屋根

書誌事項

屋根
庄野潤三著
小説
1970年「新潮」8月号発表、「屋根」。同年「新潮」12月号発表、「父と子」。1971年「新潮」7月号発表「村の道」。
以上三編を加筆訂正して単行本化。出版は1971年11月発行
新潮社

紹介

 庄野さんの作品を継続して読んでいると、庄野さん御一家は贅沢ではないけれども、美味しい物を召しあがっているのではないかという気がします。自分達で贅沢をせずに美味しいものを食べるというのは、真の豊かさの反映だと思いますが、そのためには安くて良い食材を手に入れることが必須となります。庄野さんご一家は、お住まいの生田の周りで、そういうお店を幾つも見つけて豊かな食生活を育んできました。

 そういう知り合いに団地のお肉屋さんの若主人がおり、その若主人に誘われて、自分が食べる肉の出所を取材して、この小説が成立したようです。

 「屋根」の中で、肉屋の主人の名前は忠夫君といいます。今25で、郊外の新しい住宅町の真ん中に店を開いています。そして、店の休みの日に作家の茂木を、芝浦の食肉市場に案内します。彼は、今の店を開く前の三年間、東京の問屋に奉公していて、食肉市場に通っていましたが、自分の店では、市場の肉は取り扱わず、全て田舎の父親が送ってくれる肉を出しています。忠夫君はとても働き物で自分で「かか」と呼ぶ奥さんと、田舎からつれてきた若い者を使って忙しくしています。

 このような働き者の若い人に対して、茂木(即ち、庄野さん)は共感を持って接します。そして、そして馬喰をしていたという、忠夫君の両親の家まで行くことになります。田舎は、北関東の山も海もないような街道沿いの町です。そこで父親は、長年牛や豚を売り買いして生計を立てています。鉄筋の大きな家で、屠場と12坪の冷蔵庫も付属しています。お父さんは近在の農家に食用の赤牛を沢山預けて飼育してもらっていますし、また、自分の牧場も持っています。

 このお父さんの牛との生活がこの作品の白眉です。庄野さんの聞き書き小説は、語り手の魅力が作品の魅力に重なり合っているのが特徴です。「紺野機業場」の紺野氏も、「流れ藻」の近雄も、あるいは「水の都」の悦郎さんもそうですが、自分の仕事と生活とをしっかり握っている人を描くとき、筆が冴えます。この作品では忠夫君もそういう人ですが、それ以上にお父さんに作者は魅力を感じています。牛と共にいきる姿を描くとき、このお父さんが一番生き生きとしています。

 牛は、食肉となる運命にあります。その意味で人間は牛に対して加害者です。そのことに対して、庄野さんは何の感想も述べません。ただ、淡々とあったことを描写して行きます。忠夫君のお姉さんは、スポーツ万能で勉強も出来た人だったそうですが、高校時代に白血病で亡くなっています。この長女の思い出が何度も何度も出てきますが、長女の思い出と家畜の商売、「牛に寄りそうようにして暮らしている」人々の生活の喜びと悲しみとを輪郭を明確に描くことによって、ものの哀れを感じうるのだと思います。

 庄野さんの聞き書き作品は、主人公がみな市井の無名人ですが、みな、自分の生活と仕事に誇りを持っている人達です。作者が取材先にて見聞きしたことを横軸に、主人公の個人史を縦軸にして広がりをもたせる手法をよく取ります。「屋根」も例外ではありません。ただ、これはお父さんの眼だけではなく、同じことを忠夫君の目からも見せています。また、作者の関わり方も、自分の町の肉屋さんとそれにつながる田舎のお父さん、という二つの対象に接しています。それまでの聞き書き作品が、作者の生活とは別のところで成立していたのに対して、「屋根」は、主体は「牛と共に生きる人々」であったとしても、彼らの生活と作者の生活とが、忠夫君、あるいは牛肉で繋がっていて、そのため、対象がより鮮明に豊かに描かれているとも思います。

 もうひとつ、この作品の面白さは、忠夫君及び御両親の語り口の妙です。方言丸だしですが、その語り口をしっかりと活字にしたことにより、彼らの生活感がより明快に見えてくるように思います。

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