読み物作家たちのベスト3(その1)
目次
愛川 晶 | 赤川 次郎 | 赤瀬川原平 | 赤瀬川 隼 | 阿川佐和子 | 阿川 弘之 | |||||
浅田 次郎 | 姉小路 祐 | 阿部 牧郎 | 鮎川 哲也 | 五十嵐貴久 | 生島 治郎 | |||||
池井戸 潤 | 石川 達三 | 石坂洋次郎 | 泉 麻人 | 井上ひさし | 井上 靖 | |||||
井伏 鱒二 | 江上 剛 | 江戸川乱歩 | 海老沢泰久 | 遠藤 周作 | 逢坂 剛 | |||||
大沢 在昌 | 荻原 浩 | 折原 一 |
- ダイニング・メッセージ
- 根津愛(代理)探偵事務所
- 巫女の館の密室
愛川晶といえば根津愛。美少女探偵として活躍し、ワトソン役で20歳近く年上の「キリンさん」こと桐野義太に慕われる女子高生。こういう探偵のキャラクターが好きです。変わった探偵といえば赤川次郎、ということになるのでしょうが、本格推理小説の探偵という意味では、根津愛は相当キャラの立った存在です。そして、住んでいるのが仙台で活躍するのが宮城県、というのも好いではありませんか。そんなわけで、根津愛もの3冊をあげます。
「ダイイング・メッセージ」ならぬダイニング・メッセージ。料理ミステリーの連作短編集です。この作品が好きなのは、登場人物が定型化したからかもしれません。連作ゆえに、根津愛の父親・根津信三と桐野との会話が定型的に進み、物語の構造もよりはっきりした作品で、ミステリーの論理性がクリアです。事件がなくても推理小説が成立することを示したのが北村薫とすれば、名探偵の推理により事件を未然に防いでみせた究極の名探偵になって見せたのがこの作品における根津愛かもしれません。
根津愛(代理)探偵事務所も料理ミステリーの傑作。愛川晶の料理ミステリーは、料理のレシピそのものがトリックであったり、解決の鍵であるものが多く、とてもソティスフィケートされています。短編集ですが、ダイニング・メッセージのような連作でない分、一貫性が感じられないことから第2位にしましたが、本格ミステリーという意味では、ダイニング・メッセージより本格的かもしれません。
巫女の館の密室は愛川晶のオカルト趣味が色濃く出た伝奇的な雰囲気濃厚の本格ミステリーです。勿論探偵は根津愛。根津愛は料理ミステリーでもトリビア的発言が豊富ですが、この作品のような伝奇的雰囲気濃厚な作品では、宗教学的、民俗学的発言が濃厚です。トリックは相当突拍子もないもので、唖然としましたが、論理に破綻はなく、本格推理小説として楽しめるものです。私の趣味から言えば、名探偵・根津愛は、このようなオカルト的事件で活躍するよりも料理ミステリーで活躍してほしいと思います。
- 幽霊列車
- 三毛猫ホームズの推理
- セーラー服と機関銃
赤川次郎のベスト3、本当に難しい。私の本棚の内4段は赤川次郎の文庫本で占められているのですから、読んでいる数は半端じゃないのですが、内容が頭に残っているというのはほとんど皆無です。読んでいる最中は、それなりに楽しんでいるわけですが、あとまで感動が残るということは、まあない。ということは、どれを選んでも大きな差はない。というわけでエイ、ヤ、で選んだ3冊です。
幽霊列車は、赤川氏の出世作となった、短編連作で、探偵役の女子大生永井夕子と語り手の中年警部宇野喬一とが活躍する、「奇妙な謎」を論理的に解き明かそうとする。ユーモア連作集と書かれることが多いのですが、赤川氏の作品群の中では最も本格的な推理小説です。
三毛猫ホームズは、赤川氏の生んだ数多いキャラクターの内でも最高の人気を誇るキャラクターですし、三毛猫ホームズシリーズは、最人気シリーズのはずです。数多い作品が有ります。ところが近作になればなるほどレギュラー登場人物のキャラクターが形式化して行って(例えば、石津刑事の大食いみたいなやつですね)、その上登場人物のキャラクターを無理やり生かそうとするものだから、作品のリアリティがどんどん失われて行って苦しいです。それに対して、シリーズ第1作の三毛猫ホームズの推理は、まだ登場人物のキャラクターが固まっておらず、ストーリーが登場人物に負けていない、というよりも登場人物に必然性がある所がいいです。ユーモア推理小説というジャンルは、多分天藤真が確立して赤川次郎が発展させたのだと思いますが、そのジャンルの代表作だと思います。
話の設定で笑わせるシチュエーション・コメディ的作品が多いのも赤川氏の特徴です。主人公一家が泥棒、殺し屋、詐欺師、警官という「ひまつぶしの殺人」や、今野淳一、真弓の泥棒・刑事夫妻が活躍するシリーズもあります。そのシチュエーション・コメディ的作品群の中で1冊を選ぶならば、セーラー服と機関銃という選択になります。女子高生が突然つぶれそうなやくざの組長になって活躍するというのは、読んで楽しいお話です。映画にもなり薬師丸ひろ子が主演でした。映画は封切り時に見ましたが、薬師丸ひろ子って、声に魅力のある女優さんだ、そして、ラストで機関銃を撃ちながら「カイカーン」というシーンは、TVコマーシャルでも流れましたが、劇場で見るともっとよかった、と思った記憶があります。
- 我輩は施主である
- 新解さんの謎
- 老人力
赤瀬川原平はマルチタレントの人で、前衛美術家であり、パロディ作家であり、純文学では尾辻克彦のペンネームで芥川賞をとり、随筆家としても一級の方です。1937年横浜生まれ。そのなかで、最も原平さんらしいのはパロディ作家の部分だろうと思います。要するに、物事を斜めから見る。あるいは横から見る。そうしてそれらを大真面目に論じると、出てくる味わいはすっとぼけたものになるのは必然です。
すっとぼけた味わいこそ赤瀬川原平の真骨頂だとすれば、その味わいは随筆に現れることは言うまでもありません。どれも独特の味わいがあっていいのですが、私が好きなのは、まず、我輩は施主であるですね。この作品は、赤瀬川原平が自分の家「ニラハウス」を建てる顛末を書いた作品で、一部は潤色が入っているのでしょうね。多分。でも藤森照信教授と縄文建築団の面々による面白がりのボランティア精神と、何しろ自分の家を自分の手に取り戻そうとする施主の気持はとても勇気があります。私も家を建てましたがほとんどが工務店任せ。原平さんのような積極的介入はとても出来ないだけに、とても魅力的でした。
尾辻克彦以上に赤瀬川原平の名前をメジャーにしたのが新解さんの謎でしょう。国語辞典を引く人は日本人であれば当然の如く沢山いるだろうし、新明解国語辞典だってベストセラーの国語辞典ですから、愛用している人は多いでしょう。その説明が他の辞書と比較して結構突っ込んだ書き方をしていることはよく知られていましたが、この辞書を擬人化して論じて見せようというのは、やはり、原平さんあってのことです。
さらに、赤瀬川原平の名をメジャーにしたのが老人力。発見者は発見者は藤森照信と南伸坊。発見されたのは赤瀬川原平です。要するに還暦を過ぎて物忘れが出てきた赤瀬川を彼らが発見し、赤瀬川原平自身が定義づけて行ったわけですね。赤瀬川原平は、「ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」というのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい。」といいます。こういうすっとぼけながらもポジティブな見方こそが赤瀬川原平の本領であり、その代表として老人力を挙げるのは当然のように思います。
- 球は転々宇宙間
- 獅子たちの栄光-西鉄ライオンズ銘々伝-
- 秋日和
日本人はこれだけ野球が好きな国民なのに、赤瀬川隼が登場するまで、野球小説はほとんど不毛の分野でした。もちろん例外はあります。例えば、杉森久英の「黄色いバット」。阿久悠の「瀬戸内少年野球団」もそうかもしれない。それでもこれらの作品は、野球が重要なファクターではあるけれども、青春小説であったり、ノスタルジーの文学だったような気がします。純粋に「野球」を小説に取り上げた日本人最初の作家が最初の人が赤瀬川隼だったのではないかしら。となれば、赤瀬川隼のベスト3は、全て野球小説で占めさせるのがよいかもしれません。しかしそれだけではやっぱり寂しい、ということでこのような選択にしました。
球は転々宇宙間は、赤瀬川隼の処女作にして、第4回吉川英治文学新人賞を受賞した傑作。日本の野球小説のさきがけとも申し上げましょう。この作品が執筆されたときの日本のプロ野球は、東京近郊と大阪周辺と名古屋と広島に一チームずつという状況でありました。赤瀬川隼は、中央集権型のチーム配置をやめて、地方にチームを配置し、地元の選手をそのチームに入れるというスタイルを考え出しました。この赤瀬川の近未来の予想は、20世紀中には達成できなかったわけですが、2007年の今、どうなったか、ということを考えると、将来を予想していたことになるのでしょうね。
私も野球を見続けてそろそろ40年になるのですが、一番魅力を感じるのは、昭和30年代前半の野武士・西鉄ライオンズです。西鉄ライオンズ全盛期にこの世に生を得た私は、西鉄の力を自ら見たことはないのですが、このチームを語った多くの書物でそれを体感してきました。獅子たちの栄光-西鉄ライオンズ銘々伝-もその一つ。九州出身の赤瀬川こそ西鉄の伝説を書くにふさわしいと思わせるノン・フィクションです。
野球小説以外の作品でもなにか取り上げたいと思って選んだのが秋日和です。短編集なのですが、収載された作品の多くは、中年の男性と、比較的若い女性(と云って20代の若者ではない)の淡い恋愛を書いた作品です。作者が男だから、男の視点でかかれているのですが、実に人情の機微が上手く捉えられています。今、自分が中年男性だから特に身に詰まされます。
1. 走って、ころんで、さあ大変
2. 阿川佐和子のアハハのハ
3. 屋上のあるアパート
あれは多分1972か73年頃だと思います。思いっきり曖昧なのですが、「オール読物」か「小説新潮」に有名人の美人令嬢のような企画で、阿川弘之さんのご令嬢として、慶応大学文学部在籍中の阿川佐和子の写真が載ったのを見たことがあります。当時中学生だった私は、なかなか美人だな、と印象深く思っていたのですが、この方がテレビのニュース・キャスターとしてテレビに登場し、その後テレビタレント、エッセイスト、そして作家として大活躍するようになるとは、当時はもちろん思っても見ませんでした。
それにしても「蛙の子は蛙」とは良く言ったものです。阿川佐和子のエッセイの味わいは、どこか父上の随筆の味わいに結びつくところがあります。彼女のエッセイはどちらかといえば自虐的なものが多いと思いますが、このような自分を突き放してみる客観性は、作家の資質として重要で、エッセイストから作家に変わって行くのは自明でした。そのエッセイの中から1冊選ぶとすれば、まだ十分にこなれていないけれども初々しさの残るを走って、ころんで、さあ大変とりましょう。もちろん他の随筆集でも当然良いのですが、「業界」で翻弄されている様子がおかしいこの作品は代表作だと思います。
対談の名人といえば、かつては徳川夢声、遠藤周作など何人もおりましたが、最近は、林真理子と阿川佐和子の二人に絞られます。週刊文春を私は時々購入するのですが、その楽しみに「阿川佐和子のこの人に会いたい」を読むことにあります。14年目で650回を越える連載の実績は、テレビに黒柳哲子という怪物がいるものの、ライバル林真理子の360回を大幅に引き離しています。この対談集が5冊出版されていますが、2冊目の阿川佐和子のアハハのハを挙げましょう。別にどれでもいいのですが、週刊誌のタイトルをそのまま使った「阿川佐和子のこの人に会いたい」よりも、タイトルで。ちなみにこの5冊のタイトルは、「阿川佐和子のこの人に会いたい」、阿川佐和子のアハハのハ、「阿川佐和子のガハハのハ」、「阿川佐和子のワハハのハ」、「阿川佐和子の会えば道づれ」で2冊目、3冊目、4冊目の笑い声を繋げると「アガワ」になります。
エッセイスト、対談ホステスとしては十分なキャリアを誇る阿川さんですが、小説家としてはこれからのようです。もちろん「ウメ子」で坪田譲治文学賞を受賞されておりますが、私は「ウメ子」をそんなに買わない。それよりも良いのは屋上のあるアパートです。軽い都会小説で、深刻でも重厚でもなくさらっと読める。そこに、父上の中間小説とどこか相通じるものがあります。
1. カレーライスの唄
2. 末の末っ子
3. 南蛮阿呆列車
真面目に考えれば、阿川弘之の代表作はいわゆる「海軍もの」です。初期の作品から選ぶのであれば「雲の墓標」、それから「山本五十六」、「米内光政」、「井上成美」といった提督ものは、阿川氏の文章の上手さを堪能できてどれも結構です。でもね、以上のような代表作は本欄の趣旨にふさわしくない。はずします。で、読み物小説から3冊を選んだのですが、どれでも結構面白いです。でも中々読めないのですね。
阿川さんの年譜を見ていると、昭和30年代に新聞の連載小説や週刊誌のそれに、軽妙な読み物小説を結構書かれています。タイトルを挙げると、「ぽんこつ」、「カレーライス」、「あひる飛びなさい」、「銀のこんぺいとう」、「黒い坊ちゃん」などですね。私は、これらを一通り読んでいるのですが、全部読むまで結構時間がかかりました。最初に刊行された成書は絶版になっていましたし、中々文庫化されない。図書館を探したり、やっと文庫化された作品を購入したり、という具合で、10年ぐらいかけて全部読みました。その中で一番楽しめたのがカレーライスの唄(「カレーライス」の改題)です。中身は、不景気で倒産に瀕した出版社に勤める六助と千津子が、オートメーションの計器会社に在庫の本を売りに行き、社員食堂のカレーをご馳走になって舌鼓を打ったのをきっかけに、二人でカレーライスやさんを開業するに至るまでのお話。この作品と「あひる飛びなさい」は、一緒にされて昭和40年代にNHKでドラマ化されています。千津子役は十朱幸代でした。「ありがとう」のマッチのエピソードなんかを断片的に覚えているのですが、メインのタイトルは覚えていない。残念です。(しもん様にご教授頂きました。このテレビ番組はタイトルが「あひるの学校」。主演は、芦田伸介、長女が十朱幸代、 次女加賀まりこ、三女が三津田葉子でした。)
末の末っ子は昭和50年、著者54歳の時にかかれた家庭小説です。「黒い坊ちゃん」以降の阿川さんの読み物小説は、「犬と麻ちゃん」、「いるかの学校」があるわけですが、末の末っ子が楽しめると思います。50歳を過ぎて出来た4人目の子、このエピソードを中心に阿川弘之の分身の作家「野村耕作」の一家のてんやわんや劇を、軽快な筆致で書きます。ちなみに長女の佐和子さんは、この時高校生から大学生。なお、タイトルが「末っ子」ではなく、末の末っ子になったのは、作者が昭和42年46歳の時に次男の誕生の顛末を「末っ子」というタイトルで発表しているから。
阿川弘之が鉄道、船舶、自動車、飛行機のいわゆる交通が大好きなことは周知の事実。これらのものを取り上げた作品群から何か一つ選ぼうと思いました。「きかんしゃやえもん」でもよかったのですが、これは幾らなんでも受けを狙いすぎています。「ぽんこつ」(自動車)、「あひる飛びなさい」(航空機)、「銀のこんぺいとう」(白バイ)という線でもよかったのですが、エッセイも捨てがたいということ南蛮阿呆列車を選びます。これは勿論内田百閧フ「阿呆列車」へのオマージュであります。面白い話が盛沢山ですが、白眉はやはり「欧州畸人特急」でしょう。遠藤周作、北杜夫の両名との珍道中をエスプリの利いた筆致で描きます。
1. 椿山課長の七日間
2. 天国までの百マイル
3. 鉄道員(ぽっぽや)
「平成の泣かせ男」、「小説の大衆食堂」、浅田次郎については、そういったキャッチ・フレーズが付きます。勿論意識的にそのような作品を執筆しているのでしょうが、そのウェットさゆえに、嫌いという方も少なくないようです。とはいえ、日本の大衆小説の伝統を受け継ぐストーリーテーラーであることは疑いないところです。作家としての力量や作品の出来栄えからいえば、「壬生義士伝」、「蒼穹の昴」、「輪違屋糸里」、「珍妃の井戸」といった時代小説や中国に題材を得た小説をとるべきなのでしょうが、私はあざといお涙頂戴系の作品を選びたい。ということで選んだ3冊です。素直に読めば、どれもジンとくる佳品です。
椿山課長の七日間は、「男らしさ」とか、「子供のけなげさ」とか、「義理人情」といった一寸レトロな価値観を表に出した作品です。突然死した46歳デパートの課長、誰かに間違えて撃たれて死んだヤクザの男、交通事故によって死んだ少年、現世に思いを残すこの3人、他人の肉体を借りて7日間だけ現世へ舞い戻る。そして行う自分探し。緩みのない構成で、現実にはありえない世界を、現実以上にリアルに表現してみせる技こそが浅田の真骨頂なのでしょうね。
天国までの百マイル、こちらも絵に描いたような浅田ワールド。出来損ないで破産した弟、良く出来、社会的には地位のある兄や姉。そういう兄弟たちの中で、苦労して子供たちを育てた母親が心臓病で死にそうになったとき一番親身になるのは、勿論「出来損ないで破産した弟」です。都内の大学病院で手術は無理といわれた母親を、神の手の持ち主といわれる曽我医師のいる千葉・鴨浦のサン・マルコ記念病院に、自分の運転するワゴン車に乗せて連れて行こうとする。そのとき見える人情と冷たさ。登場人物がいかにも浅田的で、ファンにはたまらない濃さです。
鉄道員。1997年第117回直木賞受賞作。浅田の代表作であることに間違いない。泣かせの浅田の面目躍如と申し上げましょう。短編集ですが、収載されているどの作品も珠玉の浅田ワールドです。
1. 「本能寺」の真相
2. 動く不動産
3. 法廷戦術
二時間サスペンスドラマの原作者として欠かせない方、なのだそうです。朝日岳之助というキャラクターの立った弁護士を生み出したがゆえなのでしょう。でも姉小路祐の法廷ミステリーって、小説としてのコクが足りないように思います。割と構想が大きく、ミステリー的ロジックも楽しめるのですが、それが十分に書き込まれていなくて、今ひとつ踏み込み不足なのですね。読み捨て小説としては十分の水準にあると思うのですが、読後感を長期に維持できない感じがします。そんなわけで、「刑事長」シリーズも、「朝日岳之助」シリーズからも作品は選ばないことにします。
「本能寺」の真相は、いわゆる歴史ミステリーです。歴史ミステリーとしては、高木彬光の「成吉思汗の秘密」のように荒唐無稽な仮説を論理的に証明するというのがひとつの行き方ですが、これもその類。ただし、「成吉思汗の秘密」ほど緻密な雰囲気はないです。そこが姉小路祐の弱さです。明智光秀にもっと焦点をあてて緻密に論証すればよいのに、「現実の事件」と「過去の事件の新たな考証」というスタイルにしたため、現実の事件がすっかり影が薄くなってしまいます。「本能寺の変」に関しては、実際よく分からないところが多く、それだけにいろいろな仮説を立てる余地があるわけですが、今回の姉小路仮説もなかなか説得力があります。
動く不動産は、1991年の横溝正史賞受賞作で、姉小路祐の代表作とも言うべき作品です。探偵役の石丸伸太は代書屋さん、即ち司法書士です。姉小路祐は大学院卒業後、司法書士を仕事にしていたことがあったそうで、それだけにリアリティがあります。地価が急騰を続けるバブルの絶頂期の大阪が舞台です。登記制度というなかなか難しい制度を説明するために、代書屋の兄と、何も知らない妹を配置した設定は、クリーンヒットだと思います。不動産登記のルールを石丸伸太にしゃべらせるのですが、巧みな大阪弁で分かりやすいです。土地登記詐欺と密室殺人事件、この二つが軽快に解決されます。この作品も姉小路の一つの特徴であるディーテールの弱さが目に付きますが、面白い作品です。
結局のところ、姉小路祐の特色は奇抜なプロットを作り上げるのは上手であるが、肉付けが薄い作家、といえるような気がします。であれば、奇抜なプロットだけで勝負できる作品は、かれの魅力を十分に発揮できるでしょう。その一例が法廷戦術です。6篇の短編小説からなる作品集ですが、短編小説ならではの鋭いコントが含まれています。
1. それぞれの終楽章
2. 豪胆の人-帝国陸軍参謀長長勇伝-
3. 焦土の野球連盟
阿部牧郎といえば、スポーツ紙連載のポルノ小説作家のイメージが強いです。「情事の追跡者」、「夜の息づかい」、「キャリア・ガールズ」、「金曜日の寝室」。どれもそれなりの面白さがあるが、ポルノ小説は小説の面白さで読ませているのか、という疑問があるので、3冊からははずします。
それぞれの終楽章、昭和62年下期第98回直木賞の受賞作です。50歳になって郷里に帰る、作者の分身とも思える作家の「矢部宏」が、自殺した友人の森山の葬儀に出ようと、3年ぶりに奥羽本線沿いの郷里O町に帰るところから始まります。森山は矢部にとってクラシック音楽への蒙を啓いた恩人であり、中高時代もっとも影響を受けた友人です。矢部は、森山の自殺の原因を探って行きます。その結果、彼自身に最も影響を与えた「故郷」を省みることができるのです。初老になった一作家が自分の少年時代を見つめなおすスタイル。一種の青春小説ですが、人生の第4楽章から昔を回顧すると云う形で深みを与えています。
阿部牧郎は色々なジャンルの読み物を書いている人ですが、その中に「伝記」があります。この方の取り上げる主人公は、どちらかというと悪人。「大阪を作った男」では政商・五代友厚をとりあげていますし、「勇断の外相 重光葵」などという作品もあります。私は、その中でも最もマイナーな長勇の伝記豪胆の人-帝国陸軍参謀長長勇伝-を挙げます。長勇は、陸軍省勤めの参謀から、最後は沖縄戦の日本軍の参謀長として参戦し、戦死した人です。戦争が始まるまでの生き様はエキセントリックで好きにはなれませんが、面白いエピソードが沢山ある人です。普通、伝記に取り上げがたい人の伝記、というのがなかなかいいと思います。
阿部牧郎の作品の大きなテーマに「野球」があります。その中には「夕日の球団」、「ドン・キホーテ軍団」、「狼たちが笑う日」などが代表作なのでしょうが、そのジャンルから焦土の野球連盟を選びます。これは、終戦直後の昭和22年1年だけで消えた「国民リーグ」の苦難の歴史を、洋傘製造で成り金となった「大塚アスレチックス」オーナー・大塚幸之助の生き様を中心に描いた作品です。
1. 憎悪の化石
2. りら荘事件
3. マーキュリーの靴
鮎川哲也は、若い頃日本のクロフツなどと称されていたこともありましたが、その後本格物のカリスマとして、新本格派を含む多数の作家研究者に敬愛されました。長年生年不詳で通してきましたが、実は、1919年東京生まれでした。2002年9月24日没。本名中川透。1948年1月、那珂川透名でデビュー、1950年「宝石」の百万円コンクールで「ペトロフ事件」が第一席に入選、1956年の「黒いトランク」より「鮎川哲也」というペンネームを使用していたそうです。典型的な寡作家で、それだけに出版された作品に屑は少なく水準の高い作品が多いと思います。彼が創造した探偵は、「鬼貫警部」、「星影龍三」、それに「三番館のバーデン」の3名でそれぞれの活躍する作品から一作ずつ選択しました。
鬼貫警部と丹那刑事のコンビは、非常に地味な探偵コンビですが、警察官型名探偵の代表として、多くのエピゴーネンを生み出しました。直接のパロディとして有名なのは、小林信彦の鬼面警部と旦那刑事のコンビ。西村京太郎の十津川警部と亀井刑事のコンビも、鬼貫・丹那の亜流と申し上げてよいのでしょう。彼らの登場する作品には、壮大なアリバイトリックが使われるものが多く、本来の代表作は「黒いトランク」なのでしょう。でも私は、「黒いトランク」を大傑作であることを認めながらも、他の作品を取りたい。読みごたえで行けば、「黒い白鳥」や「人それを情死と呼ぶ」も結構ですが、本格物らしい複雑な論理性で憎悪の化石をとりたいと思います。
星影龍三を探偵役とした作品では、りら荘事件で決りでしょう。鮎川は、推理小説とは、作者が読者にミスリードを誘うように伏線を引くのかが勝負、という趣旨の発言をしたことがあります(原文に当たろうとしたのですが、見つからず)。その意味では、伏線を上手に引きながら最後にきっちりと解決していくこの作品は、小説としての出来はともかく、パズルとしての出来は最高だと思います。
三番館のバーデンは、カウンターの中でカクテルを拵えているわけですから、アームチェア-探偵と呼ぶのはおかしいのかも知れませんが、もちろんアームチェアー探偵です。実際に事件を持ち込むのは、太っちょで汗っかきの弁護士から事件の調査を請け負う私立探偵で、弁護士の説明と探偵の調査が、謎の提示、バーテンの説明が謎の解決となります。この三人のレギュラーにも名前があたえられていないことからも分るように、推理小説の持つパズル以外の部分をどんどん削ぎ落していくとこうなるのだろうな、と思わせる内容です。優れた短編が多いのですが、代表作の一つとして、マーキュリーの靴なる短編を取り上げましょう。
1. 2005年のロケットボーイズ
2. 1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター
3. 1985年の奇跡
五十嵐貴久は、シチュエーションで勝負する作家です。青春小説、時代小説、サスペンス物、ホラーと間口は広いのですが、共通するのは、一寸変わった状況を設定して、それを解決するという手法。例えば、「安政五年の大脱走」という作品では、時の大老・井伊直弼に謀反の疑いをかけられた南津和野藩の藩士50人が姫君とともに、断崖絶壁の山に幽閉される、というシチュエーションですね。当時の時代状況を考えたり、或いは、神奈川県の地形を見れば、現実にこのような事件があろう筈がないのですが、そういう設定をつくって見せれば話は動き出します。
そういう特殊な状況をつくって見せて、その解決を見せるというのが五十嵐作品の特徴です。高校生、あるいは高校時代の追想を目的に書かれたこの3冊の青春小説も例外ではありません。発表年は、1985年の奇跡が2002年、2005年のロケットボーイズが2005年、1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーターが2007年です。とり上げている素材は1985年の奇跡が高校野球、2005年のロケットボーイズがロボットコンテストならぬロケットコンテスト、1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーターがオバサンのバンドです。
高校野球もバンドも青春小説の素材として広く取り扱われてきました。しかしながら、五十嵐の作品はひねりが効いています。1985年の奇跡の舞台は都立小金井公園高校。野球部は9人しか居らず、練習よりも「夕焼けニャンニャン」を見るのが大事という、実際はよくいる高校生集団。そこに、エースが転校してきて、あれよあれよと勝ち進む。弱小野球部にエースが来て勝ち進む、というのもよくあるストーリーですし、この作品自身実に戯画的ですが、熱血野球小説にはならないところが、この作家の持ち味なのでしょう。
野球に賭ける青春は、高校生の一つの典型なのでしょうが、実際の高校生は、多種・多様な部活動、課外活動をやっています。2005年のロケットボーイズは、野球以外の青春の例として、落ちこぼれの工業高校生が、超小型人工衛星のキューブサットを作ってしまう、というお話です。落ちこぼれと引きこもりと老いぼれによる人工衛星作製。勿論非現実的なのでしょうが、実に熱血です。非熱血野球小説の次は、熱血理系小説なのですね。これを1位に推します。
1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーターが三部作の最後なのでしょうが、今度の主人公は44歳の主婦。楽器演奏の経験のない普通の主婦が、幼馴染の誘いでバンドを始める。目標は、コンサートで、ディープ・パープルのスモーク・オン・ザ・ウォーターを一回演奏すること。それぞれ家庭に問題を抱える主婦たちが目標に向って頑張る姿はじつにかっこいいと思います。
1. 黄土の奔流
2. 追いつめる
3. 星になれるかベスト2はしょうがない。傑作です。勿論黄土の奔流の代わりに「夢なきものの掟」でもいいし、「死ぬときは独り」でもいいと思う。でも、大人向きに書かれた冒険小説の最初の傑作という意味では黄土の奔流は絶対はずせない。
黄土の奔流、ストーリーが気が利いている。1920年代の上海から話が始まる。北伐前の内情不安で破産した主人公紅真吾が、押しの強い大手商社の支店長河村を偶然助けた事によって、重慶まで豚毛を買い付けに出かける事になる。それから食い詰めた怪しい連中を集めてチームを作り、内戦、河賊、土匪、難破の危険にさらされながら、揚子江をさかのぼる。チームのメンバーはいずれ劣らず一癖も二癖もある大陸浪人。これらが多様に絡んで、裏切り、どんでん返し、虚虚実々の駆け引き、アクション、とエンターティンなサービス満点。そしてタフでセンチメンタルな主人公。近年は日本でも冒険小説として面白いものはどんどん出てきている。でも、1960年代に発表されたこの作品を超えた冒険小説が出たのはきっと80年になってからだと思う。
追いつめる、日本のハードボイルドの金字塔で直木賞受賞作。面白い事は面白い。暴力団を追跡中に同僚の警官を誤射し、退職した警官が、妻と離婚し、娘と別れ、巨大な暴力団組織に立ち向かう。クールでタフだがセンチメントな主人公志田司郎。これも伏線が効いていて、主人公は肉体的にも精神的にも傷つきながら、ターゲットを追いつめてゆく。正に固ゆでです。ただ、現代の目で見ると、一寸古くなった。ディーテイルも60年代の小説です。
蛇足、志田司郎は生島治郎が創作した最高のヒーローのようで、その後いくつもの作品に登場している。しかし、その後の作品では単なるハードボイルド探偵に成り下がっていて、追いつめるで見られた緊迫感が無くなっている。これは一寸詰まらない。追いつめるで志田は妻子と別れる。妻はともかく別れるとき三歳だった娘が大人になって訪ねてきて、事件に巻き込まれる、といった風な話は書けるだろうと思うのだが。第三作目は、片翼シリーズから選ぼうかと思った。しかし、残念ながら近作の「暗雲」を読んでいない。本業には、挙げたい作品が一杯ある。例えば、「ダイヤモンドは我が墓石」、「賭けるものなし」、「友よ、背をむけるな」、「傷痕の街」、「死者だけが血を流す」、「殺しの前に口笛を」、「汗血流るる果てに」、「男たちのブルース」、「運命を蹴る」、「ブラック・マネー」そして、「夢なきものの掟」「死ぬときは独り」。いろいろ考えたが、編集者時代を回想した星になれるかにする。生島治郎の編集者時代の思い出が結構楽しい。
1. 空飛ぶタイヤ
2. オレたちバブル入行組
3. BT’63元銀行員(旧三菱銀行出身)のミステリー作家です。銀行を舞台にした作品が多く、ミステリーとしてよりも経済小説作家として見られることが多いそうですが、池井戸自身はミステリー作家だと言っています。どくたーTは、ここ2年ぐらいで、池井戸の単行本はほとんど読みましたが、確かに銀行を舞台にしていない作品はあまりありません。しかし、銀行を舞台にしない作品に面白い作品が多いと思います。
空飛ぶタイヤは、池井戸が唯一ミステリーではなく「経済小説」としている作品です。モデルは、2002年に起きた三菱自動車のリコール隠し、三菱ふそうトラック・バスのタイヤ脱落事故を題材にした作品です。三菱はこの本の中ではホープ自動車、ホープ銀行等ホープグループとなっています。主人公は、被害者である赤松運送の赤松社長なのでしょうが、ホープ自動車の沢田、ホープ銀行の井崎の3つの視点から並行して書かれ、その結果、物語の重層感が出ています。その結果単なる経済情報小説で終わっていない面白さがあります。
オレたちバブル入行組は、作者がミステリーと分類していますが、一番等身大の銀行が描けている作品ともいう作品です。軽妙な味わいの勧善懲悪色の強い作品ですが、池井戸が今中間管理職になっている同期入社の仲間たちへのエールと言っているだけあって、後口の良い作品だと思います。
空飛ぶタイヤは大企業の横暴に苦しむ中小運送業者が主人公だったわけですが、運送業を舞台にした作品にはもう一つBT’63があります。というよりも池井戸の作品の舞台は銀行と運送業者に限られているのでは?。池井戸さんは銀行員当時運送業の融資を担当していたのかもしれません。「タイムスリップもの」という言われ方もしますが、「1963年のボンネットトラック」という題名どおり、高度成長期に入る直前の日本の運送業を舞台にした経済ミステリーです。東京オリンピック開幕前のダイナミックな変化を遂げる東京を舞台に組織犯罪に巻き込まれた運送業者の戦い、と書けばそのままキャッチフレーズになりそうですが、そういう作品です。
1. 金環蝕
2. 青春の蹉跌
3. 日陰の村第1回芥川賞作家であり、第二次世界大戦後は新聞小説作家として揺るぎない地位を得た大作家です。1905年秋田県に生まれ、東京や岡山で育つ。早稲田大学中退。文学史的には、プロレタリア文学と新感覚派の後のいわゆる昭和10年代文学の一員ですが、石川はルポルタージュ的手法を小説世界に持ち込み、その強い社会性に特色があります。戦前は、芥川賞受賞作である「蒼氓」、日陰の村、「生きてゐる兵隊」等を発表しましたが、「生きてゐる兵隊」で新聞紙法違反により起訴されました。主たる活動は戦後で、社会的意識の強い作品を沢山発表し、1985年に亡くなりました。
わたしは石川の作品は中学生時代に自伝的小説「私ひとりの私」を読んで興味をもったのですが、当時のアイドル歌手、郷ひろみが石川達三を愛読しているという話を聞き、それからは自分ではあまり読まなくなった、という思い出があります。「アイドルが好む小説なんか読めるかい」ぐらいの気持ちだったに違いありません。そんなわけで、読んでいない作品も多いのですが、そこは多作の石川作品、3冊ぐらいはすぐに上がります。
まず最初は金環蝕でしょう。私はこの作品を読む前に、山本薩夫監督の映画「金環蝕」を見ているのですが、映画もなかなか傑作でしたが、原作も良いものです。1966年サンデー毎日に連載された週刊誌小説ですが、題材は、1964年の自民党総裁選挙を背景にした汚職事件いわゆる森脇・吹原産業事件です。「周りは金色の栄光に輝いているが、その中身は真っ黒に腐っている」というのがタイトルの意味ですが、この作品には、そのタイトル通り、ドロドロに腐った腹黒い者たちが多数登場して、気持ち悪いものがあります。調べて書いた小説としての代表作と申し上げてよいでしょう。
石川達三の大きな流れは、「蒼氓」、「風にそよぐ葦」、「人間の壁」、金環蝕に至る社会派小説がありますが、もう一つの系列として、若者の生き方を先鋭的に描いた青春小説のジャンルがあります。その代表作は「僕たちの失敗」などがありますが、私は、青春の蹉跌を取ります。学生時代に司法試験に合格するような秀才・江藤賢一郎の物語です。彼のエゴイズム信仰と、形式的法律万能主義の行き着く先を戯画的に描いており、石川のいかに生きるべきか論の裏返しとして面白いものです。この作品も映画になりました。神代辰巳監督、1974年のことです。
第三作目は、戦前の作品から取りたいと思います。あまり有名ではありませんが、日陰の村はいかがでしょう。昭和12年に発表された社会派小説。小河内ダムの建設で湖底に沈む村を舞台に、その建設までの住民の様子を、綿密な取材に基づいて描いています。私が彼の戦前の作品で一番好きなものです。
1. 青い山脈
2. 風と樹と空と
3. 石中先生行状記
石坂洋次郎にはいわゆる代表作が4作あると思います。まず戦前の「若い人」、次いで、昭和22年の新聞小説青い山脈、それに昭和31年の「陽のあたる坂道」、そして、当時は大胆なセックスの言動で話題になった「光る海」です。その中で唯一作を挙げるとしたら、私は青い山脈をとりたい。石坂洋次郎の青春小説の原型は、「若い人」にあるわけですが、青い山脈の方が、小説として面白いと思います。青春小説の前向きの明るさと、終戦後の時代の明るさとがうまくマッチして、一世代を風靡しました。例の「ヘンすい ヘンすい 新子様」で始まる手紙のシーンなど読んでから30年も立つのにまだ覚えているシーンがあるところが、この作品の名作たる所以だと思います。
石坂洋次郎は決して明るいだけの青春小説を書いた作家ではないのですが、戦後の週刊誌連載小説には、お手軽な青春小説が幾つもあります。その一つが、風と樹と空とです。読んで楽しい、と言う点では石坂文学の最大傑作かも知れません。主人公は沢田多喜子。北国の小さなK町の高校を卒業し、東京のある会社社長安川家のお手伝いになります。この多喜子を中心に北国の高校を卒業した男女6人が、東京という新しい環境で働くおよそ1年が描かれています。連載された昭和38年という時代背景はあるのですが、将来に対する希望と明るさが感じられる家庭小説です。
石中先生行状記は、即ち「石坂先生行状記」です。私が最初手にした時、石坂洋次郎の他の作品同様、学園ものだと思ったのですが、あにはからんや、本当の意味での風俗小説です。石坂の青森での疎開時代に取材した材料をもとに、日本の地方の戦後風俗を、新旧世代の対立も含め、闊達に描いています。艶笑談も多く、昭和20年代に書かれた他の青春小説とは一線を画していますが、新旧世代の対立や、新時代の幕開けに対する地方庶民の戸惑いを饒舌な表現で描いている点では、あくまでも石坂作品です。
1. 給水塔の町
2. 大東京バス案内
3. 楽しい社会科旅行
1956年生まれの泉麻人は、私(どくたーT)より一寸年上で、私が大学院で研究者としての修行に励んでいたころ、「何となく、クリスタル」の田中康夫のパートナーとして世間に登場しました。慶応ボーイでもあり、「都会の若者の間で流行している風俗」の紹介者として名を上げたわけですが、そのころの泉はただ軽薄なだけの若者で、「真面目な田舎の若者」であった私には関心の対象外でした。
この方を見直すようになったのは、彼が子どものころ経験してきた、昭和30年代から40年代の東京に関する文章を読むようになってからです。彼は、昭和30年代後半から40年代の東京の山の手(ここでいう山の手とは、本来の山の手ではなく、西に広がっていく大東京の西方面という意味)の中産階級の子弟として成長したがゆえに、その当時のマニアックな証言者になっています。
このような証言者は、たくさんいるようで実際は少ない。それだけに泉の存在は貴重だと思います。
給水塔の町は、昭和38年の新宿の西から中野にかけてを舞台にした小説です。ちなみにこの給水塔は、最近まで高田馬場の高台にあったのですが、数年前に遂に取り壊されました。これは小説ですが、泉の子供時代の経験が強く反映されていることが明らかで、昭和30年代後半の東京の山の手の子供が、どのようなことに関心を持っていたのかを知るのに丁度良いと思います。
泉は大の路線バスマニアとしても知られています。東京で路線バスが一番発展したのが昭和30年代で、そのころ子供だった泉にとって鉄道よりもバスが近い存在だったのでしょう。大東京バス案内は路線バスマニア泉麻人の面目躍如たるエッセイ集。バスは、電車から比べると細かいところまで入り込み、また開通、廃止が頻繁に行われるから、細かい町の発展や様子が目に見えるのです。
最後の一冊は楽しい社会科旅行にします。今の小学校の社会科は「調べ学習」中心で知識を系統立てて教えないのですが、どうせ調べ学習をするなら、ここまで徹底して旅行してほしいですね。昔の社会科少年にとってはノスタルジックな楽しさを感じさせてもらった作品です。
1. 青葉繁れる
2. 偽原始人
3. さそりたち井上ひさしの本領は戯曲なのでしょう。でも残念ながら、私は彼の芝居を見たことがないのです。だから戯曲は選べない。彼の日本語に対する見識も大したものです。「私家版日本語文法」結構真面目に読んだ覚えもあります。でも、そういう作品は、やっぱり選びたくないです。また、長さ、ボリューム、内容の面白さどれをとっても「吉里吉里人」は彼の小説の代表作として推すべきなのでしょうね。でもそれじゃ、あまりにも当り前。というわけで選んだのが上記三冊です。
青葉繁れるは、ひさしの高校時代を題材にして書いた青春小説です。バンカラな校風とその気分に合った悪戯の数々は、微笑ましさを感じます。しかし、内容だけでこの作品を選んだのではありません。この作品を選んだもう一つの理由は、この小説を映画化したとき、私がエキストラとして出演したことにあります。草刈正雄が主演で、マドンナ役が秋吉久美子。間近で見ると、本当に綺麗な女優さんでした。
偽原始人は、受験戦争を背景にした新聞小説。主人公の名前が『東大』で、親が子供を東大に入れたくてつけたというのだから、戯画的作品とはいえ結構すごいものがあります。しかし、親の期待に答えたくない(答える自信のない)子供は、親に反抗し、それも創造的反抗で対抗します。そこが気に入っているところです。母親の暗殺計画、家出、誘拐事件の演出、それぞれの家に監禁された子供たちの暗号、テンポよく進みます。その反抗も終りがあります。終りの悲しい迫力も魅力的です。
私はコン・ゲーム小説が好きです。小林信彦の「紳士同盟」が、日本で書かれた最高のコン・ゲーム小説だと思いますが、このさそりたちも悪くありません。元々事務機械を売るセールスマングループのさそりですが、口先三寸の詐欺すれすれの行為で、欲の皮が突っ張った成り金や経済ヤクザからカソリックの尼さんまで、狙った獲物は決して逃さないところがいいですね。罠を張り、口説き、おだて、その気にさせてしまう所、言葉の作家井上ひさしの面目躍如です。
1. あした来る人
2. 夏草冬濤
3. 群舞井上靖は、私の見るところ、日本文学最大のストーリーテーラーです。メロドラマ、男性的な現代小説、時代小説、西域もの、自伝的作品、歴史小説、晩年の文明に対する深い洞察を込めた作品まで、あらゆるジャンルで面白い作品を発表しました。私は、勿論全て読んでいるわけではありません。世評高い、西域ものや歴史小説はほとんど読んでいません。しかし、それらを読まなかったとしても、十分面白い作品が数多くあります。
あした来る人は、恋愛小説の傑作です。井上はメロドラマの最大の名手で、このジャンルには沢山の傑作があります。「猟銃」を起点に、「通夜の客」、「青衣の人」、「満ちてくる潮」、「氷壁」、「海峡」、「憂愁平野」、「流沙」に至る迄沢山の作品が書かれましたが、詩情の深みとロマネスクな味わいで、あした来る人が特に良いと思います。日本紳士の典型と言うべき梶の暖かく広い心のもとで動く、克平、八千代、曽根、杏子のつながりと心のゆれの描き方は、素晴らしいと思います。
井上靖の自伝的小説は、「あすなろ物語」、「しろばんば」、夏草冬濤、「北の海」とありますが、どれも詩情に富んだ傑作です。その中で一番読みごたえがあったという記憶の作品が夏草冬濤です。彼の沼津での少年時代を題材に書かれた作品ですが、最初に読んだのが中学生だったので、当時の自分と対比して余計に興味を持ったということかも知れません。また、作品に漂うそこはかとないユーモアも素敵です。
井上靖はもと新聞記者だけあって、ジャーナリスティックな話題を小説に取り入れるのが得意な人でした。代表作「氷壁」は、ナイロンザイルの切断問題が背景にありますし、「満ちてくる潮」は、尾瀬のダム建設が背景にあります。その中でも雪男騒動を題材にした群舞はことの他面白いと思います。ヒマラヤの雪男の生存の真偽を巡って渦巻く人々の群舞。ジャーナリスティックな題材から、踊らされる人間のおかしみとかなしみを描いて秀逸です。
1. 黒い雨
2. 駅前旅館
3. 本日休診井伏鱒二の作品を「よみもの」として括るのは、良く考えてみると(考えなくても)かなり無理がありそうです。大正末から小説を発表されて、昭和全期を生き抜き、平成5年7月になくなるまで明らかに日本文壇の重鎮でした。文化勲章も1966年に受章しております。にもかかわらず、よみもの作家として名前を挙げるのは、市井の庶民の風俗を描いた諸作があるからです。
それでも最初にあげるのは、黒い雨にせざるを得ません。この作品は、広島の原爆に遭遇した閑間重松の「被爆日誌」を元に原爆の悲惨さを表現した戦争文学の傑作ですが、傑作と至らしめているのは、細かな描写の残酷なほどの正確さとそれに対抗する人間愛のエピソードでしょう。単に原爆の地獄絵の悲惨さだけを強調せず、悲しい人間愛を表現したところにこの作品の価値があるに違いありません。広島原爆を題材にした作品の中で最高の作品であり、井伏鱒二の最高傑作であることは疑いがないところです。
井伏鱒二には硬派の純文学作品も多いのですが、軟派な風俗小説も見逃せません。まずは駅前旅館。これは、1956年から1957年にかけて「新潮」に発表された純文学作品ですが、非常に面白い風俗小説です。能登の輪島あたりの出身で、東京上野辺りの団体旅行客などを相手にするような旅館の番頭、生野次平の独白で話は進みます。この生野次平という人物、助平であるけれども律儀で義理堅い人間で、この語り手のキャラクターこそが、この作品の味わいを決定しているようです。
井伏鱒二の風俗小説の流れは、戦前の「多甚古村」に始まって、戦後の「遥拝隊長」、本日休診、駅前旅館、「珍品堂主人」と続くわけですが、駅前旅館についでは、戦後まもなくの傑作、本日休診を挙げましょう。この作品は、東京郊外・蒲田駅前の産婦人科・三雲病院が舞台です。背景には終戦後の世知辛い世相があり、個別のエピソードも明るいとはいえないのですが、全体としてはほのぼのとした牧歌的雰囲気にあるのが面白いと思います。
1. 日暮れてこそ
2. 我、弁明せず
3. 円満退社
江上剛(本名:小畠晴喜、1954年生まれ)は、第一勧業銀行に25年間勤めていた元銀行員で、1997年の第一勧業銀行の総会屋資金供与事件のとき広報部次長として混乱の収拾に尽力したことが有名です。それだけに、彼の作品は、銀行を舞台にした金融危機関連の作品、あるいは銀行幹部の腐敗を描いた作品に、過去の経験を生かした深みあるいは凄みのあるものが多く、彼の作品の主流をなすものであると思います。だからこそ、そういう作品が面白いのは当然とも思いますし、それだからこそ、一寸外した作品を読みたいとも思うのです。
それで最初に選んだのが、日暮れてこそです。モデルは江上剛ご自身なのでしょう。銀行内での上司との軋轢から退職し、コンサルティングや雑文、そして朝の情報番組で何とか生活を保っているという設定からそう思います。内容は要するに中年の青春小説です。阿部牧郎の作品から艶っぽさを半分にして、その分不安の味付けを加えたと申し上げれば、何となくわかっていただけるかもしれません。私(どくたーT)はサラリーマンでして、企業を飛び出して、自活したいという気持ちを持っていないわけではありませんが、実際はそのリスクをとれるだけの自信も実力もありません。だからこういう作品を読むと、主人公の不安も分かりますし、共感できるところも多いです。作品としての味わいは金融小説と比較すると薄いのですが、その共感故の第一位です。我、弁明せずは、明治・大正期の三井の大番頭、池田成彬の伝記小説です。日本の近現代史において経済人の果たした役割は大きいのですが、政治家と比較するとなかなか語られることが少ないです。例外は渋沢栄一ぐらいでしょうか。そういう中で、銀行員から三井の大番頭、そして三井財閥のトップに躍り出、日銀総裁、第一次近衛内閣での大蔵兼商工大臣に至り、戦前の日本経済に大きな影響を与えた池田の生涯が描かれたことは素晴らしいことだと思います。作品としては、若い日々の活躍が面白く、後年の表現は一寸駆け足かなと思いますが、今後ますます経済人の伝記が書かれることを期待して第二位にいたします。
円満退社、これは変化球です。銀行における不祥事やトラブルをあえて、主人公の退職の日にすべて持ってきたというドタバタ喜劇です。銀行の不祥事やトラブルを真っ向から描けばもちろんシリアスな経済小説、企業小説になるのでしょうが、第三者からみれば単なるコップの中の嵐にすぎません。そういう裏の視点で見たときこんな作品になるよ、ということを示したかったのでしょうね。裏・経済小説として面白いと思います。
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1. 青銅の魔人
2. 魔術師
3. 陰獣
これは、はっきりいって日和った選択です。乱歩はいうまでもなく日本推理小説の創始者であり、推理小説の文壇を創り、後進も育てました。作家としての活躍は、大正期から戦後まで幅広いのですが、ピュアな推理小説ファンにとっては、大正期の作品が評価が高い。たとえば、「屋根裏の散歩者」、「人間椅子」、「パノラマ島奇談」という選択はオーソドックスな選択です。けれども、一部の好事家ではなく、一般大衆が探偵小説の味を覚えたのは講談倶楽部に「蜘蛛男」の連載が始まってからでしょう。ですから、大正期の作品は選択の対象とせず、MYベストを選びました。
まず、小説家乱歩の最良の部分は、初期の少年探偵団シリーズにあるというのが私の持論です。その中でも話の奇妙さ、活劇としての面白さをトータルで考えると、青銅の魔人を選択するのが一番良いと思います。勿論「怪人二十面相」でも「少年探偵団」でもいいのですが。でもこのシリーズから一冊を選ぶことは絶対に必要です。私が最初に読んだ推理小説は子供向けの「シャーロック・ホームズ」ものでしたが、すぐ少年探偵団シリーズに移りました。普通の大人が明智小五郎や小林少年の名前を知っているのは、このシリーズがあったからです。浅田次郎だって、少年探偵団シリーズを読まねば、「勇気凛々ルリの色」をエッセイのタイトルにはしなかったでしょう。
通俗探偵小説の中で何を選ぶか、というのは難しい問題です。「黒蜥蜴」なんていうのも耽美的でいいですよね。通俗探偵小説の処女作とも言うべき「一寸法師」も、乱歩はあまり好んでなかったようですが、私は好きです。でも、ここでは、魔術師、をとりましょう。明智小五郎は、「D坂の殺人事件」でモジャモジャの長髪で、木綿の着物によれよれの兵児帯を締めていたと書かれましたが、「蜘蛛男」では、洋行帰りの紳士として登場します。そして、この魔術師において、御茶ノ水の開化アパートに移り、将来の夫人・文代と出会う。そういう意味で、我々が明智小五郎に持つイメージを作り上げた作品が魔術師です。内容もサスペンスに富みスリリングです。傑作だと思います。
で、もう一作は陰獣にします。青銅の魔人、魔術師、ときたら、「化人幻戯」とか「影男」という選択の方が真っ当かもしれない。本格物と通俗物との折衷という事なら「孤島の鬼」という選択もある。でも陰獣。一寸はずせません。作者自身をトリックに使用した点、サスペンスの味付け、構成の必然性と巧妙さ。乱歩の本格ものの最高傑作でしょう。
1. 美味礼賛
2. F1地上の夢
3. 監督
1980年代のスポーツライターといえば、山際淳司と海老沢泰久が抜き出でていた。これは、衆目の一致するところでしょう。私はスポーツは見るだけで、自分では一切しない人間ですが、山際や海老沢の作品からスポーツの世界を垣間見たことを覚えています。二人ともルポルタージュの世界からスポーツを描きましたが、山際がどちらかといえば、純粋ルポルタージュに近かったのに対し、海老沢はもう少し理想的なあるべき姿を志向していたように思います。
そういう海老沢のベスト1は、スポーツとは直接関係しない、辻静雄の伝記小説美味礼賛です。もともと新聞記者だった辻静雄が勝子夫人と結婚して、料理人のプロを育てる辻調理師専門学校を設立し、日本に真のフランス料理を伝えることに尽力したわけですが、その辻のパイオニアとしての苦難の道のりを、ポール・ボキューズやマダム・ポアンとの交流を交えて、活写します。この作品を読むと、辻は一料理人や料理学校経営者ではなく、文化のプロデューサーだったことがよく分かります。傑作です。
海老沢のスポーツ作品の範囲は主に野球、それにゴルフだと思うのですが、もう一つ重要なものにモータースポーツ、ことにF1があります。F1地上の夢は、モータースポーツの本質が技術競争であるという常識を、普通の人に明らかにした作品です。本田宗一郎という類まれなる個性が、ホンダのレーシング・スピリットを育て、世界一のエンジンメーカーに至ったことがよく分かります。勿論、実際レースに負け続けながらエンジンを改良し続けていった技術者たちの努力も胸を熱くさせます。
美味礼賛とF1地上の夢とは、全く違った分野を扱った作品ですが、パイオニアの苦悩と努力を描いたという点で共通点があります。海老沢の一番の関心を示す分野はまず野球ですが、野球でパイオニアを描いたという作品としては、監督があります。1978年のセリーグのペナントレースと広岡達朗をモデルにした半実名小説ですが、広岡こそ日本のプロ野球界で監督の概念を変えたパイオニアでした。プロ野球の万年最下位チーム「エンゼルス」の体質を、どのようにして選手の意識を変え、常勝ジャイアンツと優勝を争うまでに育てたか。パイオニアの努力を描くとき、海老沢の筆は輝きます。
1. わたしが・棄てた・女
2. ぐうたら人間学
3. 大変だァ
遠藤周作が1996年に亡くなって、既に8年が経ちます。現役時代、遠藤周作はカソリックの信仰を基盤においた純文学からエンターテインメントまで幅広い作品を発表して来ましたが、文学史上の人になってしまった現在、その特徴は、「白い人」、「黄色い人」、「海と毒薬」、「沈黙」、「死海のほとり」、「深い河」といった一連の純文学作品で語られるようになるのでしょうが、彼の文学はエンターテインメントにこそ、その本質がソフティフィケートされた形で現われており、そこを無視することはできません。また、彼は狐狸庵山人、あるいは遠藤雲谷斎と名乗り、数多くのユーモアエッセイを発表してきましたが、彼の業績からみても、これらを無視するのは不適切でしょう。読物作品として上記三作を挙げましたが、わたしが・棄てた・女は、彼の純文学の課題を読物作品で具象化した大傑作。ぐうたら人間学は、狐狸庵ものエッセイの例、大変だァは、遠藤の暗い側面を別な形で昇華させた、滅法面白いユーモア小説です。
遠藤周作が終生取り組んだテーマが、日本におけるカソリックの受容、及び日本人であることとカソリックであることの孤独でした。その孤立した問題意識を一般向けに向かって提示したのが、彼のエンターティンメント作品の主流でした。「おバカさん」、「ヘチマくん」、「一・二・三」、「どっこいショ」、「楽天大将」、「ピエロの歌」など、みなその系列にあるようです。その中の最高傑作が、わたしが・棄てた・女で、この作品が純文学を含めた遠藤文学の最高傑作です。森田みつの無償の愛こそが、キリスト教の神の愛そのものであることが、無条件で納得させられます。
狐狸庵という雅号は、まず「狐狸庵閑話」というタイトルがあって作られたもののようです。これは勿論、「こりやあかんわ」のもじり。そこから生まれた狐狸庵は「ぐうたら生活」を主張します。その第一作が「ぐうたら生活入門」のようですが、一番まとまっているのがぐうたら人間学であることから、それを選びました。ただし、遠藤の書くぐうたらものは、実際にはぐうたらの勧めではなく、ひとつことにのめり込まず、いろいろな視点から色々なことに興味を持って楽しく、という観点に立って書かれていることを指摘しておきましょう。
大変だァは、男性が女性に変わってしまうという性転換をモティーフとしたユーモア小説。彼はその後も「あべこべ人間」のように同一テーマを取上げた読物小説を書いていることや、「スキャンダル」の内容からも同性愛的なものに興味があったのではないかと思われます。勿論そういった背景に思いを馳せずに読めば、関白亭主が性転換した鶏を食べたら女になった、という男性の女性化、女性上位の世相をアイロニカルに諷刺したユーモア小説です。遠藤作品の中で一番笑える作品だと思います。
1.燃える地の果てに
2.カディスの赤い星
3.相棒に気をつけろ逢坂剛は、引出しの沢山もった作家だと思います。元電通のサラリーマンというだけのことがあって、広い範囲に興味と知識があって、それぞれに面白い作品を書いています。スペインを舞台にした作品から、スパイ小説、西部劇、時代小説まで書いています。代表的なキャラクターとしては、「現代調査研究所」のフリーランサー・岡坂神策がいます。岡坂の登場する作品では、いくつかの短編と長編「あでやかな落日」が代表的な作品だと思いますが、ここでは採りません。また「百舌」シリーズも面白い作品群ですが、これも取り上げないことにします。結局選んだのは、上の3冊。
燃える地の果てには、作者得意のスペインものです。第2位に挙げたカディスの赤い星と雰囲気が良く似ていますが、この作品の方がこなれた傑作だと思います。1966年にスペイン上空で起きた米軍機空中衝突事故に材をとり、その真相が水爆紛失事件であるとして書かれます。米ソの対立とスパイの暗躍、それにフラメンコギターの探索の話しが重なります。幾つもの伏線から来る驚愕の結末。最初読んだ時、大いに驚いたのを覚えています。
カディスの赤い星は、1986年発表。直木賞、日本冒険小説大賞、日本推理作家協会賞の三賞同時受賞の冒険小説の傑作です。「カディスの赤い星」と呼ばれるフラメンコ・ギターの行方を追うフリーのPRマン、漆田亮の物語です。スペイン内戦とフランコ総統暗殺計画を背景に、アクション、恋愛、どんでん返し、サービス満点の所も魅力的です。逢坂剛の代表作として外せません。
相棒に気をつけろは、逢坂の映画で鍛えられた洒脱な側面をよく表わした傑作です。詐欺師(世間師)の九段南事務所所長である私が組んだあいてが、X-ファイルのジリアン・アンダーソンに良く似た四面堂遥。この女はとんでもない詐欺師。私もハッタリと出任せには自信があるが、その上手をいく。ヤクザの香典をパクったり、地上げ屋の面前でのストリップショウなど、欲深い奴らを手玉にとってお金を巻き上げます。プロットの組み立てと、はなし運びのウィットを楽しむ連作短編集です。
1.新宿鮫
2.心では重すぎる
3.らんぼうはっきりと言ってしまえば、大沢在昌は多作だけに玉石混交です。若い頃の作品は、特に詰まらないものが多いと思います。なぜか。簡単に言ってしまえば、真実味が感じられない。それが一概に悪いとは言えないのですが、彼の場合ある程度リアリティを意識した作品の方が読んでいて面白いのですね。そんな中で私の好きなキャラクターは、巻きこまれ型の不運なサラリーマン坂田ですが、彼のめぐり合う災難も一寸嘘臭さを感じてしまうので、彼の登場する作品は取り上げないことにします。
新宿鮫は、大沢在昌のターニング・ポイントとなった作品で、構築された虚構が実にリアルです。最初から最後まで弛緩しない筆の運び、鮫島というキャラクターの造形、新宿という舞台設定、どれを取っても実に優れています。第44回日本推理作家協会賞受賞作でもあり、彼の代表作と言って何ら問題がありません。シリーズ化したのも当然と言うべきでしょう。新宿鮫シリーズは全体的に見て面白い作品が多いのですが、その中でも特に優れているのが第1作の新宿鮫です。これは、作者の書きたい内容があって、それに合わせて作品やキャラクターを構築した第1作と、キャラクターや舞台に制約があって、そのなかで作品を作り上げて行かなければならない第2作以降の差なのでしょう。
心では重すぎるは、鮫島と並んで魅力的なキャラクターである私立探偵・佐久間公もの。第19回日本冒険小説協会大賞受賞作ですが、冒険小説というよりは、ハードボイルド作品です。失踪した漫画家を探す佐久間公は、否応なしに時代の病巣が最も残酷な形で現れる社会の裏側を見ざるを得ない。その見せかたの上手さと、佐久間の感じる苦悩にリアリティを感じるのです。読みごたえのある作品だと思います。
らんぼうは、大沢のコメディ作品として上出来なものの一つ。史上最悪のコンビ、身長185pの「ウラ」と小柄で敏捷な「イケ」は、署内検挙率No.1、そして被疑者受傷率もNo.1という凶暴なこの2人の警官に追われる容疑者は、悲惨この上ありません。言うなれば、新宿鮫の裏を行く作品で、大沢在昌の本流ではありませんし、リアルでもないけれども、やっぱり面白い。大沢のコメディ作品として、「アルバイト・アイ」シリーズがありますが、あのシリーズよりも私はこちらが好きです。
1.神様から一言
2.僕たちの戦争
3.コールドゲーム最近の中堅・若手作家には、シチュエーションの面白さを上手く構築して作品世界を作っていく方が何名もいらっしゃいます。その代表格の一人が荻原浩です。そして、その代表作は、山本周五郎賞受賞作の「明日への記憶」でしょう。この作品は間違いなく傑作です。であれば、皆様きっと読まれるでしょうから私のベスト3に入れる必要はありません。それを別にすれば上記3冊でしょうか?どれも結構話題作ですね。
神様から一言はサラリーマン小説です。サラリーマン小説は源氏鶏太が一世を風靡したわけですが、源氏鶏太は、サラリーマンを主人公にしながらも現実の仕事を書くことをほとんどしませんでした。その後企業小説という形で、中堅サラリーマンを主人公とした作品は高杉良をはじめ、いろいろ書かれてきたわけですが、ユーモアのテイストをもってまともにサラリーマンを描いた作品は少ないのではないでしょうか。神様から一言は相当戯画化され、誇張も多いのですが、食品会社の苦情処理係という、まあ想像のつく部署を舞台にして、ユーモア溢れる作品に仕上げているところ、いいと思います。
僕たちの戦争は典型的なシチュエーションの設定で読ませる作品です。2001年サーフィンをしているフリーターの健太と、1944年第二次世界大戦末期に、霞ヶ浦の予科練で訓練をしていた吾一が入れ替わってしまいます。こういう状況を作れば、お互い戸惑いながらも何とか周囲に合わせて行かなければいけません。勿論そこが面白いわけですが、結局のところ、人間は育ってきた環境に左右されるが、本質のところは変わらない、というのが作者の気持かもしれません。
コールドゲーム。決して後味の良い作品ではありませんし、最後は大体想像がつきました。しかし、ここでとり上げるのは、学校における「イジメ」がいじめた側といじめられた側とで大きく感じ方が違うという、当たり前のことを戯画化して見せたところにこの作品の意味があると思います。一方、文体はシリアスで、読み手を引き込む力があります。「イジメ」問題の難しさと、かつてのいじめに関連して引き起こされる復讐事件を通じて、若者たちが自分たちの立ち位置を見つけていく、一種の青春小説としての味わいの双方が含まれた作品です。
1.沈黙の教室
2.倒錯のロンド
3.グッドバイ-叔父殺人事件折原一と言えば「叙述トリック」、「叙述トリック」といえば折原一、という感じで、大変凝った作品の多い方です。私も一時期集中して読みましたが、困ったことに私の粗雑な頭では、読んでいて疲れるのですね。一方で、非常に感心はするのですが。じっくり読んで、且つ再読すると、伏線の張り方が巧みで、手が込んでいることがよく分かります。黒星警部シリーズのようなユーモア・ミステリーも書かれていますが、本筋は本格叙述ミステリーでしょう。
日本推理作家協会賞受賞作の沈黙の教室を最初にあげます。青葉ヶ丘中学の3年A組を舞台に起きたいじめ。20年後の同窓会を期に、クラスに恨みを持つものがクラスメイトを殺害する計画をたててしまいます。現在と過去とが交錯しながら綴られる多重性の謎と恐怖。叙述トリックの名作でありますが、じわじわと這い登ってくるような恐ろしさの読後感がよかったと思いました。
作者にとって自作のベストは、「冤罪者」と「異人たちの館」だそうですが、実は、この両作とも未読なのでパス。その代わり、初期の倒錯のロンドをとりましょう。これまた叙述ミステリーですが、キャッチコピーが、「精魂こめて執筆し、受賞まちがいなしと自負した推理小説新人賞応募作が盗まれた。―その“原作者”と“盗作者”の、緊迫の駆け引き。巧妙極まりない仕掛けとリフレインする謎が解き明かされたときの衝撃の真相。」と書かれた作品です。一寸目は読みやすいお話で、登場人物の心情が倒錯していく過程は見ものです。しかし、それが全体のトリックだということが分ったとき、やられた、と思いました。
グッドバイ-叔父殺人事件は、初期の凝った叙述ミステリーと比較すると随分分りやすい叙述ミステリー。2005年の作品です。ネットの自殺サイトで知り合った四人の集団自殺事件の中で死亡した叔父四郎。この死に不審を持った叔母の要請で事件を調査する一平。そして、これが単純な集団心中事件ではなく、殺人事件であることが明らかになっていきます。叙述ミステリーとしてはツボを押さえていますが、あまり複雑にはしておらず、難しく考えずに読めったのが3冊目に採用した理由です。
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