山の上に憩いあり-都築ヶ岡年中行事

書誌事項

山の上に憩いあり-都築が岡年中行事
庄野潤三著

初出一覧 

 山の上に憩いあり  「新潮」 1984年5月号
 河上さんの心境  「波」 1980年2月号
 治水  研究社「福原麟太郎著作集7」月報 1968年12月
 セルデン『卓上談』  「朝日新聞」 1980年2月17日
 福原さんを偲ぶ  「新潮」 1981年3月号
 福原さんの思い出  「學鐙」 1981年3月号
 野方からの小包  「英語青年」福原麟太郎氏追悼特集号 1981年6月
 「随想全集」のあとに  福武書店『福原麟太郎随想全集』1、3、5、7 1982年2、4、6、7月
 嗅ぎ煙草とコーヒー  「新潮」 1983年10月号
 対談 瑣末事の文学  「俳句」 1975年2月号

出 版 1984年11月5日 新潮社 
定 価 1100円
ISBN4-10-310606-9 C0095

紹介 

本書は、庄野潤三さんと年長の評論家・学者の河上徹太郎、福原麟太郎との交流を描いた作品。

福原麟太郎は1894年10月広島県で生まれ、1981年亡くなった英文学者・随筆家。東京高等師範卒で、東京文理科大学教授を長く勤めた。昭和15年「叡智の文学」で『シェイクスピアやラムが代表する、世間も人間もよく知った文学が英国で本当によい文学とされ、これはおとなの文学であり、それを味わうにはこちらも年を取り人生の経験を積まなければいけない』と述べた。代表作に「トマス・グレイ研究抄」(1960年、読売文学賞)、「チャールズ・ラム伝」(1960年、読売文学賞)など。

河上徹太郎は1902年1月長崎県に生れ、1980年東京で亡くなった評論家。若い時から、狩猟、ヨット、野球に凝り、浅草オペラに熱中し、ピアノも弾いた。文芸評論と音楽評論の双方に秀でた。代表作に「自然と純粋」、「ドン・ジョヴァンニ」、「私の詩と真実」、「日本のアウトサイダー」、「吉田松陰」がある。

福原麟太郎と河上徹太郎との間の交流については、本書のあとがきを引きます。

『 その昭和28年の夏の英国旅行以来、福原さんと河上さんのお附合いが始まった。(私が福原さんに滞米一年の生活の報告である『ガンビア滞在記』をお送りして、お手紙を頂いたのは昭和34年の春で、実際にお目にかかって言葉を交わしたのはその二年後になるが、ほぼ同じ時期に河上さんに始めてお会いした。多摩丘陵のひとつの丘に住むようになった最初の年である)河上さんが福原さんのことを口にされる時の敬愛の表情は深く印象に残っている。中野区野方の福原さんとは外でしかお目にかかることは無く、それも20年間近い間に数えるほどであったが、福原さんが河上さんを話題にされるときも全く同じであった。
 (中略)
 福原さんと河上さんはまた、お互いに瀬戸内を郷里とする点で特別に親しみを抱いておられたのではないかという気がする。福原さんは福山と尾道の間の松永、河上さんは岩国。』

本書に収められた10の随筆の内、福原麟太郎に関するのが後半の八篇、河上徹太郎に関するものが前半のニ編。どれも興味深いものですが、特に面白いのは表題作の「山の上に憩いあり」だと思います。これは、旧橘樹郡生田村に住む庄野さん一家と旧都築郡柿生村に住む河上さん一家の家族ぐるみの交流を描いた作品です。

『 海抜はせいぜい百メートル前後だろう。雑木林もあれば杉林も赤松の林もある。麦畑も野菜畑もある。湧き水のある谷間もあるし、茂みの奥に小さな池がひっそりと隠れていることもある。丸みを帯びたこんな低い丘が渦を巻いたように重なり合いながら、細長い水田、街道、小川、竹薮のかげの農家を挟んでどこまでも拡がる。独特の地形のこの丘陵地帯がもし存在しなかったら、そうしてお互いにその風物を愛惜する気持ちが強くなかったら、神奈川県旧都築郡柿生村の河上さんと旧橘樹郡生田村の私たち一家との間に十数年にわたって続いた年中行事の交遊は無かったに違いない。都築ヶ丘を含めた多摩丘陵のひろがりに深く感謝しなくてはいけない。』

と庄野さんが書くように、お互い近くに住み、その中で年に一回ずつぐらい訪問しあいながら交流を楽しみます。最初は庄野さんが生田に移り住んだ昭和36年。庄野さんの家開きに井伏鱒二らと共に来訪したのが最初。翌年の正月、庄野さん夫妻が年始で訪問して、河上さんの奥さんに子供たちもお呼びになったら、といわれてお子さんが行ったのが最初。長女の夏子さんが書かれた「てっちゃんメモ」がその時の雰囲気をよく伝えています。

庄野さんは、人の語り口をうまく使いながら、その場の雰囲気を紹介するのが上手な方ですが、夏子さんや和也さんの河上さんの思い出のメモが、この作品に立体感を与えていて、とても素敵です。

庄野さん一家が河上さんを訪ねると、河上さんは鉄砲をもって鳥撃ちに出かけます。そこに庄野さん一家が一列になってついて歩きます。鉄砲は滅多にならないけれども、冬枯れの丘陵を歩き回って、満足します。家に戻ると大谷石の炉辺の前で、でびらがれいを炙りながらビールを飲みます。最初の年、夏子さんは中学生、次男の和也さんが小学校に入るかは入らないかの頃です。それがお正月の或はお花見時期の河上家訪問、クリスマスの河上家による庄野家の訪問が続きます。河上家では、小川亭や辻留の料理が振る舞われ、庄野家のクリスマスパーティーでは、庄野家の子どもたちの劇が行われます。これが夏子さんが結婚して子供が出来ても続き、河上さんがガンで倒れられるまで続くのです。

庄野潤三の作品は、自分たちの生活のあるひとときを切り取っているものが多いのですが、本篇は、河上徹太郎との交流を描くことにより、庄野家の子供達の成長もまとめられ、従来の作品と違った視点で面白いと思います。

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