書誌事項


庄野潤三著
短編小説集
1964年5月第一刷発行
講談社発行
初出:

表題 発表誌 発表号
群像 1963年7月号
薪小屋 群像 1962年7月号
日ざかり 新潮 1962年8月号
雷鳴 文學界 1962年6月号

紹介

 庄野潤三さんの文学上の大きな転機は二度訪れていると思います。最初の転機は、「夕べの雲」の発表です。この作品は抒情と情景描写のバランスがすばらしく、今をもって、庄野文学の第一の傑作におすべき作品ですが、この作品は、初期の庄野文学が追求してきた文学的課題を解決し、その後の庄野文学の道しるべにもなったという点でも、庄野文学中期への橋渡し役としても重要です。短編小説集「鳥」は、この「夕べの雲」を日本経済新聞に連載する前に発表された短編小説の集成ですが、「夕べの雲」とは味わいが異なります。その意味でこれは、明かに庄野文学初期に位置付けられるべき作品です。

 庄野さん一家は、1961年4月に、東京練馬の石神井から、川崎市生田の山の上に転居いたしました。当時の生田は、山深い土地で、自然も豊かだった様でした。一方で、生活するのは大変だったようで、風除けの木を植えたり、快適な生活をおくるための措置をいろいろとやったようです。しかし、この転居や転居した後の落ちつかない時期の生活をモデルにした作品を彼はかきませんでした。そして、転居から2年後、生田での生活を記した最初の作品が「鳥」でした。

 「鳥」の主となる筋は、作者の家族の現在の生活です。冬休みの朝、「マムシの道」とこの家族が呼んでいる場所へ、小学五年の明夫と小学一年の良二を連れて散歩します。そして、そこでカスミ網を仕掛けて、頬白を捕まえては、飼い鳥にしようとして失敗する、また小授鶏をつかまえようとわなを仕掛ける、こういった子供達の元気な姿が表現されます。この子供たちの陽に対して、陰の部分、過去の思いが割りこまずにはいられない部分があります。それが「父の死」への思いです。「父の死」への思いが錘となって、子供達の活発な行動や脈略なく出てくる光景が繋がって行きます。

 庄野文学の初期は、一種の無常感があります。どんなに仲の良い家族であっても、死によっての別れは避けられない。こういう意識が強く出ています。その意識は、土地にも当てはまります。この親子たちが散歩していた「マムシの道」も、その後の団地造成や開発で失われて行きます。ある瞬間の確実さも、時間の流れで見るとき、その形は変わらずにはいられません。そういう変化にたいする惜別の気持が「鳥」にはストレートに現れています。

 「薪小屋」は聞き書き小説です。旅行のついでに足を延ばした町の旅館の御主人やお上さんの話。庄野さんは、市井の人の話を上手く纏めて小説に仕上るのは、よくやられますが、その話のどこに小説にしようと思うのでしょうか。タイトルの「薪小屋」は、庄野さんが泊まられた離れの部屋が、元々薪小屋であったものを改造した部屋であることに由来していますが、旅館の主人の語り口の弱さに、商売の下手であることが良く現れています。

 「日ざかり」は、庄野さんが集めた情景や、お話の組み合わせで、お互いの脈略の薄い集合です。小説としてのまとまりには欠けていると思いますが、スケッチの組み合わせが、奇妙な味わいを醸し出しています。

 「雷鳴」は、写真家の松村さんが話してくれたお話をまとめた聞き書き小説です。この「松村」さんは、本名ではないと思いますが、庄野さんが「龍生」という雑誌に「紀行随筆」を連載した時のカメラマンがモデルだそうです。この「松村」さんは、東京下町生まれの、ちゃきちゃきの江戸っ子で、話の勘所を示すのが上手い人です。太平洋戦争時代の生活で印象の深かったことを語ります。この時代、死は常に身近にありましたので、死や怪我の話が多く含まれますが、全体に淡々としていて、清々しい。しかしながら、その大本には悲しみと無常感を漂わせています。 

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