生田

 庄野潤三さんは、川崎市多摩区三田に住んでいらっしゃいます。もより駅は小田急線の生田駅。自分の身辺で起きた経験をまとめている庄野さんの作品には、生田の町の風景がしばしば描かれます。最新刊の「山田さんの鈴虫」において、どのように描かれているか一寸抜粋してみます。

『それまでに妻はスーパーマーケットのOKへ行き、次男に渡すお刺身を買ってくる。』(16ページ)

『「山の下」の龍太の幼稚園の運動会を見に行く。八時半に家を出て、長沢から百合ヶ丘行きのバスに乗って行く。会場は幼稚園の先の石段を下りたところの広っぱ。少し高くなったところの石のこしかけに坐って見物』(21ページ)

『三、四日前のこと。いつもの昼前の散歩で妻に頼まれていた野菜、果物などの買物のために、スーパーマーケットのOKに寄った。この散歩の途中で立ち寄るちょっとした買物のことを、私は「スキマー」と呼んでいる。(中略)
 「スキマー行ってくる。今日は何?」
と訊く。妻がいったものを忘れないように頭に入れて、足どりかるく家をとび出す。さげ袋をまるめて手に持っていく。
 ところが、この「スキマー」で大失敗した。OKの店の中を一まわりして、頼まれた野菜や果物をかごに入れて、レジに来たところで、手に持っていた筈のさげ袋が無いのに気がついた。どこかにおき忘れたかと店の中を一まわりしてみたが、無い。OKへ入るまでにどこかで落したのかもしれない、どうもそうらしい。ざんねん。がっかりした。』(35-36ページ)

OKスーパー三田店
この西三田団地のメインストリートに沿って、「藤屋」、「シャトレー」、「市場」などが並んでいるようです。

『「山の下」のけい子ちゃんと龍太の七五三を祝う日で、天気になってくれればいいがと案じていた。好天に恵まれてほっとする。
 
シャトレーに註文してあったお祝いのケーキが十一時に届く。妻と二人で「山の下」へ。
 埼玉の栗橋からあつ子ちゃんのご両親が来ておられて、みんなで近くの
氏神さまの諏訪社へ出かける。神主さんには妻が前もって七五三の拝礼のことをお願いしてあった。みんなで拝殿に上がり、おはらいをしてもらう。全員で神前に進み出て、サカキを供え、いわれた通り、二拝ニ拍手一礼して、これで拝礼は終わり。』(46-47ページ)

『書斎の机の上に黄色のばら二つ、活けてある。市場の八百清では、八百屋の店を岩手出身の働き者のまもる君に任せて、夫婦二人は店のとなりに花屋を出している。そこで買ったのかと訊くと、そうですという。』(49-50ページ)

この中に八百屋さんと花屋さんが並んでありました。

『清水さんがお元気であったころ、私の日課の散歩に出かけるとき、崖の坂道を下からばらの花束を抱えてゆっくりと上って来る清水さんによくお会いした。
 「おられますか?」
 「はい、おります」
 といってすれ違った。』(51ページ)

崖の坂道。ガードレールで分る急な斜面。

 

『清水さんは地主さんから借りた東京ガスの建物の裏手の畑へ、日よけの帽子をかぶって毎日のように出かけて行って、花の手入れをしておられた。』(52ページ)

『朝食を終わりかけたころ、庭木の手入れに大沢が来てくれた。「何人?」と妻が訊くと、「あとから三人来る。九人です」という。
 (中略)
 用意してあったパンが八個。一つ足りない。そこで私が
藤屋ベーカリーへ買いに行く。妻に頼まれた煙草を自動販売機で買うことになっていたが、はじめてでやり方がよく分らない。市場の薬局の前なので、店に入って、八十いくつになって元気でいつも店に出ている主人に話して、マイルドセブン10箱出してもらった。やれやれ。』(54ページ)

『生田へ。
 まだ来ないので気にしていた坂富さんの塗装工事の請求書がやっと届いた。午後、妻と
生田駅前の銀行へ。無事、振込を済ませて、ほっとする。崎東さんから水道工事の請求書が来たので、この分も引出し、これは長年、崎東さんに勤めて会計の責任者である西三田団地の森さんが会社へ出るときに取りに来てくれる。』(73ページ)

 西三田団地の建物写真

『元日の初歩き。
 年賀状に目を通して、お返しの分を書き、ポストまで出しに行くついでに少し遠まわりして、今年の歩き初めをする。去年一年はよく歩いた。日に三回(ときには四回)家を出て歩く。近所の親しい藤城さんが、愛犬のゴンちゃんを散歩させるときによく会う』(79ページ)

『妻と二人で近くの氏神さまの諏訪社へ初詣でに出かける。いいお天気で、気持がよい。
 拝殿の前で家族の一年の健康を祈って拝礼する。帰りは少し遠回りして歩く。』(85ページ)

『竿屋
 午前中、仕事をしていたら、家の前を、
 「さおやー さお竹」
 とマイクの声を流しながら通り過ぎる車がある。
 (中略)
 「呼んでくる」
 といって、こちらは外へとび出す。竹竿売りの車のスピーカーの声を追って行くうちに崖の坂を降りて、
西三田団地の中に入る。竿屋の車が団地の一つの棟へ入って引返してくるのをつかまえた。手を振ったら、ゆっくり近づいて来て、とまった。
 「竿が欲しい。さっき下りて来た崖の坂道の上だ。角から五軒目の庄野」
 というと、親父さん「分りました」。』(88-89ページ)

『妻は読売ランド前のミサヲちゃん(次男の奥さん)に電話をかけて、二時半に生田駅に来てもらって、頂きものを渡すことにする。(中略)
 二時に家を出て、
シャトレーに寄って、ショートケーキを買って生田ヘ。』(91ページ)

生田駅北口です。

シャトレーは、改築中で、この写真を撮ったときは空地でした。

 

 柿生のだるま市に行った帰り、
『帰りは
生田駅近くの中国料理店の味良へ入って、たんめんを食べる。年中行事のだるま市の帰りには、ここのたんめんを食べるのが決まり。』(109ページ)

『フーちゃんの西生田小学校の卒業式の日。予報通り曇り日。雨にならなくてよかった。
 フーちゃんが西生田小学校に通っている間、運動会にはいつも妻と二人で見に行った。』(138ページ)

『夏に次男一家が那須の会社の寮へ行くときに預かるジップを、いつも妻が散歩に連れ出すので「ジップ公園」と私たち二人で呼んでいる三田の公園のよこのさくらがいちばん先に咲いた。日課の散歩でいつもこのさくらの下を歩く。これからは、毎日、お花見をしながら歩くことになる。』(151ページ)

『生田まで戻って、高砂タクシーで帰宅』(173ページ)

『生田から歩いて帰る。ときどき寄る西三田団地のひっそりとした中庭のベンチに腰かけて休憩する。目の前の木立を眺めてしばらくぼんやりしている。この前、ここで休んだときは、砂場で小さい女の子が二人、遊んでいたが、ここはいつも人気がなくて、静かで、くつろぐ。妻も私も生田から歩いてきて、少しくたびれたところで、丁度いい。』(186ページ)

三田の公園のベンチ。私がこの写真を撮る前、庄野さん夫妻とよく似た、品のよい老夫婦が腰掛けていました。

『午後、二人で駅前銀行へ行く。帰りは生田往復のとき、帰りによく寄る団地中庭のベンチで一休みする。今日は子供もいなくて静か。あと、郵便局へ寄り、六月十五日のウタコさん(宝塚出身の剣幸さんの愛称)公演の切符代金を現金書留でマネージャーの白石さん宛に送る。』(198ページ)

『「山の下」一家が西長沢へ引越しする日。九時前に足柄から長女夫婦、トラックで手伝いに来る。二人で「山の下」の荷物をトラックに積んで運んでくれる。こちら、「七福神のせんべい」を持って「山の下」へ行き、あつ子ちゃんに「おめでとう」といって渡す。読売ランド前の次男も車で手伝いに来る。こちら、次男の車に乗って行く。結婚したてのころ、長女夫婦が入っていた借家のある餅井坂へ行く道を走り、西長沢の信号のところで右へ(百合ヶ丘の方へ)折れる。』(214-215ページ)

駅前の高橋花店で黄色の小さい花の鉢を買う。高橋はもともとは米屋で、亡くなった親父さんがいつも店にいた。』(217ページ)

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