読み物作家たちのベスト3(その6)
目次
松本 清張 | 眉村 卓 | |||||||||
丸谷 才一 | 三浦 朱門 | 三田 誠広 | 光瀬 龍 | 宮部みゆき | 宮脇 俊三 | |||||
三好 徹 | 室積 光 | 森 詠 | 山口 瞳 | 山中 恒 | 山村 正夫 | |||||
山村 美紗 | 横山 秀夫 | 横溝 正史 | 若山 三郎 | 和久 峻三 | 渡辺 淳一 |
1.点と線
2.眼の壁
3.砂の器1909年福岡県企救郡板櫃村(現在の北九州市小倉北区)生れ。生家が貧しかったために高等小学校卒業後、給士、版工などの職につく。1950年、処女作『西郷札』が「週刊朝日」の「百万人の小説」に入選、1953年、『或る「小倉日記」伝』が、第28回芥川賞を受賞。1992年没。司馬遼太郎と並んで、戦後最大のベストセラー作家と申し上げてよいのでしょう。しかしながら、私は松本清張の良い読者ではありませんでした。ちゃんと読んでいるのは多分10冊前後。普通代表作の一つに数えられる『わるいやつら』も『けものみち』も実は読んでいません。もっと申し上げれば、『日本の黒い霧』をはじめとするノンフィクション作品も読んでいない。そんな中で選んだ3冊です。
点と線はトリックから言えば、いまさらの作品ですが、時刻表を駆使したアリバイ作り、論理性もさることながら、小説としての面白さ。特に動機を重要視したところなど、松本清張初期の作品ながら、推理小説としては彼最高の傑作だと申し上げてよいと思います。松本は社会派推理作家と呼ばれたわけですが、この作品はまだ本格派の味わいが強く、それだけに後期の社会性の強い作品より、私には好ましく思います。
眼の壁は「社会派推理小説」初期の作品。点と線と同時期に雑誌連載され、こちらこそ元祖社会派推理小説と呼んでよいものでしょう。手形パクリ事件の裏にうごめく巨悪。そこに徒手空拳で立ち向かう一市民。重いテーゼを含んでいるような作品ではないのですが、発表当時は読者と同じ社会の中に犯罪が潜んでいるという恐怖を浮き彫りにして評判になったそうです。私は純粋のエンターティンメントとして楽しめたので選んでいます。
砂の器、これこそ「社会派推理小説」と申し上げてよいのではないかしら。テレビドラマ化が5回。映画化が1回されているそうです。野村芳太郎監督の映画(1974年)は、モスクワ国際映画祭の審査員特別賞を受賞した傑作です。それだけに、原作も読み応えがありました。蒲田駅の操車場で起きた殺人事件を、東北訛りと「カメダ」という言葉を手がかりに追っていく今西警部補たち。今西は粘り強い捜査が身上の刑事です。彼の捜査によって浮き彫りになる犯人の哀しさ。ドラマティックですし傑作だとは思いますが、読み終わったときの後味が良い作品とはいえません。
1.とらえられたスクールバス
2.つくられた明日
3.ねじれた町眉村卓と私との関係を考えた時、忘れられないのがNHKの少年ドラマシリーズです。私が中学生と高校生のとき、平日の夜の六時台といえば、「少年ドラマシリーズ」を見ることに決めておりました。その原作は多種歳々でしたが,ジュブナイルSFをドラマ化したものに面白いものが多かった様に記憶しています。眉村原作の作品では、「まぼろしのペンフレンド」、「なぞの転校生」、「未来からの挑戦」、「幕末転校生」などが取り上げられています。私が眉村の作品を最も多く読んだのはその頃。逆に二十歳過ぎからはほとんど読んでいないので、彼の作品といえば、まずジュニア小説をイメージします。彼の本領は,司政官シリーズなどにあるのだろうとは思いますが、私の3冊は全てジュニア小説。
とらえられたスクールバスは、私が眉村作品を集中的に読んだ時代のほぼ最後に読んだ作品です。スクールバスが未来人の少年アギノ・ジロに乗っ取られて、どんどん時空を遡って行く、タイムトラベル冒険小説です。乗っていたのは中学生男子2名女子1名、それに北先生。時代を遡るたびに苦労を重ねます。まず、第二次大戦の終戦直後に飛び、昭和15年に飛び、幕末に飛び、目的地の戦国時代に向かいます。戦国時代につけば、当然のように武士たちの攻撃を受ける。そうしているうちに歴史を変える流れに乗り、パラレルワールドの問題が生じる。要するにタイムマシンものの論理的問題点をしっかり示しながらも、冒険小説としての魅力もある、そういう作品なのですが、この作品の本当の魅力は時代と人間の関係を考えさせるところにあります。
つくられた明日、「未来からの挑戦」の原作ですね。角川文庫のカバーの説明が、『「そんな馬鹿なことが……」手にした「未来予告』と題された本をめくるうちに、永山誠一は思わず声を出してしまった。そこには、”あなたは10月31日に重大な危険にさらされます”とあり、11月1日以降は空白になっていたのだ。誠一は死を予告されたのだろうか?奇怪な出来事は次々と起こりはじめていた。先生の交通事故、これは予告どうりだった。そして、続いて起きた友人の失踪に、サファリを着た怪盗団の暗躍。11月1日は、 日一日と迫りつつあった。眉村卓の描く、読み出したらやめられない、学園SFサスペンス。』ここまで書く必要は無いと思いますけど、十分楽しめる作品です。
三作目はねじれた町にしました。古い城下町Q市に引越してきた中学生、和田行夫は葉書をポストに入れに行く途中不思議な少女によって別の時代に迷い込む。ここで登場するのが鬼。鬼を基軸にした活劇ジュニアSFですが、今読むと、非常に健全な作品です。
1.やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わる
2.龍をみたか
3.エロイカ変奏曲三田誠広が29歳で第77回芥川賞を受賞したとき、本人は今で言えばフリーターでした。コピーの三田で有名な三田工業の御曹司ですから、経済的に本当に大変だった時期があるのかどうかは知りませんが、同時に受賞した池田満寿夫が著名な版画家だったので、よりうらぶれた雰囲気が印象的でした。芥川賞受賞作の「僕って何」は、田舎から出てきた青年が学生運動に巻き込まれていく過程を描いた作品です。主義も主張も釈然としないまま、学生運動の闘士となっていく、周囲に対する違和感と同化。それは勿論、三田のこの作品に特長的なものではなく、ある意味青年一般のものです。三田は、埴谷雄高に私淑した哲学的作家で、そういう思考の展開がこの作家の本領だとは思いますが、読物としては、そういった視点があまりはっきり出てこない青春小説が良いと思います。その観点で選んだ3冊です。
やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わるは「僕らの時代の僕らのラブストーリーを書いてほしい」という編集者の要請にこたえて書かれた小説で、ラグビーの試合を舞台にした青春小説です。大金持ちの御曹司と住み込みの運転手の息子というコンビ、社会に出れば分かれて戦わなければならない友達同士が、大学最後の試合に臨みます。ノーサイドの笛が鳴るまでの時間こそが自分たちの今である。そういう印象の強い、すがすがしい青春小説です。
龍をみたかは、自分の芥川賞受賞に題材をとったシニカルなユーモア小説です。発表された当時はモデル小説ではないかと見られ、結構スキャンダラスな話題にもなったようですが、そういったジャーナリスティックな視点よりも、もっと素直にマスコミに踊らされることへの違和感を笑いながら読むのが正しいのでしょう。
エロイカ変奏曲は、やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わるに続く当時としては新感覚の恋愛小説です。少女のころから天才といわれた美貌のピアニストと厭世的なゴーストライターの青年との出会いが描かれます。三田夫人は武蔵野音大出身の人ですから、奥さんと自分をモデルにして作品を創ったのかも知れません。
1.夕ばえ作戦
2.明日への追跡
3.作戦NACL眉村卓と来ると、私の中で直ぐに対応するのが光瀬龍です。光瀬龍は、1928年3月18日に東京で生れ、1999年7月7日に逝去したSF作家で、本名は飯塚喜美雄。彼の本領は、『東洋的無常観』を軸に、広大な時空を取り扱った名作群にあることは間違いないのでしょう。真の代表作は、「たそがれに還る」、「百億の昼と千億の夜」、「喪われた都市の記録」というところになるのでしょう(全て読んでいます)が、私が一番愛好したのがやはりジュニア小説です。そこで今回選択したのもまた、全てジュニア小説です。
夕ばえ作戦は、端的に言えば、非常に漫画的作品です。1974年にNHKの少年ドラマシリーズになって有名になりました。このとき、主役の砂塚茂役を、現在日本テレビの「笑点」で座布団運びをやっている山田隆夫が演じ、茂の父親役をコメディアンの長門勇がやっていたのを覚えています。このドラマは、非常に良く出来ていて、私個人としては、NHKの少年ドラマシリーズの中では最も気に入っている作品のひとつでした。この漫画的な部分をテレビでは非常に上手に処理していたという印象があります。タイムトラベルものですが、行き先が戦国時代で悪役が風魔となると、歴史SFというより時代SFという感じになり、エンターティメントとして成功したのではないかと思います。
明日への追跡は、1972年の「中一時代」と「中ニ時代」(旺文社)に連載された作品です。わたしも当時「中一時代」と「中ニ時代」を毎月買っていたのですが、丁度1年違いでリアルタイムには読んでいません。汐見が丘中学1年生、落合基のクラスに一人の転校生が転入してきます。この転校生竹下清治は、取りたてて変ったことのない少年でしたが、彼が転入してから色々な事件が起ります。基のクラスメートで友人の五郎が事故で死に、同じく学級委員だった北島は自殺してしまいます。二人の死に不審なものを感じた基は、二人の死の謎を解こうと行動します。SF仕立てのミステリーというべきか、ミステリー仕立てのSFというべきか、よく分りませんが、登場人物たちの会話を含め、ジュニア小説として非常に分かり易くかつ面白く書かれており、光瀬作品の代表作として挙げるのに躊躇しないものです。
三作目は作戦NACLです。私はこの作品を朝日ソノラマのソノラマ文庫で読みました。ソノラマ文庫と秋元文庫は、ジュブナイル小説の宝庫で、私がそういう話をたくさん出来るのは、これらを数多く読んだことに関係ありそうです。さて、作戦NACLは、宇宙人の侵略ものですが、サスペンスのタッチなどは光瀬龍らしさに溢れていて、いい作品だと思います。この作品の一番の目玉は、タイトルがそのまま結末を暗示しているところです。これ以上細かいことは書きませんが、動物の知識はあったほうがいいかも。
1.火車
2.模倣犯
3.理由宮部みゆきは、はっきり申し上げて、玉石混交の作家です。勿論どんな作家だって、玉石どちらの作品も書きますし、ありていに申し上げれば、石しか書かなかった作家もたくさんいます。この「よみもの作家のベスト3」だって、石ばかり挙げた作家も実はいます。だから、石の作品だけを挙げる、という荒業もあり、かとは思うのですが、一方、今をときめく大流行作家の作家で、石だけを上げたら、お前、何を読んでいるのか、といわれそうですので、直球で勝負します。結論は、あまりにありきたりですが、宮部の本領は、時代小説やSFにあるのではなく、真っ当な社会派ミステリーにあります。
火車、文句なしの大傑作です。1990年代に日本で書かれたミステリーで一番の傑作と申し上げても良いかもしれない。多重債務であるとか、自己破産であるとか、庶民の金融状況が背景にある作品ですが、貧しさゆえの借金ではなく、豊かさゆえの借金であります。結局、社会が多様化すれば、それに見合った問題が発生し、その問題を最も的確に示すためには、小説という形式が一番良いのだろうな、という風におもったのを覚えています。
模倣犯は、ミステリーを越えたミステリーと申し上げてよいのでしょうね。3500枚という長さ一つとっても、単なるミステリーのわけがありません。犯罪をモチーフにした社会小説、というのが妥当なところでしょう。犯人ピースのゆがみ、自己肥大した優越感は、これまた現代社会の病理の一面を反映しているわけで、火車の経済病理、理由の家庭崩壊、と共に、現代社会の危うさを、改めて示したものと思います。これだけの長編でありながら、作品として破綻せず、ラストに向けて収斂していく技は流石です。宮部みゆきの小説家としての力がよく分かります。
そして理由。火車があり、模倣犯が出版されてしまうと、間に挟まれた理由は、今ひとつ弱いですが、書かれた内容、小説としての表現、どちらをとってもまごう事なき傑作です。マンションで殺された、老婆、中年夫婦、若い男は、家族を装っていたが、実は赤の他人の「占有屋」という民事執行妨害です。彼らがどのような「家庭の事情」で占有屋になったのか。それを解き明かすのはインタビュー。上手です。
1.最長片道切符の旅
2.時刻表2万キロ
3.旅の終りは個室寝台車宮脇俊三が中央公論社の辣腕編集者で、北杜夫に「どくとるマンボウ航海記」を書かせたのは有名ですが、それ以外にも中央公論社の代表的な出版物に相当関わっていたようです。私が個人的に感慨深いのは日本の歴史全26巻やレコード版のモーツァルト全集の出版でしょうか。そして彼は、子供の時から編集者稼業の間も鉄道に乗り続け、ついには紀行作家になってしまった訳です。その後は世界中の鉄道にのって廻り、廃線跡を訪ねたり、バス旅行をしたりもしますが、私は何と言っても彼の本領は、日本の国鉄の各線に乗って書いた文章でしょう。特にデビュー作の時刻表2万キロと次いで書かれた最長片道切符の旅は特に優れていると思います。
私が最も好きなのが最長片道切符の旅。私も子供の頃一応鉄道ファン(というよりも時刻表マニア)でしたから、時刻表を使った遊びは色々やりましたが、「最長片道切符のルートを決める」という遊びは気づきませんでした。しかし、宮脇氏は、その遊びでルートを決めるだけではなく、そのルートを実際乗ってみようと言うのですから、凄いとしか言い様がありません。そして、その無駄の極致のような旅を作者が楽しんでいる所に私は格別の楽しみを覚えるのです。自分がやったら、途中で退屈するに違いないのですが、それをやってみるのも悪くは無いかな、と思わせる所がこの作品には満ちています。
時刻表2万キロは、彼のストイックな性格を見るに良い作品であると思います。この本が出版を契機に国鉄のチャレンジ20000キロキャンペーンが始まったように思いますが、それなら唯乗り潰せばいい、という人が沢山出たと聞きます。しかし、彼は乗るルールをきちんと決めていたようです。曰く、初乗りの線は昼間で車窓を観察出来る時間に乗る。出張のついでに足を伸ばしたりはせず、週末や休みに出かけていく。こうした徹底したアマチュアリズムがあったからこそ、車窓の風景がまた素晴らしいのでしょう。
もう一冊は、旅の終りは個室寝台車にしました。「殺意の風景」などは、阿川弘之・北杜夫絶賛のミステリーですが、読んでいません。晩年の「鉄道廃線跡を歩く」シリーズもいいと思うのですが、やっぱり宮脇さんには国鉄に乗って書いて欲しいと思います。そんな訳で旅の終りは個室寝台車。十篇からなる紀行文集ですが、これも汽車好きの汽車に乗る楽しみが徹底的に書かれている作品で、私は大好きです。
1.コンピュータの身代金
2.風塵地帯
3.戦士たちの休息三好徹は1931年東京生れ。1951年旧制横浜高商卒。読売新聞社に入社。記者として活躍の後に文筆活動に入る。誰もがそう思うように、三好徹の持ち味は、ジャーナリスティックな視点で作品を書いているということだろうと思います。そこが共通するだけで、あとは本当に広範なジャンルでのエンターティンメントを発表しています。「天使シリーズ」に代表されるハードボイルド、「風」4部作で代表されるスパイ小説、「生けるものは銀」で代表される冒険小説、「興亡三国志」のような歴史小説、「まむしの周六-萬朝報物語」で代表される評伝、他にも犯罪小説やら経済小説やらさまざまなジャンルの作品が数多く(恐らく合計200冊ぐらい)あります。その多様性は驚くばかりですが、読み手がそこまでついて行けず(私が読んでいるのは合計五十冊ぐらい)その全貌を把握するに至っておりません。
そんななかで、私が彼の代表作として先ず薦したいのが、コンピュータの身代金です。ジャンルは、犯罪小説。1981年に書き下ろし作品として出版されました。この作品の標的は、都市銀行の心臓部・コンピュータです。天才犯罪者・泉を含む二人の犯人が東西銀行の電算機室を占領し、10億円を要求します。支払わない場合は、コンピュータを爆破すると脅迫します。コンピュータ本体、インプットされているデータ、そしてオンラインシステムを使えない事による信用失墜。様々な損失を合わせてみると、最低でも500億円の損失になります。ただ、どうやって150Kgにもなる札束を運び出すのか。犯人はどうやって脱出するのか。犯人と警察や銀行との攻防です。二つの絶妙なトリックが・・・。時代がコンピュータ時代に入って来たときの、正にタイムリーな対象を題材にして、三好のジャーナリスティックな嗅覚の冴えを感じ、また謎解き推理小説としても十分に楽しめる一冊だと思います。
初期の作品の中から何か一冊を選びたいと思います。そうなると、「天使シリーズ」から選ぶか、「風」4部作から選ぶかです。「天使シリーズ」は、横浜の町が非常にヴィヴィッドに描かれておりますし、主人公の『私』が、三好徹自身を投影しており初期の代表作として外せないのでしょうが、スケールの大きさをとって「風」4部作の中から特に優れていると私が思う風塵地帯をとります。1965年のインドネシアのクーデターに題材をとった国際スパイ小説です。ジャカルタへ赴任した特派員が、いつのまにか謀略の渦の中に巻きこまれてしまい、その真相を知る為に活動するという内容です。詳細は書きませんが、硬質な文体と緊密な構成、スピード感で、読みごたえのある作品になっていると思います。
もう一冊は、本当に悩みました。「天使シリーズ」から選ぶべきか、明治時代に題材をとった評伝類も棄てがたい。そう思いながらも、結果的には経済小説である戦士たちの休息にしました。舞台は総合商社・東都物産。華僑資本やユダヤマネーが跋扈する国際ビジネスの最前線で、中堅社員はどう動くか?ミドルの苦労を描く経済小説の王道を行っていますが、高杉良の経済小説と異なっているのは、事件を描く事によって、『総合商社』というものを描こうとしていることでしょうか。
1.都立水商!
2.記念試合
3.ドスコイ警備保障室積光が都立水商!を引っさげて登場したときはぶっ飛びました。それはそうでしょう。現実に水商売(というよりも風俗)を教える都立高校が誕生することはありえない。でもこれだけ大嘘の設定をして、高校教育をからかってみせるその技は、只者ではありません。都立水商!のクライマックスは水商が夏の甲子園で優勝するところにあるわけですが、そこに描かれている現在の高校野球批判は痛烈ですし、私の思いと全く一緒だったので、大いに共感したのを覚えております。更に申し上げれば、内容は至極真っ当な青春小説です。という訳で、室積の第一位は文句なしでデビュー作・都立水商!にて決まりです。
室積光は1955年生まれ、本名、福田勝洋。ペンネームは、出身地の山口県光市室積町に由来しているそうです。元々俳優として活動していた方ですが、戯曲を書くようになり、そして小説まで手がけるようになった由。ただし、作品数はあまり多くなく、まだ10作に達していないようです。彼の持ち味は、都立水商!やドスコイ警備保障の様な奇想天外な設定によるユーモア小説ですが、もうひとつあげるならば野球に対する思い入れです。
記念試合は、室積光の野球に対する思いの深さがよく分る一冊です。この野球の舞台は、高校野球でもなければプロ野球でもない。熊本大学対鹿児島大学という地方大学の定期戦。しかし、この定期戦は旧制七高造士館対旧制五高の100年の伝統を誇る対抗戦に繋がり、太平洋戦争の陰が覆います。この作品に書かれた姿は戦争によって傷つけられた青春であり、その回復の姿であります。旧制七高の伝説のエースとその孫との時代を超えたつながり。これまでの室積光とは一線を画する佳品です。それにしても「北辰斜めにさすところ」を歌いながら組むストームの姿。いいものです。
とはいえ、やはり室積流ユーモア小説は素敵です。三冊目は定番のドスコイ警備保障と行きましょう。元・お相撲さんたちが第二の人生を送るために作った警備会社を舞台にした、ドタバタ喜劇です。都立水商!と比較するとり、かなり散漫な内容になっておりますが、設定の面白さと軽妙な語り口が楽しめるユーモア小説だと思います。
1.那珂川青春記
2.さらばアフリカの女王
3.清算森詠の代表作として、まず直木賞候補作となった「雨はいつまで降り続く」が挙げられます。又、第10回坪田譲治文学賞を受賞した「オサムの朝」もそうかもしれません。でも、恥ずかしながら、私はその両者とも読んでおりません。また、大河ポリティカル小説として第6部まで刊行された「燃える波涛」も重要な作品かもしれません。しかし、「燃える波涛」は、第一部、第二部の面白さが継続することなく、どんどん尻すぼみになって行きます。結局途中で中断し、その後続編が書かれていないので、私のベスト3からは外すことにしました。結局選んだのは上の3冊となりました。
那珂川青春記は、森の高校時代を題材にとった青春小説で、ハード・ボイルド作家、冒険小説作家としての森詠の、抒情的な側面がよく現れていて面白いと思います。ちなみに、「オサムの朝」、那珂川青春記、「日に新たなり」は森の自伝三部作とでも呼ぶべき作品群ですが、「日に新たなり」よりも那珂川青春記を気に入っています。栃木県の黒磯高校を舞台に、時代は1960年前後。大学に進学する高校生がまだ特別な階級だったころの高校生活。バンカラを気取って懸命に背伸びをする主人公・大山茂を中心に、校内の不良グループとの対決や宿敵大田原高校ラグビー部との対抗戦、60年安保、同級生との恋や友情、盛り沢山な内容で楽しめます。今も昔も高校生の本質は変らないな、と森詠より、1.5世代ほど若い管理人は思うのでありました。
さらばアフリカの女王は、彼の冒険小説の代表作です。北アフリカ・カサブランカ空港を根城に「キャサリン」と名付けたおんぼろプロペラ機・DC3ダゴダを飛ばして軍事物質を運ぶフリーランサー・北一馬に、南アフリカのローデシアまである人間を運ぶという、胡散臭い仕事が舞い込みます。引きうけると早速脅迫電話。いかにも冒険小説らしいシチュエーションですね。登場する諜報組織は、モサドやネオナチズム、ローデシアの愛国戦線、それにダイヤモンドのシンジケートと多種多彩。「アフリカの女王」たるダイヤモンドはどこに行くのか。最後まで息をつかせぬ面白さです。
初期の頃の冒険小説の面白さと比較すると、最近の森詠は面白いとは言えないように思います。しかし、キャラクターとして日韓混血の刑事・海道章は気になる存在です。彼の登場する横浜狼犬シリーズは小説としての完成度がいま一つながら何となく読んでしまうのは、海道というキャラが気になる存在であるからに違いありません。そのシリーズの中で一番良いのがこの清算だと思います。北朝鮮の拉致被害者問題が明かになる前に書かれた作品ですが、北朝鮮悪玉説は、この頃はもう自明だったのだな、と思います。
1.われら受験特攻隊
2.6年4組ずっこけ一家
3.ぼくがぼくであること山中恒は、自らを「児童よみもの作家」と称しています。いいですね。児童よみもの作家。私は、小中学生の頃、山中の作品に随分親しみましたし、又、今、自分の子どもが山中の作品に親しんでいるのを見て、そのような作品の重要性を強く感じます。勿論、山中の仕事として重要なのは、児童よみもの分野以外に「ボクラ少国民」シリーズや「間違いだらけの少年H〜銃後生活史の研究と手引き」などがある訳ですが、やはり「児童よみもの」がいい。そこで、その分野からのみ3冊選びます。
まずは、われら受験特攻隊で行きましょう。もう見かけなくなって久しいのですが、1970年代、中高生向けに『秋元文庫』というシリーズがありました。このなかの一冊として私は読みました。中学三年生の男女4人が主人公。この4人が、威圧的な校長先生に対抗して、県立の最難関校の潮光高校を目指す、というお話。合格するまでの1年間、受験特攻隊の4人と浅井校長先生のおかしな戦いが続きます。
われら受験特攻隊は、中学生向けの作品ですから、「児童よみもの」というには、一寸無理があるかもしれません。児童向け作品から選んだとき、私はアナーキーな馬鹿馬鹿しさを追求した作品に惹かれます。テレビ番組にもなった「あばれはっちゃく」であるとか。その中で比較的無名ながら、馬鹿馬鹿しさ天下一品の6年4組ずっこけ一家を選択するのは、大変楽しいことです。
真面目に3冊目は、初期のぼくがぼくであることを選びましょう。家出をした少年がひと夏を同い年の少女とそのおじいさんが住む農家で過ごします。次々とふしぎな事件にまきこまれていくなかで、少年は成長を遂げていきます。山中は、確かに児童よみもの作家で、子供の視点から大人との対立を多く描いてきました。それもあえて荒唐無稽にして、痛快なよみもの作品に仕上げる、というやり方で多くの読者を得てきました。しかし、その本質は相当シニカルで、子供たちに向かって、大人社会の欺瞞をしらせ、自ら考え、「自分が自分であること」をよく考え、自己を確立することを訴えてきました。そのストレートな主張がこの作品からも読み取れます。
1.結婚します
2.男性自身
3.酒呑みの自己弁護山口瞳は文士でした。そして都会人でした。彼は、決して常識人ではなかったと思いますが、一方で実に誠実な人でした。作家としての出発点が「江分利満氏の優雅な生活」です。ここで、主人公の名前をエブリマンとして、市井の人間の普通の生活を普通の言葉で描こうとしました。彼の視点は、常に一所懸命生きている人にあります。それは、第二次大戦終戦から高度経済成長にいたるまじめな日本人の、平凡で実直な「やっとここまでやってきた」という思いの反映でもありました。しかし、勿論それだけではなく、その時代感覚、批評眼、反骨精神、ユーモア感覚に優れていて、そこのベースは、東京の山の手人の感性があったのだと思います。
代表作は、「江分利満氏の優雅な生活」のほか、「血族」、「人殺し」、一寸軽いものでは「けっぱり先生」になると思いますが、このようなストライクコースでは行きたくない。もうひとつ、彼の生涯で最も重要な仕事は、昭和38年から30年以上にわたって「週刊新潮」に連載された男性自身があります。この男性自身シリーズをはじめとするエッセイに山口瞳のダンディズムが詰まっているという思いがあり、今回の3冊になりました。
結婚しますは、初期の青春小説。主人公の週刊誌編集部員・北川浩太郎は、母の友人・梅小路綾子の勧めでお見合いします。彼は、最初の見合い相手の加納百合子に、「わたくし、お見合いなんかする男の人って、嫌いなんです」と決め付けられ、敢然と見合い結婚を目指します。彼の10回あまりの見合いのエピソードを展開しながら、浩太郎の女性観、結婚観、家族感、人生観が語られます。ユーモア小説タッチの読み物ですが、山口瞳の「普通」感覚がよく出ていて、大好きな作品です。
男性自身、上記の通り。全てが名エッセイではないのですが、そこに山口瞳の全てが詰まっていると申し上げてよいでしょう。私は「国立」という町に親しみを感じるものなのですが、それは男性自身を読んだことに由来するものです。山口瞳が愛した個別の店などはあまり知らないのですが、国立に出かけると、山口瞳の町と今でも思います。
最後も随筆にしましょう。酒呑みの自己弁護。山口はサントリーの宣伝部で、「トリスを飲んでハワイに行こう」という名キャッチコピーを作りましたが、ご自身も相当の酒呑みでした。その酒呑みの経験が自伝的に書かれているのがこの作品。いろいろな方との酒、いろいろな人の酒が語られております。私がこの本を読んだときは大学生で、既に大酒のみでしたが、将来自分の収入でお酒を飲めるようになったら、山口瞳のようにかっこよくお酒を呑めるようになりたいと思ったものです。馬齢は重ねましたが、未だ達成されておりません。
1.逃げ出した死体
2.変身刑事
3.怪人くらやみ殿下実を申し上げると、山村正夫の作品はそれほど読んだことがありません。多分10冊ぐらい。にもかかわらず親しみを覚えるのは、私が子供の頃、『学習』や『中一時代』の推理ゲームコーナーなどやトリック解説などをよくやられていたからに違いありません。1931年大阪生まれで、在学中の1949年に「二重密室の謎」を『宝石』別冊付録に発表してデビューした方で、作家歴は長いのですが、世間的に注目を浴びるようになったのは、1980年に「湯殿山麓呪い村」を発表してからではないでしょうか。確かに「湯殿山麓呪い村」は彼の真の代表作なのでしょうが、彼の本質(日本推理作家協会理事長のような社会的な部分ではなくて作家としての本質)はB級作家だったと思います。そのB級性の強い作品を3冊あげます。
逃げ出した死体は、1985年光文社文庫のために書き下ろされた作品。それまで、文庫は、過去に出版された作品を気軽に読める形態とするものだと思っていた人にとって、このとき一挙に20冊の書き下ろし作品を文庫に投入した光文社のやり方に驚きを覚えました。その20冊の内、1/3ぐらいは読んでいるのですが、正直申し上げて、余り印象に残る作品は多くなかったように思います。そのなかで、この逃げ出した死体には、笑わせて頂きました。売れない三流タレント小泉譲二が、交通事故後の手術で突然変異を起こし、名探偵になってしまう、という基本的なところから、ワトソン役の美人精神科医、それにルンペン刑事・瀬古井という組み合わせでプロットから笑わせようという意識が旺盛です。小泉の探偵能力が、女性と肌を接すると低下し、精力剤で回復する設定などあくまでもB級ですが、B級であるが故の味わいがあって、気に入っています。
変身刑事もある意味で逃げ出した死体と同工異曲の作品ですが、逃げ出した死体がハードボイルドタッチで書かれた本格推理小説のパロディーであるのに対し、変身刑事は、SFアクション小説のパロディーになっているところが一番の違いです。捜査をすれば「どじ」を踏み、死体を見ると貧血を起こすというダメ刑事・西本明は、潜在能力として冷酷無比で冷静沈着な性格を持つことが分かったので、警察学校卒業直後、飛騨山中にある警察庁の特殊能力開発センターに入所させられ、厳しい訓練を受け、変身捜査官となった。普段はダメ刑事だが、警察庁の刑事局長補佐の覆面警視の指示で、かっこいい警部・嵐豪輔に変身します。こういう変身ものの常識で、普段はだめだけれど、変身後は大活躍というパターンです。もちろん、作品としてはB級。
怪人くらやみ殿下は、ジュニア小説で、私は朝日ソノラマ文庫で読みました。友人の後藤昭一の誕生日パーティの帰り道、車で送ってもらう途中の敏彦。青山の絵画館のそばで車は謎の人物と衝突する。このはねられたはずの王様風の不思議な服装をしたその人物は、近くに止めてあった「馬車」に飛び乗るとどこかに走り出した。というシーンで始まるこの作品は、乱歩の「怪人二十面相」シリーズのエピゴーネンと申し上げてよろしいかと思います。しかし、この不気味な雰囲気は、夜の闇がまだ恐ろしかった昭和の雰囲気をよく伝えております。荒唐無稽な冒険小説で、結構むちゃな設定ですが、十分面白い作品です。味わいは、逃げ出した死体や変身刑事とは違いますが、その「トンデモ」な設定で、共通性が窺えます。
1.花の棺
2.黒の環状線
3.葉煙草(シガリロ)の罠山村美紗は1934年京都に生まれ、1996年京都で亡くなった女流推理作家です。大学も京都府立大。生涯京都で過ごしました。出版された作品の数は、150冊あまり。作家として活躍したのは20年強であることを思うと相当の多作家です。そして作品の舞台の多くが京都であることも大きな特徴です。山村美紗と西村京太郎が夫婦同然だったことはあまりに有名ですが、西村がトラベルミステリーで、全国各地を舞台に作品を書き、山村美紗は京都を舞台にするという約束もあったようです。
私が山村の作品で読んでいるのは恐らく30冊ぐらい。山村はデビューから数年間はトリックを巧みに使う女流として評判だったわけですが、流行作家になり多作になるにつれて、明らかに作品の質が落ちてきました。そのような作品を何冊か読んだあとは、彼女の作品を読まなくなりました。したがって、ここに取り上げた作品はデビュー後数年ほどで発表された作品のみです。
まず、一位に推すべきは、やはり山村の創造した名探偵、ミス・キャサリンものから選ぶべきでしょう。そうなるとキャサリンのデビュー作である花の棺を選ぶのが一番よいと思います。その後30作ほど書かれて人気シリーズとなったわけですが、第1作からシリーズものになるしかない仕掛けが一杯含まれています。画一的な人物描写がその典型でしょう。華道界を舞台にした華やかな背景はあるものの、メカニカルなトリックも使用方法は彼女の独特なものがあります。花の棺におけるトリックは、ひとつ間違うと単にばかばかしいものになるところを、ぎりぎりのところでストーリーとの整合性が取れているところに意味があります。
初期のミステリの傑作として忘れられないのが黒の環状線です。トリック・メーカー山村美紗の面目躍如たる作品です。アメリカ留学をきっかけにして変化してしまった婚約者の夏彦。不安を感じながらも千沙子は結婚準備を進める。そんな時に夏彦の恩師の教授が殺され、彼が助教授に昇進。その後も彼が関係していると思われる殺人事件が連続して起こり、不安な千沙子は一人で彼の周辺を調べ始めます。アリバイ・トリックが崩れ、最後に行き着くところの爽快感は、これぞ本格ものを読む楽しみだと申し上げられる味わいです。
黒の環状線の次に書かれた長編が葉煙草(シガリロ)の罠です。これまた初期の名作。探偵役はいつもキャサリンの影に隠れた感じの京都府警狩矢警部です。が出てくると華やかになりますが、どうも実質が乏しくなるような気がします。キャサリンが登場せず、狩矢警部が前面に出てくると、推理も落ち着いていて論理性が高まると感じるのは気のせいだけではないように思います。スケールの大きな作品で、且つトリックの冴えも見事です。今回選んだ3作の出版年は、花の棺が、1975年、黒の環状線が1976年、葉煙草(シガリロ)の罠が1977年。こうしてみると、山村美紗の最盛期はやはり1970年代にあったようです。
横山秀夫の3冊
1.クライマーズ・ハイ
2.半落ち
3.震度0
新聞記者出身の作家は数多くいますが、事件記者の経験が作家のバックボーンになっているという点で横山秀夫の右に出る方はいないように思います。横山は1957年東京生まれ。大学卒業後群馬県の上毛新聞社に記者として12年間勤務後、1991年に「ルパンの消息」で第9回サントリーミステリー大賞佳作を受賞してデビューした作家です。しかし、私は当時彼に関心はなく、彼の作品を読むようになったのは、半落ちが2002年のがこのミステリーがすごい!および週刊文春ミステリーベスト10で第1位を獲得してからです。更に翌年の直木賞の選定のごたごたで、半落ちをまず読んだのではなかったかしら。
直木賞には選ばれなかったけれども半落ちはやはり傑作です。W県警教養課次席の梶警部(49歳)は、骨髄性白血病で死んだ我が子の命日さえわからなくなったアルツハイマー病の妻の懇願に負けて、彼女を扼殺してしまいます。そして2日後自首します。梶は殺害状況や動機は素直に供述しますが、殺害してから自首するまでの2日間の行動については口をつぐんで語ろうとしません。つまり半分落ちで半分落ちない状況ですね。だから半落ち。この謎の2日間をめぐってストーリーは展開していきます。基本的にヒューマニズムに満ちた作品で、ミステリーとしての面白さもあって、横山の代表作の一つとして真っ先に挙げられるものでしょう。
しかし、彼のベスト・ワンはやはりクライマーズ・ハイだと思います。御巣鷹山に墜落した日航機事故を巡る地方新聞社の記者の群像。大久保・連合赤軍事件以来の大事件発生に、事故関連の紙面編集を担う日航全権デスクを命ぜられた主人公・悠木の判断。上司の妨害や営業の思惑などを含めてどう対応していくのか。横山は1985年の日航機事故の時、すでに新聞記者だったわけですから、自己の経験を踏まえて、新聞社の群像を描いたのでしょう。リアリティがあり、またブンヤの匂いが充満していて結構です。
3冊目はいろいろな選択肢があると思いますが、震度0を採りましょう。クライマーズ・ハイが日航機事故を背景にしているのに対して、震度0は阪神・淡路大震災が背景にあります。ただし、地震はストーリーとは直接関係しないのです。神戸では震度7であったとしても、700Km離れた北関東のN県では当然震度0であり、地震の救援よりも、地方警察組織の不祥事のもみ消しのほうが重要、という誠に当たり前のお話です。主要な登場人物は全て県警察本部の部長であり、警察組織の中ではとてもえらい方ばかりです。でもその行動は、俗物根性丸出しで、品がない。でもこれが多分現実なのでしょうね。
1.悪魔の手毬歌
2.本陣殺人事件
3.獄門島私がミステリーを読み始めた頃、横溝正史はほとんど忘れられた作家でした。その当時文庫本で手に入ったのは、春陽文庫で本陣殺人事件と「蝶々殺人事件」の2冊。他はなかったはずです。講談社から全10巻の全集が出版されていて、私はそれを図書館で借りて、主要作品を読みました。そうこうしているうちに、例の角川書店の横溝正史復活フェアが開始され、メディアミックス戦略の第一弾として映画「犬神家の一族」が公開されました。「たたりじゃー」というフレーズをあの頃何度聞いたことでしょう。それ以降の横溝の活躍は周知の通りです。私も角川文庫で出版された横溝作品を8割方読みました。面白い作品が数多くあります。その中でも一番味わいが深いのは昭和20年代に発表された作品です。ここに選ばなかった作品でも「八つ墓村」、「悪魔が来たりて笛を吹く」、「犬神家の一族」と代表作は昭和20年代の作品だと思います。
そう言いながら、一番に選んだ作品は昭和32年発表の悪魔の手毬歌です。これは本当に傑作。日本ミステリーの中でも三本指に必ず入るのではないか、と思うほどの傑作です。いわゆる「童謡殺人もの」ですが、20年前の殺人の謎を絡めた壮大な構想といい、複雑なプロットといい、トリックの味わいといい、解決の鮮やかさといい、誰がなんと言おうと、横溝正史の最高傑作に疑いありません。また、悪魔の手毬歌は彼の岡山ものの集大成という意味合いもあります。横溝正史ブームにより、「悪霊島」が執筆されたことにより、岡山県を舞台にした最後の作品にはならなかったのですが、その後金田一耕助の主たる活動舞台は東京に移りました。
二番目はやはり本陣殺人事件でしょう。昭和21年発表の名探偵・金田一耕助のデビュー作。当時の紙事情ゆえ、あまり長い作品ではないのですが、それまで密室には向かないとされていた日本家屋で密室を構成した手腕、論理構築の見事さは、素晴らしいものです。またそれが、土俗的おどろおどろしさとミックスして生じた味わいもまさに素晴らしい作品と申し上げるべきでしょう。私が最初に読んだ横溝作品ですが、これですっかり彼のとりこになったのを覚えております。
あまりにストレートな選択で恥ずかしくなりますが、それでも獄門島は外せません。本陣殺人事件に続いて「宝石」誌に連続連載された作品です。紙事情の悪い中、この二傑作を連続連載させた城昌幸編集長の編集者の目に感謝しなければいけません。戦友の死を知らせるために獄門島を訪れた金田一耕助の前で起こる連続殺人事件。奇妙な名前の島の風物とそこに住む人。本陣殺人事件のもつ土俗的おどろおどろしさは、更に強調され、トリックもより洗練され、横溝正史の代表作にふさわしい一編です。
1.ドカンと一発!!
2.天国は青春にあり
3.お嬢さんは適齢期同工異曲という言葉があります。春陽堂文庫の若山三郎の『お嬢さんシリーズ』などがまさにその典型例。私が中高生の頃、若山三郎のこのシリーズを相当数読んだのですが、今になってみるとほとんど何の記憶も残っていません。ただ、その当時から明朗小説としても二流だな、思っていました。系統としては中野実の作品と同様ですが、中野の作品と比較すると面白さが全然低いです。典型的な読み捨て作家だったのでしょうね。
いま、Wikipediaで調べてみると、1931年新潟県生まれで、春陽堂文庫の売れ行きが減った頃からは、『東武王国 小説根津嘉一郎』『菓商―小説 森永太一郎』『政商―大倉財閥を創った男』など実業家の伝記を執筆しているようです。これらの作品は全く読んだことがありません。私にとって、若山は春陽堂文庫の明朗小説作家、それ以上でもそれ以下でもないです。
その春陽堂文庫の中で、唯一面白く読めたのが、ドカンと一発!!です。獅子文六の『大番』のテイストのある、出世物語。『大番』の二番煎じ、という感じもしますけど、新潟出身の男が、上京して、株で浮き沈みを体験しながら、最後は成功する、というお話でしたから(実物を確認するつもりでしたが、現物が見つからなかったので、若干違うかもしれません)、田中角栄などのイメージも含まれていたのかもしれません。
あとはどれをとっても似たようなもの。天国は青春にありとお嬢さんは適齢期をとりあえず挙げておきますが、別にどれでもいいと思います。明朗青春恋愛小説ですが、貧乏も無ければセックスも無い。例えていうなれば東宝のプログラム映画のようなもので、今読むと、その味わいこそ、高度成長時代の日本の健全性を反映しているのかも知れません。
1.遠き落日
2.花埋み
3.雪舞」私は渡辺淳一の良い読者ではありません。トータルで10冊も読んでいないのではないかと思います。過激な性愛描写で話題になった「失楽園」も「愛の流刑地」も読んでいません。にもかかわらず、ここで取り上げようと思ったのは、彼の作品が原作の映画を随分見ているからではないかと思います。「化身」、「阿寒に果つ」、「別れぬ理由」、「ひとひらの雪」、随分見た覚えがあります。でもこれらの作品のどれも、作品の印象よりも出演ていた女優さん、黒木瞳であったり、五十嵐淳子であったり、秋吉久美子であったりするわけですが、その印象の方が強く残っています。文学作品を映画化すると、原作の印象を損ねてしまうことはよくあることで、今、私が映画作品の印象をはっきり持っていなかったからとして、原作の価値がないというわけではないのですが、私にとっては、映画を見て、原作を読んでみようと思った作品はあまりなかった、というのが正直なところです。
例外的なのが、遠き落日。この映画ははっきり言って駄作ですが、原作は非常に力作でした。野口英世という日本人なら誰でも知っているような大細菌学者。その虚像を剥ぎ、実像を明確に示した点で、この評伝は非常に価値があります。野口の偏執狂的性格と完全に破綻した金銭感覚をここまで完全に記した点で、また、野口の業績が梅毒の病原菌がスピロヘータであることを示した1点であること。にもかかわらず、日本を代表する立身出世型偉人としてその像が示された道筋がよく書かれていて、大変興味深く読んだことを覚えています。
渡辺の作品は、普通の恋愛小説よりも評伝や、医学に題材をとったものに良い作品があるのではないかと思います。花埋みも評伝です。日本最初の女医、荻野吟子の生涯。荻野の生涯は野口英世とは別の意味で波乱万丈です。夫に性病をうつされて、その治療のために男性に秘所を見せなければならない恥ずかしい経験から女医の必要性を痛感し、幾多の苦難に負けずに女医になる前半生と、13歳年下の男性と知り合って、キリスト教を背景にした理想郷の建設に理想を燃やして北海道に渡り、挫折していった後半生。このような激しさこそが、渡辺淳一の興味の対象のようにも思います。
3冊目は雪舞にしましょう。渡辺は、昭和43年札幌医科大学で行われた日本初の心臓移植手術を批判して、当時の職であった札幌医科大学講師の職を辞めることになります。そのときの彼の問題意識は、医師が人の生死の判断を現実に握っていて、悪魔的な意図があれば、合法的に人をあやめることが出来ることに対する怖れだったと言われています。そのような怖れが彼の文学的ドライビングフォースとなって初期の作品が書かれたといわれていますが、生命に対する「怖れ」あるいは「畏れ」の感情の一つの文学的結実が私はこの雪舞であるように思います。
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