早春

書誌事項

早春
庄野潤三著
初 出 「海」(中央公論社)1980年6月〜1981年9月
出 版 1982年1月20日 中央公論社 (出版時に加筆訂正)
文庫化 1986年2月10日 中公文庫(中央公論社)
ISBN4-12-201298-8 C1193

紹介 

「早春」は、今は休刊中の文芸誌「海」に連載された作品である。
作者が私の「神戸物語」というように、作者が妻と共に神戸を訪ね、市内を歩く。同道するのは、芦屋に住む妻の叔父夫妻と、作者の大阪外語学校時代の同級生で新聞社を停年退職したばかりの生粋の神戸っ子・太地一郎、作者の米国留学が縁でその息子たちと知り合った香港出身の貿易商の郭さん夫妻。作者夫妻は、これらの人々と会い、食事をし、見物に出かけ、昔の回想を聞く。そこには、現在の神戸と現在に重なる過去の神戸が多層的に示されて興味深い。

Tは、神戸をあまり知らない。仕事や学会で2〜3回行ったことはあるが、目的地に直行し、神戸牛すら食べなかった。観光は北野の異人館ぐらい。完全にミーハーの観光客である。だから、神戸の歴史的背景も港町としての意味もまるで考えなかった。

しかし、庄野さんは違う。庄野さん自身、大阪外語時代、神戸に近しい関係にあり、また夫人が一時神戸に住んでいたということがあって、神戸に親近感がある。さらに案内役の叔父さんは、この本の舞台である1970年代終わりで85歳であるが、神戸出身であり、神戸中学を卒業している。そんなわけで、大正期以降の神戸に非常に詳しい。それで、近代の神戸の発展は、直に見てきた人の言葉で語られ、作者が見ている現代の姿と発展期の姿とが二重写しとなる。歩くのは、六甲、元町、須磨、神戸港などであるが、「源氏物語」の舞台の「須磨」と「平家物語」の舞台の「一の谷」の近さが語られる。一挙に1000年の昔から現在まで自在である。

この自在さは、作品の語り口にある。例えば、叔父夫妻と観光タクシーに乗る。ニューポートホテルの一帯が昔外人墓地で、その先の臨港線の踏切が「外人墓地踏切」ということを運転手が教え、この神戸好きの運転手は車をこの踏切の横に停める。

『三十年タクシーの運転手をしていながらつい最近までそんな名称がこの踏切にあるとは知らなかったというのも無理は無い。ちょっと待ってください、それです、それと車の中から指したのを見れば、なるほど柵の下のあたりに小さく、目立たないペンキの字で「外人墓地踏切」と書いてある。
「運転手さん、いまでもここ、汽車はしってますか」
と叔父が聞く。予期しない質問に少し慌てた様子で、勿論これは通っています、臨港線ですから、からんからんいわせてと答えてから、無用の長物で、遮断機がおりると大渋滞、もうええ加減にせいといいたくなる、今日なんかがらがらやけど、それにあいさに(時々)ラッシュ時にちんちんちんいうておりるねん、そうしたらディーゼルの機関車が一台、ちょっちょっちょっと行くだけやとたまらないような声を出してみんなを笑わせた。
「あれが神戸税関ですから」
茶色の石造りの建物が線路の向こうに見える。本当にこの税関があるのはいいですね、横浜と神戸独特のものでね、と私。そうなんです。妙なもので関西ではすべて何でも大阪中心でしょう。大阪鉄道局、大阪造幣局。ところが大阪に無いのはこの神戸税関。これは自慢できますよ。』

これは一例だがすべて同様。会話をしているのだが、地の文を会話文とが渾然一体となって、それでいながら語り手の話法の特徴を十分に捉えて融通無碍である。この無碍さが魅力である。

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