前途

書誌事項

前途
庄野潤三著
初 出 「群像」(講談社)1968年8月号
出 版 1968年10月 講談社 

紹介 

 庄野潤三さんが、文学で身を立てて行こうと決意したのはいつのことだったのだろうか?大阪外語専門学校時代なのでしょうが、特に影響を受けたのは、伊東静雄先生との出会いであったと考えられます。庄野さんの生涯の文学の師、伊東先生との出会いは、昭和16年のことですが、庄野さんが昭和17年、九州大学法文学部東洋史学科に入学した後もその師弟関係は続きます。彼の文学的揺籃期における、庄野さんがモデルの漆山と、伊東先生や学生仲間の交流を描いたのが「前途」です。

 登場する人物は、僕こと漆山正三、島尾敏雄がモデルの小高、森道男がモデルの室、先日なくなった林富士馬がモデルの木谷数馬、それに伊東静雄先生、大学の東洋史研究室の恩師、重松・日野両先生などで、舞台は福岡と大阪です。この期間中旅行した東京の話は割愛されています。その九州では、「ラム研究会」を主宰してラムを読みながらも、遼史も読んで東洋史の勉強も進めます。そして、それ以上に小高や室と、文学を論じ、酒を酌み交わします。一方、大阪に帰省すれば、伊東先生の元に毎日のように通い、薫陶を受けます。先生は、「僕」に沢山の文学的影響を与えるのです。例えば、伊東先生は云います。

これからの新しい文学は、自分の心理や何やらをほじくったりするものでなく、また身辺小説でもなく、ひとつの大きな歴史に人が出交すそのさまを、くどくどしたことは書かずにそのまま述べていく(源平盛衰記、平家物語などのように)、そんなのがいいといわれた。

庄野さんの作品は、一見身辺小説ですが、作者の目は常にクールです。時代を大つかみで捉える作品ではないかもしれませんが、この伊東静雄の言葉をよく守った作品を書いています。その意味でも「前途」は、庄野さんの文学的形成を見るためには重要な作品です。ところで、「前途」と似た作品に、庄野さんの処女作「雪・ほたる」があります。

 「雪・ほたる」は、昭和18年7月6日から9月4日にかけての、福岡での学友達との交流を描いた小説です。書かれたのは昭和18年の11月の事でした。これは、同人誌「まほろば」に掲載されました。しかし、単行本への収録はなく、今、読めるのは、「文学交遊録」での抜粋のみです。これは、庄野さんのつけていた日記をベースに、若干の潤色をしているだけのようで、ほとんど彼の経験をそのまま書いているようです。

 何故そんなことがいえるか。それは、「前途」にも同じ表現があるからです。「前途」は、「雪・ほたる」から25年経った、昭和43年に発表された小説ですが、舞台は「雪・ほたる」と同じ、昭和17年11月23日から昭和18年9月5日の、福岡、そして大阪です。「前途」は、「雪・ほたる」と比較すれば、更に潤色度が高いようですが、そこは、庄野潤三さんの小説です。基本は、彼が経験した事柄に基づいて書かれています。

 実際、両作品で、どの程度表現が違っているのか、昭和18年7月7日の部分を抜粋して見ます。まずは、「雪・ほたる」。

『夕方、島尾を誘って、ビール園に行くことにする。森にも知らせておいた。森の下宿の前へ来て、二人が足を止めると、窓のところで本を読んでいた森がすぐにこちらを見つけた。
 「もう来るか来るかと思って、待っていたんだ」三人が肩を並べて歩き出したとき、森がいった。網屋町から電車に乗ると、「切符は僕が出すよ」とわざと皆に聞えるようにいって、島尾が「九大新聞」に載った「仏国寺行」の謝礼で貰った回数券を袂から出した。森と島尾は白い浴衣。二人はその生地を比べて自慢し合っていたが、今度は向いの席に坐っている私の、この数日はさすがに暑くなった単衣の紺飛白を指して何やらいっている。
 東中州のビール園では三回並んだ。森が三杯目のそのビールを、どうも調子が悪いからといって、大方私のジョッキに移し入れた。「こんなことは滅多にないぜ」といって。半月ばかり前から下痢が続いて、森が千々に心を砕くのによくならないのである。往きはあんなに勇んで出たのに、元気がない。で、帰ることにする。』

 これが「前途」になると、

『夕方、小高を誘って、ビール園に行くことにした。室の下宿の前に差しかかって、二人が足をとめると、窓のところに腰かけて本を読んでいた室がすぐにこちらを見、来たなというように笑った。
 「もう来るか、来るかと思って、待っていたんだ」
 三人が肩を並べて歩き始めたとき、室が云った。
 箱崎から電車に乗ると、
 「切符は僕が出すよ」
 とわざと皆に聞えるように云って、小高が九大新聞に載せた「仏国寺行」の謝礼に貰った回数券を着物の袂から出した。小高と室は、白い麻の浴衣を着ている。二人はその布地を比べて自慢し合っていたが、そのうちに向いの座席にいる僕の単衣の紺飛白を指して、何やら云っては笑っている。僕もこの数日は、さすがに少し暑かったのだが。
 ビール園では三回まわった。室が三度目の時に腹具合が悪いからと云って、自分のジョッキを僕にくれた。こんなことは滅多にないぜと云って。半月ばかり前から下痢が続いていて、胃腸の病気にかけては古強者の室がさまざまに治療を試みるのだが、なかなかよくならないのである。それにしても、今夜はよほど調子が悪かったのだろう。到頭、室は先に帰った。』

 です。登場人物の名前が変わっていることを別にすれば、大きな違いはありません。ただし、表現が流石に「前途」の方が分り易くなっています。もう一つ、ここには示しませんが、「雪・ほたる」では省略してあるエピソードが、「前途」には入っていて、より詳細です。

 昭和18年は、太平洋戦争が三年目となり、物資の窮乏が見え始めた時期です。でも、九州大学で学生生活を送る庄野さん達は、貧しくも、戦争の影に影響を受けながらも、文学に強い指向性をもち、酒を飲み、学に勤しみます。「文学交遊録」にも、「箱崎カルチェ・ラタン物語」という言葉があるのですが、戦争へ行く事がほとんど確定的な学生達のひたむきなで反面無頼な生活は、まさに「ラ・ボエーム」の世界と相通ずるものがあるようです。

 「前途」において、庄野さんは、日記を材料にして小説を作るのではなく、日記の枠組みをそのまま残して小説を仕立てました。これは、庄野さんが、『時代の記録』を意識して書こう、と考えたことに結びついています。戦争の時代は、日付が重要です。主人公の漆山達は、機会あるたびにビール園に出かけるのですが、最初のころ5杯ずつ飲んでいたビールが、夏の終わりには一杯ありつくのも大変になって来ます。こういった、一寸した変化が時代の緊迫感を伝えているようです。 

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