浮き燈台

書誌事項

浮き燈台
庄野潤三著
小説
1961年9月「純文学書き下ろし特別作品」として
新潮社
初出:同上

紹介

「純文学書き下ろし特別作品」のシリーズは1960年から80年代にかけての文芸出版社としての新潮社の看板シリーズでした。傑作も数多く、安部公房「砂の女」、「箱男」、有吉佐和子「恍惚の人」、石川達三「充たされた生活」、石原慎太郎「化石の森」、遠藤周作「沈黙」、「死海のほとり」、大江健三郎「洪水はわが魂に及び」、「個人的な体験」、北杜夫「白きたおやかな峰」、倉橋由美子「聖少女」、椎名麟三「懲役人の告発」、瀬戸内晴美「比叡」、丸谷才一「裏声で歌へ君が代」、小林信彦「ぼくたちの好きな戦争」、、、。こう書いて行くと名作の宝庫ということがよく分ります。

本篇「浮き燈台」も「純文学書き下ろし特別作品」のシリーズの一冊として、シリーズの割と初期に刊行されました。

庄野さんの作品は、大きく二系列に分けられると思います。一つは、自分の家族や隣人を題材に書かれた作品。もう一つは、市井の人の語りの「聴き書き」です。「浮き燈台」は、どちらかといえば「聴き書き」の系統です。しかし、庄野さん40歳の時の作品ということもあってか、作品の構成は、後年の同系列の作品と比較してもかなり作為的です。その作為性をどう見るかがこの作品の評価を左右しそうです。

小説の舞台は志摩です。ここに、目下のところ大阪の放送局でラジオのプロデューサーをしている「私」が、年下の同僚が子供の頃、夏休みに毎年行った海のそばの辺鄙な村の話を聞き、海縁の古い村の様子に心を惹かれ訪ねます。この「私」はいわゆる辛抱のない人で、仕事も転々とし、引越しもしばしばおこない、株で大損して兄の財産200万円を30万円に減らしてしまうような人です。その「私」が、志摩の寒村で出会った人の話を聞き、それに照応して、自分の過去の経験を振り返るという構成になっています。

「私」の生活はかなり投げやりです。破滅的な部分が多いです。奥さんもそういう亭主の言いなりの人で、それだから離婚もせずになんとかもっています。一方、志摩の人たちはもっと淡々としています。この小村は昔から難破の名所です。村の人は難破する船を幾度も見ています。難破船があれば、村人は総出で救助に当ります。そのなかである程度の人たちは、必ず死亡します。その死者の弔い方、を村人たちは語ります。そういった悲惨な経験を見聞きしながらも、村人たちの生活は限りなく平穏です。

時期は晩秋から冬です。そんな時期でも志摩の海女は、海に潜ります。「私」は海女の仕事を見せてもらう為に船に乗ります。海女のサカエはなまこをとります。晩秋の海にサカエは潜りますが、獲物は中々いません。そこの描写の抜粋。

『七回目、十二時二十九分。ナマコは無かった。
「あーいや」
笛。
「あー」
笛。
最後の笛はボーという音を立てた。
八回目は潜ってから上がって来るまでに五十びょうかかった。ナマコは無い。
九回目。ナマコは無い。
十回目。十二時三十四分。サカエが上がると同時に大きなナマコが舟の中に放り込まれた。

中略

十七回目、十二時四十七分。この時、サカエが何か云った。すると舟の上にいる二人の船頭が声を揃えて、慰めるように「ようのった」と云った。それで終わった。
 サカエは舟に上がると、私を見て、
「あんた寒いやろ。マフラー、頭に巻いたら」
と云った。
 自分の唇が青くなっているのにそんなことをいうのであった。彼女は着換えると、石油缶に起してある火のそばに行って身体を暖めた。』

事実を淡々と描写します。しかし、そこに海女の仕事の厳しさが如実に示されています。村人たちは平穏だけれども厳しい生活を送っています。しかし、一介の旅人に過ぎない「私」に心尽くしをしてくれるのです。

破滅的な生活を送る男と、遭難や難破という破滅と隣り合わせにある村が重なり合うとき、一つの波動が生れます。その波動が最後の一文、『浮き燈台は傾いて沈み、傾いたままゆっくりと浮び上り、いつまでも私の視界の中でその動作を繰り返しているように思えた。』に結びつき、二つの生活の微妙さを暗示するのです。

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