度しかない一生を最も好く利用したいという念願に燃えている。同じ中学校で首席を争うたのが因を為して、二人は何事につけても相手を凌駕しようという気がある。従兄弟で切っても切れない関係だけに厄介だ。生れ来た以上は何かこの地球に爪跡を残して行けというのが中学時代の恩師の教訓だった。甲は私学、乙は官学に進む。競争しても仲は良い。同じ令嬢に思いを寄せたときだけは双方の胸に悪感情が溢れたが、それも結局円満の解決を見た。甲は文芸家になる。乙は大学教授になる。昨今は『どうだい、爪跡は?ハッハハハ』という間柄だ。しかし文芸家は
『日本の法律学者は学説に権威がない。著書が売れるのは文官試験の委員をしている間だけだ』
と肚の中で思って、相手の爪跡を認めない。法律学者も
『日本人の書いた詩歌や小説で世界に認められるものが幾つある?』
と相手の爪跡を軽く見ている」

 以上で作品の要点は語り尽されているのですが、もう少し補足を。二人の主人公、甲乙両名は、富士のふもとの「龍尾村」で村一番の名家だった佐藤家本家の佐藤豊彦君と分家の佐藤堅固君。二人は近隣の藤島町の中学校に通っています。時代は明治40年。このとき二人のライバルは、中学校4年生でした。

 この作品の背景には富士山があります。二人の主人公に「地球に爪跡を残す」ことを教えた三須先生も、富士山の姿に惹かれて藤島町の中学校に赴任しました。この富士山に対する憧憬は、とりもなおさず、静岡県駿東郡清水村(現沼津市)に生れた邦の故郷に対するオマージュでもありました。

 作品は邦が言うように、二人の若者の成長の記録ですが、作者は先ず最初に、小説の背景となる龍尾村の風景や部落、人間関係を詳しく説明しています。村の中心は松崎で、両佐藤君の家はここにあります。彼らが思いを寄せるミス田川、青木智恵子は田川部落の中農の娘で、母親も美人で有名でした。

 二人の中学生に最も強い影響を与えたのが、新任の英語教師、三須でした。彼は早稲田の英文科の出身で一風変わった教授法で、生徒達の支持を得ます。特に成績のよい豊彦・堅固両名は特に可愛がってくれて、二人は三須の言葉に動かされ、大いに発奮します。しかし、三須の独特の授業は学校の方針と対立する面もあり、1年後、学校を去ることになります。特に薫陶を受けた二人は、最後の日に三須を龍尾村に招待し歓迎するのですが、『地に爪跡をのこす』ことを二人に言い残した後、大池で泳ごうとして心臓麻痺であっさりと亡くなります。二人は先生の遺訓を胸に更に勉学に勤しみます。

 彼らが頑張るのは、村一番の美少女・智恵子をめぐる鞘当てもあります。智恵子自身が二人それぞれに希望を持たせるようなことを言い、よりよい成績を上げて早く成功したほうのものになると、二人をけしかけますので、二人の競争はますます激しさを帯びます。二人は中学を1番と2番で卒業し、豊彦は早稲田大学予科へ、堅固は一高に進学します。二人の恋の争いはその後更に激しくなるのですが、最後は智恵子が豊彦を選びます。豊彦は早稲田の教授になり博士号をとります。一方堅固は、東大法学部を卒業して内務官僚になり、最後は政治に野心を燃やします。

 要するに二人の青年の成長と出世の物語ですが、一人の女性を巡る二人の生きかたを示すことによって、彼らの視点も又二重に示しているのが特徴です。ですから嫌味にならない。また、彼らの行動の裏には、佐々木邦の人生観を端的に示す「人生愚挙多し」という見方が常に存在しており、この失敗や愚挙を行わずにはいられない人間の弱さ、性を明確に描いております。

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