読み物作家たちのベスト3(その5)
目次
中嶋 博行 | 中野 実 | 夏樹 静子 | 鳴山 草平 | 仁木 悦子 | 西村 寿行 | |||||
西村京太郎 | 楡 周平 | 服部 真澄 | 林 房雄 | 林 望 | 原 ォ | |||||
原田 宗典 | 半村 良 | 久間 十義 | 檜山 良昭 | 藤田 宜永 | 藤原 伊織 | |||||
船戸 与一 | 星 新一 |
1.検察捜査
2.司法戦争
3.違法弁護中島博行が検察捜査で1994年第40回「江戸川乱歩賞」を受賞したとき、現役の弁護士が法曹界の内部を活写したミステリーを発表したということで、大いに評判になりました。その後違法弁護、司法戦争となかなか良いペースで法曹界を舞台としたミステリーを発表されてきたのですが、1999年に発表された「第一級殺人弁護」を最後に小説の発表は止まったままです。本職の弁護士活動では、犯罪被害者の救済活動や、こどものいじめの問題などにも取り組んでいるようですが、多忙のせいか、ミステリー作品の執筆に至らないようです。従って選択肢は3/4。当然ベスト3は決まってしまいます。
ベスト1は検察捜査で決まりでしょう。荒削りのところもありますし、100%納得できる作品ではないのですが、新人だけが持ちうるパワーがみなぎっており、作者の気持が乗っている作品です。そこがこの作品の一番の魅力なのでしょう。法制審議会委員の大物弁護士が殺害され、横浜検察庁の若手女性検察官・岩崎紀美子が担当の検事になります。弁護士殺人事件の構図は、ミステリーとしては特別目新しいものではなかったと思うのですが、そこに、検察庁権威主義を唱える幹部らの怪しい思惑が絡むと、厚みがまします。現場を知っている現役弁護士の強みが生かされた作品だと思います。
司法戦争は、3冊目の作品です。沖縄で最高裁判所判事が殺害されます。検察庁から判兼交流で最高裁に出向している調査官、真樹加奈子は、検察庁時代の元上司から判事殺害の真相を探るよう命令され、事件の調査に乗り出しました。裁判所の一つの大きな興味である陪審制の導入、PL法、特許権の問題と、現在の法曹界の抱えている問題を詰め込んで、スケールの大きな雰囲気を作り出しています。しかし、検察捜査で感じられたリアリティは希薄になっています。そこが今ひとつ不満です。
違法弁護。第2作です。主人公は弁護士。横浜でおこった警官射殺事件を中心にして貿易会社による企業犯罪、その会社顧問の法律事務所と神奈川県警との対決、最高検察庁の内部腐食などがえがかれています。主人公は国際約款やM&Aなどの渉外法務を専門にする大型法律事務所にアシスト弁護士として務めながらパートナー弁護士になろうとする彼女の野心をもった女性弁護士・水島由里子が主人公です。物語の底流にあるのは、法科大学院の設置に伴う、弁護士の増加問題。なかなかスケールの大きな読ませる作品ですが、どこか今ひとつ物足りなさを感じます。
1.源平恋愛合戦
2.青春オリムピック
3.この恋百万ドル中野実のことを知っている方はもうほとんどおりますまい。明治34年に大阪で生まれ、昭和48年に東京で亡くなったユーモア作家です。処女作が昭和6年の戯曲「二等寝台車」で、戦前から昭和30年代に活躍しました。昭和40年代の春陽文庫の主要作家の一人で、私は随分読んだ記憶があります。日本のユーモア小説の嚆矢である佐々木邦のソフィスティケートされた批判精神はなく、風俗性のつよい明朗小説の域を出ない方ですが、本質的に都会人であり、その軽妙さに強い魅力を感じます。
源平恋愛合戦は、恐らく昭和20年代中頃に発表された作品です。主人公は、田所雪夫29歳と月子23歳の夫婦。二人は結婚していることを周りに公開せず、別居して共稼ぎをしています。雪夫は歌と映画の総合雑誌「モダン世界」に勤め、月子は、アメリカン・レコードに勤務。この手の小説の決まりとして、雪夫と月子は美男美女、言い寄る異性は引き手を切れません。お互い愛し合っていることを信じながらも、気になる言い寄る異性。絶妙のシチュエーションコメディで、中野作品で私が一番好きなものです。
青春オリムピックは、昭和11年2月号から13年6月号まで「キング」に連載された戦前の代表作の一つです。結局中止になった1940年東京オリンピックが決まった頃で、「オリンピック」は当時の流行語でした。それをタイトルに取り入れるところなど、流行風俗作家の面目躍如です。ストーリーは、幼馴染で大学まで一緒だった3人組、赤根君、足立君、河内君がそれぞれ就職してベターハーフを得るまでの物語。昭和初期のモダンな雰囲気があって、なかなかの佳編です。
もう1作はどうしようかと悩みました。小説として読み応えのある作品は、戦前の作品に多いような気もします。「花嫁設計図」、「マダム探偵帳」、「坊ちゃん重役」、「脱線令嬢」などの作品、よいと思います。しかし、戦後の開放感のあふれた作品にこそ中野実らしい気もします。悩んだ結果選んだのがこの恋百万ドルです。発表の時期は小説の内容からして昭和25年ごろ。東都新報の婦人記者、浜田ナナ子の恋愛がメインですが、主人公が新聞記者ですから、色々な事件がサブストーリーとして関係します。そこが、時代を感じて面白いです。
1.訃報は午後二時に届く
2.第三の女
3.Wの悲劇山村美紗が夏樹静子のことを強くライバル視していたことは有名ですが、トリックの奇抜さはともかく、小説としての厚みや深みは、山村は夏樹の足元にも及ばなかったことは確かです。日本の女流推理作家は仁木悦子以来多数登場しましたが、活躍した年数の長さと発表した作品の質から見て、夏樹静子が日本の女流推理作家の第一人者と呼んで間違いありますまい。
その夏樹の作品には、重要なものが沢山あります。例えば、1973年の第26回日本推理作家協会賞受賞作「蒸発」です。人が自分の意志で失踪することをよく「蒸発」といいますが、この「蒸発」という言葉は、この「蒸発」によって作り出された、という説もある。ただ、残念なことに私はこの「蒸発」を読んでいない。そこで、第1位に挙げるのは訃報は午後二時に届くです。この作品の背景は、ゴルフ場建設や、ゴルフ会員権販売で詐欺師まがいのことを人たちの世界です。ある悪徳ゴルフ場経営者が帰宅途中殺害されました。この殺人事件の容疑者として挙がるのが、小さな造園会社社長の大北浩介です。彼の家からは血のついたクラブと軍手が発見され、容疑が深まりますが、失踪、擬装自殺で逃亡。やがて彼の家に彼の小指が届きます。それは死後にされたものでした。その直後、殺されたゴルフ場経営者の共同経営者である副社長も殺されます。さて真犯人は誰でしょう。トリックが巧妙であり、アリバイ崩しならぬアリバイ奪取も見事です。
訃報は午後二時に届くの魅力は、上に述べたパズル的魅力だけではありません。一つはゴルフ場開発のいかがわしさを描写した社会派的魅力であり、もうひとつ小説全体に流れるロマンティックな雰囲気です。このロマンティックな雰囲気こそが夏樹作品の香りなのではないかと思います。
この香りがより強いのが第三の女。これは勿論、アガサ・クリスティの「第三の女」を踏まえたタイトルなのでしょうね。嵐の夜、パリ郊外のフォンテーヌブローの森を見下ろす古いホテルで運命的に出会った日本人男女の行きずりの恋。この運命的恋の黙約こそが連続殺人事件の発端となります。女性の容姿は描かれず、そこに残るは、耳たぶのピアスとゲランの香り。日本で起きるのは連続殺人事件ですが、その殺人事件を彩るロマンティックな香りこそ、この作品の真骨頂です。なお、第三の女のフランス語訳「La promesse de I'omdre」は、フランスの第53回ロマン・アバンチュール大賞を受賞したそうです。
もう一作はWの悲劇にしましょう。これも言うまでもなくクイーンの「Xの悲劇」、「Yの悲劇」、「Zの悲劇」を踏まえたタイトル。XYZと同様、このWにも意味があって、それは主人公の家であるWATSUJI家のWであり、また女性WOMENのWでありました。夏樹はクリスティやクイーンに強い尊敬の念があり、彼らの作品を踏まえた作品をいくつも発表しています。クリスティに関しては、第三の女と「そして誰かいなくなった」、クイーンについては「Mの悲劇」とWの悲劇。このWの悲劇は構想の段階でエラリー・クイーンの片割れフレデリック・ダネイに助言を受けたといわれます。夏樹の作品の中では最も本格的な推理小説です。登場人物も絞り、舞台も新雪に包まれた山中湖畔の和辻家の別荘の中で起きる、という「雪の中の一軒家」タイプの古典的シチュエーションの作品ですが古い革袋に新しい酒を盛った、読み応えのある作品です。
1.きんぴら先生青春記
2.巌ちゃん先生行状記
3.かみなり先生青春帳日本テレビ/東宝の学園ドラマシリーズは、1960年代後半から70年代にかけて一世を風靡しましたが、私は最初の「青春とはなんだ」は見ておらず、竜雷太主演の「これが青春だ」以降、「飛び出せ!青春」、「われら青春」まで見ておりました。これらの舞台は勿論架空の田舎町ですが、ロケ地はどうも湘南海岸近くであったらしく、自分の中で湘南は憧れの地でした。湘南の地の高校を作品の舞台として多用した作家に鳴山草平がいます。日本テレビ/東宝の学園ドラマシリーズは、鳴山の作品を原作に使ったわけでは全くありませんが、私にとって、鳴山の作品と日本テレビ/東宝の学園ドラマシリーズはどこか重なります。
鳴山草平は1902年山梨県生まれ。本名・前田好照。早稲田大学専門部卒業後、故郷の山梨県で山梨県立農林学校教師となり、学校教師の傍ら小説を書き始めます。1939年神奈川県立平塚高等女学校に移り、1951年まで高校教師を勤めます。きんぴら先生青春記は、1950年講談倶楽部に発表された学園小説で、主人公は甲府から平塚市にある花水女学院に赴任してきた青年教師・坂田金平です。昭和20年代の高校生活や湘南の風俗を描いて好評を得、5年間にわたる長期連載となりました。
その後も湘南地方を舞台とした学園小説を多数発表しています。巌ちゃん先生行状記、かみなり先生青春帳、「雌豹先生青春記」、「よしつね先生青春帳」などありますが、基本的には若い主人公の高校教師が教え子や同僚の女性教師との恋愛記です(なお、「雌豹先生青春記」は主人公が高峰笙子という女性教師ですので、相手は男性教師)。同工異曲と申し上げてよいでしょう。しかしながら、舞台が湘南地方ということがあって、一種独特の香りがあり、捨てがたい味わいです。
鳴山は1972年、69歳で亡くなり、現在作品は全て絶版です。こういう作家がいたことを記憶に留めておくのもよいでしょう。
1.灯らない窓
2.林の中の家
3.陽の翳る街仁木悦子が亡くなったのが、1986年。58歳。私がまだ大学院の学生の時でした。子供の時から病弱で、胸椎カリエスにかかり、ずっと車椅子生活が続いたようです。病弱の上、童話作家としても活動をしていたため、ミステリーの出版数はあまり多くないです。しかし、「猫は知っていた」が、第3回江戸川乱歩賞を受賞するなど、発表された作品には優れたものが多いと思います。また、作品の読後感に爽やかさが感じられる作品が多く、結構だと思います。このベスト3は、そんな仁木悦子の、初期、中期、後期の一冊ずつを取上げて見ました。
灯らない窓は、子供もの、とも言うべき一冊。1974年の作品。仁木悦子は、父親や母親が殺人事件の容疑者として逮捕され、やむを得ず子供達がちびッ子探偵として活躍するという設定の作品をごく初期から書いているのですが、そういう設定で書かれた唯一の長編小説がこの灯らない窓だと思います。睡眠薬入りのビールをパパに飲ませて、夜中の12時にこっそり出かけたママが、殺人事件の容疑者として逮捕されました。練馬の公団住宅に住む科学雑誌編集者の篠田久と妻、12歳の進、10歳の直子の平和な家庭を襲う事件。母親の無実を信じる兄妹が、子供らしい行動と、明快な推理で真相に迫ります。それにしても妻が逮捕されておろおろするだめな父親と、元気な子どもたちの行動のコントラストが見事です。
林の中の家は、初期の作品ですが、彼女のパズラーとしての特徴がよくでた一冊です。彼女のパズラーとしての面を見るのであれば、「猫は知っていた」も「刺のある樹」もそうですが、仁木雄太郎・悦子兄妹の動きが一番こなれているので、この作品を採りましょう。仁木雄太郎は、申し上げるまでもなく、仁木悦子が作り出した名探偵キャラクター。身長174センチ、体重45.5キロ。植物学を専攻する大学生で、殺人事件に巻き込まれては、真相を見ぬく。ちなみにワトソン役が悦子。こちらは身長145センチで体重が60キロ。この凸凹コンビを置くことで、作品の味わいが決まります。ただしこの頃の仁木作品は、論理的な緻密さや推理小説としての完結を優先するあまり、小説自身の設定が人工的になり、推理小説としては面白いのですが、小説としての味が損ねている所があるように思います。
陽の翳る街、1982年に発表された仁木悦子最後の長編小説です。その後彼女は短編小説は書いていますが、長編小説は書かれていなかったと思います。推理小説愛好会のサークル「モザイク会」のメンバー、青瀬悠子、高城寺拓、数々谷浩平、有明留美子の四人は、会を終えて帰る途中、夏場ミチヨの死体を発見します。推理マニアの四人は、事件を調べますが、ミチヨは記憶喪失だったことが判明します。この殺人事件から派生して19年前の殺人事件の真相の解明に至ります。初期の作品のきっちりした論理性から比べると緻密さは劣ると思いますが、作品の深みと読後感のほのぼのした味わいは、この作家の成長を見るようで、私が好む一冊です。
1.殺しの双曲線
2.名探偵なんか怖くない
3.華麗なる誘拐西村京太郎はトラベルミステリーで一家を成したベストセラー作家です。いわゆるトラベルミステリーにも「寝台特急殺人事件」のような佳作があるのですが、トラベルミステリーを量産するようになってからは、ハッとする作品があまりないように思います。むしろ、あまり売れていなかった頃の作品に、西村京太郎が本来もっていた稚気溢れる作品が多く、バラエティにも富んでいて楽しめます。ここに上げた作品は、西村ミステリーのバラエティに満ちた部分を切り取った3作。
殺しの双曲線は、西村京太郎の数少ない本格推理小説です。最初のページに、「この推理小説のメイントリックは、双生児であることを利用したものです。」と書き、メイントリックを明示した上で、ストーリーを展開するフェアな態度を装って二重にトリックを仕込むという、かなりけれん味の強い作品ですが、その味わいはなかなか素晴らしいものです。私が日本推理小説10選を選ぶとき、必ず入れる作品の一つです。
名探偵なんか怖くないは、彼の比較的売れていない時期に、恐らく最初は編集者のリクエストで書かれた作品のように思います。エルキュール・ポワロ、エラリー・クィーン、メグレ警部、明智小五郎の四人の名探偵を登場させ、お互いの推理のやり方を上手く取り入れながら、この4人の名探偵に挑戦した事件を解き明かすという、パロディものです。パロディ推理小説は、色々ありますが、最近の作品は著作権の規制が厳しく、パッとしない物が多いのですが、これが書かれた時代、西村自身パロディ推理小説に対する厳しい認識をもっていなかったおかげで、おおらかで楽しい作品になったものと思います。
華麗なる誘拐、日本国民1億2000万人全員を誘拐するという、破天荒で奇想天外なストーリーが面白いです。また、この事件を解決する左文字進は日独混血の私立探偵で、西村トラベルミステリーの主人公・十津川警部と比べて圧倒的に洒落ている所が気に入っています。華麗なる誘拐のような洒脱なミステリーが西村京太郎の本来の持ち味だと思うのですが、トラベルミステリーは、単なるサスペンス小説になってしまったものが多く、残念に思います。そういう意味からも、忘れ難い作品です。
1.再生巨流
2.ラストワンマイル
3.クレージーボーイズ楡周平のプロフィールを見ると、『1957年東京生まれ。慶應義塾大学大学院修了後、米国企業日本法人に入社。1996年在職中に犯罪小説「Cの福音」を発表、30万部を売り上げるベストセラーとなり、作家専業となる』とあります。1990年代は主に「Cの福音」で登場させた悪のヒーロー朝倉恭介を主人公とするクライムノベル系を次々に発表されたわけですが、スケールが大きく、スピード感があって、スリリングで面白いのですが、今ひとつリアリティがないと思っていました。その私の楡に対する認識を変えたのが、再生巨流、ラストワンマイル、といった経済小説からです。
経済小説はモデルがある場合が多いのですが、楡のこれらの二作品は直接のモデルがない作品だと思います。恐らく、どちらも物流がキーワードであることからサラリーマン時代の経験を元に創作した作品でしょう。ただ、従来の経済小説の汲々とした感じの無いアイディアの迸りが面白いです。
再生巨流は、スバル運輸という宅配便を扱う運送会社において、左遷され新規事業を立ち上げざるを得なくなった営業部次長・吉野公啓が、新しいビジネス・スキームを考え出し、成功していく、ある意味現代版太閤記とも言うべき作品です。ここで提案されている細かなアイディアが現実にどれだけ実施されているのか、楡周平が表現したそれらのアイディアのネットワークが現実にどのように進んでいるのかが私にはわからないのですが、一小説家がよくここまでいろいろなビジネス・アイディアを組み合わせを考えたな、と思います。楡周平はビジネスコンサルタントの才能は確実にありそうです。
ラストワンマイルも物流業者を舞台にした経済小説です。ラストワンマイルとは、家庭や企業のユーザーに通信のための接続を提供する最終工程であり、一般には通信事業者の最寄の加入者局からユーザの建物までのネットワーク接続のための手段を指しますが、現実に商品を配送する上では、ユーザーに商品を届けることにほかなりません。この作品では、暁星運輸という宅配業者と蚤の市というネット通販業者との戦いが描かれるのですが、ITのネットワークの構築も宅配という商品のサプライチェーンも本質は同じ、ということを楡は言いたかったのかもしれませんね。
ビジネス小説を2作選んだので、最後は犯罪小説を一つ。クレージーボーイズです。背景には知財問題があります(中村修二の青色ダイオードの職務発明による帰属の問題)に触発されて書かれたと思いますが、アイディアがある犯罪小説になっています。水素自動車の画期的燃料タンクを発明し、特許権の所属を主張して裁判に勝利した父親が殺された息子の復讐譚です。ストーリーが込み入っておらず、大部の作品の割には読みやすい作品です。職務発明に対する対価の問題は、中村の裁判のおかげで、ほぼ正当に評価されるようになってきており、必ずしもタイムリーとはいえないのですが、犯罪小説と経済小説を書いてきた楡の特徴が上手くまとまった作品になっていると思います。
1.荒ぶる魂
2.蒼茫の大地、滅ぶ
3.赤い鯱西村寿行は、1970年代から80年代にかけての大人気作家で、彼の一番油の乗りきった頃が丁度私の大学生時代で、当時はずいぶん読みました。典型的な物語作家で、その奇想天外なストーリーテーラーぶりが好きだったのですが、ある時期から逆にその似通った味わいが鼻についてきて、読まなくなりました。今、久しぶりに書棚の寿行本を勘定したら60冊ばかりあるので、初期の代表作は一通り読んでいるようです。それにしても、彼の作品のタイトルは凄いですね。伝奇的です。「屍海峡」、「君よ憤怒の河を渉れ」、「蒼き海の伝説」、「滅びの笛」、「往きてまた還らず」、「妄執果つるとき」、「悪霊の棲む日々」、「汝、怒りもて報いよ」、「荒涼山河風ありて」、「わが魂久遠の闇に」、「鬼が哭く谷」、「去りなんいざ狂人の国を」どれもおどろおどろしい。このおどろおどろしさが好きだったのでしょうね。現在ほとんどストーリーを覚えていないのですが、微かに内容を覚えているのが数冊あり、その中の三冊を挙げます。
荒ぶる魂は、西村寿行の動物小説の一つの典型です。相当に荒唐無稽な荒っぽい小説ですが、その中心軸に荒猪ゴンタを置いたことにより、作品がゴンタに全てに収斂して来るのが印象的でした。主人公である治宗克郎、妻の美保、娘の亜琥の凍てついた感情が、人間に飼育されたあと野生に戻され、戸惑い傷つき、遂には狂気に囚われるゴンタの姿にシンクロしていきます。しかし、人間と動物との間に擬人的心の交流がなく、その潔さが、この作品の魅力だったと思います。
蒼茫の大地、滅ぶは、西村寿行のパニック小説の代表作と申し上げてよいと思います。飛蝗の来襲という日本では現実には起き得ないシチュエーションを考えだし、そういう状況での極限下の人間の卑小な行動が描かれて行きます。動物パニック小説という方もされるのですが、蒼茫の大地、滅ぶは、純粋に動物パニック小説ではなく、そのとき、中央政府が助けてくれなかったことに対抗する東北六県の独立がサブプロットとして入りこみます。そして、勝ち目のない独立戦争。こういった話のもって行き方は、正に西村寿行の独壇場と申し上げてよいのではないでしょうか。
赤い鯱は、端的に申し上げればホラ話です。西村作品は、バイオレンスとサディズムの臭いが濃厚な作品が多いのですが、そのバイオレンスとサディズム、それにサスペンスと冒険のみを残して、リアリティを完全に捨て去った時に出来た作品の例が赤い鯱から始まる「鯱」シリーズです。作者は、「007シリーズ」か何かを念頭に置いているのでしょうが、登場人物が超人であることやスケールの無駄な大きさが故に、はっきり言って三文作品となっています。にもかかわらず、西村寿行の三冊に選ぶのは、彼のマチズムに基づく娯楽性をとことん追究すると、こういう作品にならざるを得ないのだろうな、と思うからです。
1.骨董市で家を買う-ハットリ邸古民家新築プロジェクト-
2.GMO
3.鷲の驕り服部真澄は、スケールの大きいサスペンスを書く方で、日本の女流エンターティメント小説の何人かの旗手の一人と申し上げてよいでしょう。しっかり取材して、世界を股にかけたスケールの大きさが魅力です。香港返還を背景とした処女作の「龍の契り」は受賞こそ逃しましたが、直木賞の候補作となり、第二作の鷲の驕りで、第18回吉川英治文学新人賞を受賞されました。日本国外を舞台に小説をかかれる方は船戸与一、井上淳など他にもたくさんいらっしゃいますが、スケールの大きさとリアリティを兼ね備えている点で、服部を越える方はいないのではないかと思います。
しかし、私が服部の作品から最初に選ぶのは彼女の本流たる作品では全くない、骨董市で家を買う-ハットリ邸古民家新築プロジェクト-です。田舎にある昔ながらの古民家を解体して、東京に移設再建築する。そしてそこに住む。その計画および実施について書かれたドキュメントですが、彼女のサスペンス小説よりも面白く読めました。これは、私自身が国際謀略であるとか、国家の犯罪であるとか、というような大問題よりも、個人がどのような気持ちで、考えで暮らしていくのか、ということのほうにより強い関心を持つからに違いありません。私自身は、書画骨董に関する興味がほとんどありませんので、古民家に惹かれてそれを移設新築してしまおうとするエネルギーに驚きました。
本流のトップはGMOでしょう。「GMO」とは「Genetically modified organizm」即ち遺伝子組み換え生物の略です。日本や欧州では遺伝子組み換え植物由来の食品はまだ拒否反応が強くほとんど流通しておりませんが、世界的には生産がどんどん増えています。生物科学者のはしくれであるどくたーTとしては、GMOが必ずしも悪いものであるとは考えませんが、服部はGMO悪玉原理で壮大なストーリーを構築していきます。主人公は蓮尾一生という翻訳家。米国のアナポリスを本拠とし、科学系の書籍や論文を日本語に訳す仕事をしています。蓮尾は隣の家のシングルトン一家がコカイン輸送のトラブルで、一家皆殺しになったことから事件に巻き込まれます。一方で、蓮尾はワインの専門書を翻訳するため、著者のシリル・ドランと会うために、世界的なアグロ・コングロマリット、ジェネアグリの会長宅を訪問します。このジェネアグリが推し進めているのが、GMOの開発です。他方、世界的な科学ジャーナリスト、レックス・ウォルシュはGMOとジェネアグリの計画を批判する新作の翻訳権を蓮尾に渡します。即ち、本書はコカイン・ビジネスと代替植物、それに目をつけたジュネアグリのGMOの三つが絡まった壮大なストーリーです。最後はどんでん返しに続くどんでん返しで、エピローグの怖さは、さすが女流、と申し上げましょう。多分男の作家はあういう終わり方は書けない様に思います。
もう一作は、いろいろ考えましたが、鷲の驕りにします。GMOをほめましたが、服部の本領は題材の面白さとその構成の上手さに尽きると思います。逆に言えば、文章の面白さやキャラクターの魅力で読ませる作家ではない。それでも十分に読ませますから、いかに題材と構成が良いか、ということになるのですが。その題材と構成、という点で面白いと思うのが鷲の驕りです。米国の特許制度の特殊性とハッカーの活躍を書いた作品ですが、自分がこの作品を読んだとき、米国の特許制度の特殊性のレクチャーを受けたあとだったので印象深かったのだと思います。
1.息子の青春
2.娘の縁談
3.息子の縁談林房雄の「大東亜戦争肯定記」が最近一部の右翼的傾向の方から見直されていると聞いて、驚いています。もう完全に過去の人で、文学史上の人物だと思っていたからです。林は、文学史的に言えば、転向派でありますが、その特徴は、転向に現れた振幅の大きさだということが出来ます。
1903年5月30日大分県に生まれました。本名・後藤寿夫。大分師範附属小、大分中、五高を経て東大に入学しました。子ども時代は家の没落のため非常に貧しい生活を送り、上級学校への進学は銀行家・小野家の奨学金に頼ったといわれています。その貧しさゆえ、共産主義に傾倒し、共産党の理論誌「マルクス主義」の編集員にもなりました。その後東大に社会文芸研究会を設立し、プロレタリア文学に向かいます。しかし、当時の林の作風は、リアリズムよりロマンチシズムに特徴があり、その「プチ・ブル」性を内部批判されます。1926年より4回投獄されますが、1932年4月に出獄した後、次第にプロレタリア文学と一線を画するようになり、1936年にはいわゆる「転向宣言」を行い、日本浪漫派に近い位置での作品発表に繋がります。
彼の代表作は、転向後の「西郷隆盛」や「青春」といった評伝文学ですが、その後を曳かないロマンチシズムは、風俗小説に向いており、昭和20年代の家庭小説へと繋がります。発表されたのは、息子の青春、「妻の青春」、「良人の青春」、息子の縁談、娘の縁談、「青春家族」、「狸小路の花嫁」など10編以上あるようですが、私が本格的に日本の家庭小説を読み始めた1970年代には、もうほとんどが絶版になっていました。実際読んでいるのは上記の3冊のみ。
ですから、3冊を挙げるしかないのですが、その3冊に関して思うのは、林の右翼的傾向が出てきていない、ということです。勿論昭和20年代の作品ですからどの作品も風俗的古さは否めませんし、社会常識が今とは異なりますので、その部分も若干の違和感がないわけではありません。しかしながら、どの作品も快活で明るい若者が主人公で、その明るいトーンが作品を覆っています。林の本質がロマンティックな復古主義であるとすれば、それが全然見えないところにこれらの作品の真骨頂があるように思います。
1.十九、二十
2.スバラ式世界
3.東京トホホ本舗原田は私(どくたーT)の「裏」の人です。ほとんど同年代で、高校時代は文学青年。武者小路実篤を好み、・・・・。そこまでは私とほとんど一緒です。しかし私は、進路は理科系で、上京することはなく地方で大学生活を送り、変わったバイトに明け暮れることもなく、勉学一筋に打ち込みました。しかし、心の中では上京して一人暮らしをして、無頼で危ない生活をして、将来は作家になりたいという、そういう気持ちはどこかにありました。実際に原田を知ったのは、30歳過ぎて、既に就職をし、結婚もした後で、自分の人生のコースを決めた後でしたが、『私の裏の人生』がそこにあるな、と思ったものでした。
そんなわけで、彼の作品で私が一番読んだのはエッセイの類です。ここでもそれを2作とります。しかし、最初は小説、十九、二十でどうでしょう。原田の作品世界の中で、「無頼な父親」が非常に大きな位置を占めているのは間違いありません。彼は、小説でも随筆でも父親のことをいろいろな作品で取り上げていますが、一番良くまとまっているのが、十九、二十だと思います。はっきり申し上げれば、小説としての出来が取り立てて素晴らしい、というほどのものではありませんが、その小説から感じられるものに、自然主義的日本文学の伝統があったことをよく覚えています。
次はエッセイですが、彼のエッセイは初期のものがよいと思います。当時30代だった原田は、軽薄な文体で、いろいろな雑誌にコラムをたくさん書いて、女性や若者の支持を得ておりました。そのころ、私は、今はこれでいいけれど、あと10年たったらつらいだろうな、と思ったことを覚えています。しかし、その頃の随筆の方が勢いがあって面白いものが多いと思います。スバラ式世界は、女性雑誌の「エフ」に連載された随筆集。原田の最初の連載エッセイでした。大笑いすること請け合いです。
原田はハプニングやアクシデントに遭遇することが多く、本人は「ヘン運に恵まれている」と主張していますが、エッセイのネタが尽きないのは結構なことでしょう。そこで、エッセイをもう一つ東京トホホ本舗を取り上げます。「トホホ」は原田がよく使用する言葉で、笑える随筆集です。
1.そして夜は甦る
2.私が殺した少女
3.さらば長き眠り原ォは典型的な寡作の作家で、今まで長編小説4冊(即ち、そして夜は甦る、私が殺した少女、さらば長き眠り、そして、10年ぶりの新作で話題を集めた「愚か者死すべし」)短編小説集1冊(「天使たちの探偵」)、それに随筆集を1冊上梓しているだけです。そのかわり、発表された作品はどれも珠玉の傑作と称してよく、どれを入れるかではなく、どれを除くかの選択になりました。そして残したのが初期の長編三部作とでも呼ぶべきものです。勿論、「愚か者死すべし」は探偵沢崎の復活した作品ですし、十分に面白い作品で捨てがたいわけですが、一連の流れを重視して、上記3冊にいたしました。
そして夜は甦るは、原ォの鮮烈なるデビュー作。フィリップ・マーロウに対するオマージュとして作り出された私立探偵「沢崎」が活躍します。沢崎は40歳。11年前から探偵業を仕込んでくれたパートナーの渡辺賢吾が失踪して5年。それでも探偵事務所の名前は「渡辺探偵事務所」です。暴力団の清和会壊滅作戦で警察に協力して囮を買って出て、現金一億円と覚醒剤3キロを持って行方をくらました渡辺は、帰ってくる様子は見せません。新宿署の錦織警部や清和会幹部の橋爪が彼を見張っていますが、渡辺から来るのはたまの紙ヒコーキ通信です。メインのストーリーは、失踪したルポライターを捜索するうちに、その失踪が過去の東京都知事狙撃事件と繋がっていることを知る。尚、この作品が書かれたのは1988年ですが、その作品に描かれた東京都知事像は、1999年に就任した石原慎太郎をモデルにしたとしか思えないところが面白いところです。
私が殺した少女は、初期3部作の中で一番の傑作と申し上げてよいでしょう。第102回直木賞の受賞作です。勿論探偵は「沢崎」。沢崎のリアリティは第一作よりもこの第二作のほうが上になっています。ヴァイオリンの天才少女の誘拐事件ですが、犯罪の真の構成は最後のどんでん返しまで分かりません。第一作が社会派ハードボイルドだったのに対し、第二作は見事に家庭派ハードボイルドに変身した、とでも申し上げましょうか。とにかく非常に緻密な構成と練り上げられた文章が素晴らしく、傑作以外の言葉がありません。
さらば長き眠りは、初期三部作の最後の作品で、その後10年ほど「沢崎」の登場する作品は書かれずに過ぎます。作品の出来としては私が殺した少女に比べれば落ちると申し上げなければならないでしょう。作者もそれを感じたため、その後10年も沢崎を眠らせておいたようにも思われます。しかし、それでも凡百のミステリーやハードボイルドと比較して非常に面白い作品と申し上げなければなりません。お話は、11年前の高校野球の八百長疑惑とその捜査の最中に起こった突然の義姉の自殺。この事件の真相究明を依頼された沢崎。お話はそこから展開しますが、それ以上にこの作品で申し上げなければならないことは、三部作の背景に常に存在していた 元探偵の渡辺の影と、彼が持ち逃げした金と麻薬を執拗に追う新宿署の錦織警部と暴力団幹部の橋爪のエピソードが一段落することです。これもまた、沢崎シリーズが10年も空いた大きな理由なのでしょう。
1.黄金伝説
2.亜空間要塞
3.女たちは泥棒半村良は、私には得意な作家ではなかったようです。高校生から大学生にかけて集中的に読んで、今、自分の本棚に20冊ほどが並んでいるのですが、その後はほとんどよむことはありませんでした。これは、恐らく半村が「悪意の作家」であったことと無縁ではありません。彼は、想像力を正史に対する武器にしようとする悪意がありました。この悪意は、やもすると、読後感の悪さに繋がります。反対にそれこそ小説な訳ですが、ストーリーテーリングの上手さに潜む悪意は、当時の自分に対する慢性の毒だったに違いありません。
半村は1933年東京生まれ、2002年没。1957年短編小説「収穫」にてデビューするも、本格的に知られるようになったのは、1971年「およね平吉時穴道行」が出版されたことからです。彼の作品群は大きくは二つ。「○○伝説」というタイトルで代表される伝奇SF小説と、直木賞受賞作「雨やどり」に代表される人情風俗小説。勿論これだけではないのでしょうが、私が読んでいるのはこの二つの系譜です。
伝奇SF作品の代表作は「石の血脈」か「産霊山秘録」でしょう。しかし私は、ここで、伝説シリーズの第一作黄金伝説を選ぼうと思います。これこそ半村の悪意がよく現れているからです。原爆による突然変異によって生まれたミュータントが政界の黒幕になるというSF的ストーリーと黄金伝説という伝奇的ストーリーをミックスさせて、キリスト降誕伝説まで関係させるという壮大なストーリーですが、そこを見ている作者の目は大所高所から見る作者という全能の立場ではなく、もっと低い、地を這うような視点から全体を見上げている感じがします。だからどことなく安定が悪いのですが、そこが半村の真骨頂でした。
亜空間要塞はSFのパロディです。パロディとして作ったSFというか。正直申し上げれば、伝奇SFよりもこのような軽いタッチの作品が私の好みです。SF仲間四人組は謎の老人のいる伊豆の別荘へ向かいます。この四人の前に現れたのは不思議な空間。これはSFでいうところの「亜空間」ではないか、そう話し合っているところへUFOの攻撃、気が付くと亜空間世界に飲み込まれてしまった、なんとも馬鹿馬鹿しい設定で、全編に古今東西のSFをネタにしたギャグが織り込まれています。続編に「亜空間要塞の逆襲」もあります。
ソフトな現代風俗小説の線から選んだのが女たちは泥棒。文庫の裏表紙に書かれた紹介文は、「貴金属商兼高級フランス料理店のオーナー・堂島、彼の店のソムリエ兼用心棒の渋田、フラリと店に現れるお洒落な美男子・谷本修一、彼に寄り添うキュートな美女・加奈子。何やらいわくあり気な彼らの正体は、そう、凄腕の盗みのプロフェッショナルなのだ。この”泥棒一家”の華麗なる冒険を描いたソフト・ピカレスク」。ある意味現実感のないお話ですが、スマートで一寸エロティックな快作だと思います。
1.ダブルフェイス
2.ロンリーハート
3.サラマンダーの夜久間十義が純文学からエンターティメントに進んだ作家だという認識は全く持っておりませんでした。でもWikipediaによれば、1990年には三島由紀夫賞を受賞しているし、1993年には芥川賞の候補になっている。純文学からエンターティメント小説に移る人は珍しくないのですが、久間に関して言えば、私はずっと彼のミステリー作品を読んできましたので、ちょっと驚きです。バイオグラフィーを簡単に。1953年北海道生まれ。早稲田大・第一文学部仏文科卒。
久間の作品は主に警察小説と医療系ミステリーを読んできたのでそこからの選択になります。最初にあげるのはダブルフェイスです。エンターティメントの最初の作品は『刑事たちの夏』だそうです。『刑事たちの夏』はもちろん面白い作品なんですが、どこか肩に力が入っているところがあって、力作だと思うし、傑作だとも思うのですが、どこかしっくり来ないところがあります。それで選外。第2作のダブルフェイスは、東電OL殺人事件に題材をとった警察小説です。実は、『刑事たちの夏』とダブルフェイスは同じ問題がある。どちらも素材はいいのだけれども、構成を複雑にしてしまって空回りしそうになっているところ。でもダブルフェイスは、元の「東電OL殺人事件」という現実の事件の重しがあるので、リアリティがよりはっきりしているのですね。それで1位にします。
久間十義の警察小説三部作の三作目がロンリーハートです。『刑事たちの夏』で政界や警察内部の腐敗をテーマにし、ダブルフェイスでは現代人の心の闇を題材にした久間は、三作目で未成年者の犯罪を題材にしたわけです。犯罪者の視点と警察官の視点を交互に示して事件を立体化する、というありふれた方法を取っていますが、不良たちの雰囲気にリアリティを感じるので2位にします。
三冊目は医療小説を取ろうかと思ったのですが、やっぱり警察小説にします。サラマンダーの夜。ダブルフェイスやサラマンダーの夜を読むと、久間は現実の事件を題材に、それを膨らませた作品を書くのが上手なのだな、と思います。ちなみにサラマンダーの夜は、歌舞伎町の風俗店ビル火災が題材のようです。
1.糧断
2.スターリン暗殺計画
3.日本本土決戦檜山良昭は戦記シミュレーション小説(架空戦記)の第一人者として知られており、架空戦記ブームの嚆矢となった日本本土決戦以来、数多くの架空戦記小説を書いています。彼の初期の戦記シュミレーション小説、例えば、は、日本本土決戦、『アメリカ本土決戦』『ソ連本土決戦』のいわゆる「本土決戦三部作」を読めば分るように、第二次世界大戦当時の史料を元に前提条件が一つ狂うことにより、戦争の展開がどのように変化する可能性があったかを多くの資料に基づき検証しています。本来の檜山の真骨頂は、多くの資料に基づきながら、条件を現実と異なった形に(あるいは未来を予測的に)変化させた場合、どのように変わるか、という観点で書かれた作品が多いようです。その点で、彼は戦記シミュレーション作家ではなく、シミュレーション作家です。
シミュレーションの本来の目的は未来の予測であり、小説においてもそこが王道のように思います。その意味で選んだのが糧断です。糧断は、元々「現代」誌に2回分載された経済シミュレーション小説で、世界的な凶作が起きて穀物の収穫が世界的に下がった場合の日本の食糧危機を描いています。内容の重要性に比べてページ数が少なく、小説的面白さは今ひとつですが、シミュレーション小説の正統的なやり方として評価して良いのではないかと思います。
スターリン暗殺計画は、檜山のデビュー作にして出世作。1979年の日本推理作家協会賞受賞作です。これは、シミュレーション小説とは言えないと思いますが、緻密な背景取材を行って、当時の政治状況、軍事状況を踏まえたIFを示すという点で、シミュレーション小説と根幹は一緒です。「日本人が発案したスターリン暗殺計画」というものが本当にあったのかどうか、私は判断するすべがありませんが、いかにも存在したかのように(事実存在してもおかしくないのですが)、資料、対談、回想などいろいろな形式を駆使しながら提示してみせる手腕は大したものだと思います。
檜山は多数のサスペンス小説や近未来ポリティカルフィクションを、あるいは時代小説を書かれていますが、やはり、戦記シミュレーション小説を一冊あげるべきでしょう。そうなると日本本土決戦を挙げるのが妥当なのでしょう。もし、アメリカの原爆開発スケジュールが約1年遅れたら、という仮定の下で、数多くの資料に当って、戦争の変化がどのようになりえる可能性があったかという視点で書いており、娯楽小説の範疇を越えるものではないにしろ、後発の粗製濫造戦記シュミレーション小説とは一線を画しています。
1.鋼鉄の騎士
2.探偵・竹花とボディピアスの少女
3.モダン東京1「蒼ざめた街」割と読まない作家がいます。例えば小池真理子。何冊かは読んでおりますが、本質的に私と合わないみたいです。にもかかわらず、夫君の藤田宜永の作品は随分読みました。この方、1986年、ハードボイルド小説『野望のラビリンス』でデビューし、その後冒険小説やハードボイルド、ユーモア・ミステリーなどを随分発表しましたが、本質的にはロマンチストで、最近は「大人の」の恋愛小説を精力的に発表されています。彼の恋愛小説は、小池の作品とは違ったものです。少なくとも男と女の視点の違いはある。しかしながら、やはりどこか通じるものがあって、私の感性で十分楽しめるか、といわれると一寸難しいかもしれません。そんなわけで、彼の恋愛小説を除いたところから3冊を選びました。
まずは、鋼鉄の騎士。この作品は、彼の冒険小説の最高傑作なのでしょう。第48回 日本推理作家協会賞と日本冒険小説協会特別賞とをダブル受賞しています。その当時(1995年ごろ)、大長編は書かないイメージだった藤田宜永が2500枚もの大長編を書いたわけですから、それだけで驚きです。舞台は第二次世界大戦直前のパリ。左翼運動に挫折しこの地へ流れてきた子爵家出身の日本人青年・千代延義正。偶然目にしたレースに魅せられ、義正はレーサーを目指します。一方、ドイツとソ連とのスパイ活動にも巻き込まれ、波瀾万丈の物語へと発展します。レースとスパイ活動という冒険小説王道のアイテムを二つ盛り込み、更に後年の恋愛小説を思わせるロマンスも含み、いろいろな意味で藤田の集大成と申し上げてよい作品です。惜しむらくは長すぎて一寸冗長に感じられるところ。クライマックスのポーのレースのシーンは非常に躍動感のある名シーンですので、それまでをもう少し刈り込めば文句なしの大傑作でした。
探偵・竹花とボディピアスの少女は、軽い藤田宜永を代表する作品だと思います。一応はハードボイルドですが、一人称で書かれず三人称でかかれます。文体もストイックというよりはずっと優しく柔らかい。それなのに、「(名前は)竹花。職業は探偵。歳は42」と紹介されますが、ファーストネームは明らかではありません。このミスマッチがこの作品の魅力なのでしょう。ストーリーは、探偵・竹花が、さらわれそうになった16歳の少女を助けたことから巻き込まれるという、巻き込まれ型サスペンスです。行方不明となった少女の祖父の依頼で、竹花は捜索を開始します。そこで出会う刑事、ヤクザ、政治家、旧東ドイツの元体操選手、そして殺人事件。探偵は幾度となく痛い目にあいますが、平気で軽口をたたいてめげません。この軽さがこの作品の魅力です。
21世紀に入ってからの藤田の仕事は恋愛小説に大きく傾いています。私は、彼が吉行淳之介を敬愛しているということを知り、「恋愛小説」を書かねばならない必然性がよく分かりました。彼の恋愛小説は古都を舞台にしたり、主人公が職人的であったりして、背景に静謐さを求めているようですが、しかし、その本質にはモダニズムがあると思います。そのモダニズムをすっきりと示したのが、『モダン東京』シリーズです。昭和初期の東京を舞台にモダン探偵・的矢健太郎が活躍します。ここではシリーズ第一作のモダン東京1「蒼ざめた街」を挙げましょう。
1.テロリストのパラソル
2.ひまわりの祝祭
3.てのひらの闇藤原伊織が2007年5月17日に亡くなりました。59歳だったそうです。彼は長らく電通の社員でありサラリーマン兼業作家だったわけで、結局寡作の作家でありました。結局生涯で刊行した書籍は8冊に過ぎません。私はそのうち3冊をまだ読んでいないので、5冊から3冊を選ぶ。誰が選んでも同じような選択になりそうです。
この中で最大の名作はテロリストのパラソルです。ダントツの一位と申し上げるしかありません。藤原にとって処女作ではなかったのですが、「ダックスフントのワープ」以来8年ぶりの新刊で、最初の長編でした。第114回直木賞、第41回江戸川乱歩賞のダブル受賞でも話題になりました。主人公の島村圭介は、新宿の場末のバーテンで働く重度のアル中。この島村が、ウィスキーを飲みながら昼寝していた中央公園で無差別の爆破犯行に遭遇するところから物語は始まります。もちろんアル中になった背景はあります。それが全共闘であり、島村の過去の人生です。「偶然が重なりすぎる」という批判があることは承知しておりますが、そのような弱さを含めても藤原随一の名作です。
藤原は、テロリストのパラソルで彼の手の内をすっかりさらけ出してしまったのではないかと思います。その後は、結局のところ、テロリストのパラソルに縛られてしまい、それまでのレベルの作品は書けませんでした。しかし、ストーリーテーラーとしての藤原の実力は極めて優れておりました。ひまわりの祝祭はテロリストのパラソルに続く長編小説で、気負いが空回りしている印象はあるものの、読み応えのある作品です。ファン・ゴッホが描いた「ひまわり」を巡るハードボイルド美術ミステリ、ということになるのでしょうが、設定といい、主人公の雰囲気といい、ハードボイルドの香りが強くでています。一方で、前作と同様、登場人物の内面もあわせて描こうとしたため、バランスがとりにくくなった印象もあります。
てのひらの闇は典型的なハードボイルド。とにかく主人公がかっこいい。40過ぎの飲料会社の広告宣伝部の課長が、希望退職募集に真っ先に手を挙げたという、現実離れしたかっこよさです。もちろん理由もあり、伏線が見事に決まるけれども(そういう意味では、非常に良くできた作品です)、ハードボイルドの主人公が余りにかっこよいのは如何なものか。という訳で、面白い作品ですが、3位に留めます。
1.非合法員
2.夜のオデッセイア
3.猛き箱舟私は船戸与一を好んでいるか、と言うことになるとよく分かりません。あれだけの長編を、細かな破綻はあったとしても、きちんと読ませる力量は大したものだと思います。しかし舞台こそ時代、地理的状況を含めさまざまですが、読み終わった後の感覚が結構同工異曲と思ってしまうのは何故でしょうか?それが人間の本質ということなのか、それとも船戸与一の限界なのか。そういう中で、私が好むのは、政治的背景の少ない夜のオデッセイア、『炎流れる彼方』『蟹喰い猿フーガ』といった作品群。こういう人を小馬鹿にした作品群、好きです。とはいえ、彼の本流の民族問題や南北問題を背景にした骨太の冒険小説を無視する分けにはまいりません。いろいろ考えた末に選んだのが、上記の選択。ある意味では逃げの選択です。
非合法員は、船戸与一のデビュー作。デビュー作ながら、その後の船戸与一の原型を全て含んでいる、と申し上げてもよい作品です。最近の作品のように長くて重い、とならず、数百枚の中に、必要な部分をきちっと入れ込んで来ているのも気に入っている所です。この作品が出た頃から,内藤陳が冒険小説の楽しみをあちらこちらの雑誌などに書き、この作品を私は内藤のナビゲーションで読んだ覚えがあります。今、文庫本を久しぶりに眺めていたら、文庫の解説を内藤が書いておりました。そういうのも懐かしいですね。
夜のオデッセイアは、非合法員の直ぐ後に発表された作品で、ある意味では非合法員と対になる作品です。どちらもドロップアウトした日本人が主人公で、片方が情報機関に雇われた殺し屋であるならば、片方は、八百長専門のヤクザなボクサー。政治的な背景は勿論あるけれども重たくなく、結局のところはイランのパーレビ国王の隠し財産を探って各国情報機関が暗躍する大活劇。こういう巻きこまれ型作品、いいです。
三作目をどうしようか、迷いました。自分の本当の好みから行けば『蟹喰い猿フーガ』ですね。でも、彼の本流を無視していいのか。勿論いいんですが、そういったものを全然読んでないから選ばないと思われるのも癪なので、とりあえず猛き箱舟を選びます。『伝説なき地』『砂のクロニクル』『炎 流れる彼方』 『流沙の塔』『虹の谷の五月』と読みごたえのある長編作品がいろいろありますけど、猛き箱舟は良い選択ではないかしら。舞台が西アフリカ・サハラ砂漠というのもいいし、主人公が日本人というのもいい、と思っています。
1.ボッコちゃん
2.ほら男爵現代の冒険
3.つねならぬ話星新一は私が中学生の頃、同級生の人気度ナンバーワンでした。私も好きで随分読みました。真鍋博のイラストも強い印象を持っています。1926年9月6日誕生−1997年12月30日没。生涯に1001編以上(1042編と言われている)のショート・ショートといくつかの長編小説を書きました。星は、自分の小説作法について「創作の経路」という文章に次のように書いています。「書く題材について、私はわくを一切設けていない。だが、みずから課した制約がいくつかある。その第一、性行為と殺人シーンの描写をしない。(中略)第二、なぜ気が進まないのか自分でもわからないが、時事風俗を扱わない。(中略)第三、前衛的な手法を使わない。」
彼はこの制約の元、ショート・ショートを書き続けました。彼の制約は、彼の作品の特徴、即ち、通俗性を排し本質に対して端的に切り込んでいく、具体的な地名・人名といった固有名詞は登場しない、といったことにも通じますし、そのような洗練は彼の作品の寓話性を高め、結果として高度な文明批判に至っています。イソップ物語が現代に通じるのと同様に、社会環境・時代に関係なく、人間や社会への本質的批評になっていると思います。
そういうわけで、まず選択すべきはショート・ショートでしょう。しかし、彼のショート・ショートは数が多すぎてどれを選べばよいかよく分かりません。とりあえず処女ショートショート集であるボッコちゃん(「人造美人」改題)を取り上げ、もうひとつは、最後のショート・ショート集であるつねならぬ話を取り上げましょう。彼の一番面白い時代は昭和30年代から40年代の作品だと思いますが、彼の1042編に敬意を表して、このような選択が適切だと信じます。
もうひとつをその間に書かれた別のショートショート集にしようかとも思ったのですが、はっきりとどれを選ぶべきかわかりません。仕方がないので、連作短編集であるほら男爵現代の冒険を選択します。言うまでもなく、「ほら男爵の冒険」のパロディです。彼は、初期のドライで残酷な表現から、ユーモアの強いパロディタッチの作品へだんだん変化していったという見方が出来ますが、ほら男爵現代の冒険はその転換のきっかけのような作品でもあります。
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