プールサイド小景

書誌事項

プールサイド小景
庄野潤三著
短編小説集
初出

 黒い牧師  新潮  1954年6月号
 臙脂  文學界  1954年2月号
 紫陽花  文藝  1952年4月号
 結婚  文學界  1954年10月号
 プールサイド小景  群像  1954年12月号(芥川賞受賞作)
 十月の葉  文学雑誌  1949年7・8月合併号(後書き直して、「ニューエイジ」1954年1月号
 団欒  文藝  1954年6月号
 伯林日記  文藝  1955年2月号
 桃李  文學界  1954年6月号

出版 みすず書房 1955年2月25日 

紹介

 昭和30年第32回芥川賞の受賞者は、「アメリカン・スクール」の小島信夫と、「プールサイド小景」の庄野潤三でした。このころ、庄野さんは、朝日放送のプロデューサーをしながら小説を書いていました。昭和28年、転勤のために東京に移り住み、毎月のように文芸雑誌に短編小説を発表するようになります。その頃、精力的に発表した作品による作品集が「プールサイド小景」です。「プールサイド小景」で芥川賞を受賞したことは、庄野さんが作家として自立できる自信を与えたようです。昭和30年秋より、庄野さんは文筆専業となったのでした。

 庄野さんの作品の大きな柱に、「紺野機業場」や「屋根」といったいわゆる聞書き小説があるのですが、「プールサイド小景」は、「聞書き小説」を多く含む作品集です。ただし後年の聞書き小説は、聴き手のポジションが明確で、話し手の言葉がいきいきと描かれるのですが、この時代の作品は、作者の位置が小説の中には無く、客観的に突き放して書いているように思います。生の題材を相当料理して、板前の顔を見せない作品になっている、と申し上げてもよいかもしれません。

 「黒い牧師」は、ある女性の体験談。母親と娘二人の女性ばかり三人の家に訪ねてくる牧師。母親は牧師に対して恋愛感情があり、牧師は母親と姉娘に対して特別な感情があるようですが、そういう思いが具体的に描かれることはありません。描かれている行為は、全て妹娘の目で見たものですが、底に流れる黒い牧師立上先生への僅かに胡散臭い気持ちが浮きあがっていて、面白く感じました。

 「臙脂」は、バーのママをしている妻と、劇場の照明係の夫の間の僅かな心のすれ違いを描く作品です。黒縁の眼鏡を臙脂の眼鏡に替えた夫の気持ちは一体どうだったのでしょうか。

 「紫陽花」は、子供時代、家庭的に恵まれなかった女性の経験談。盛り沢山の内容ですが、一つ一つのエピソードに深みがなく、全体として散漫な印象です。

 「結婚」は、無口なパン職人と結婚した妻の話。妻は、夫の勤めているパン屋の主人と不倫関係にあったわけですが、夫と結婚生活をおくるに当たり、自分の過去の秘密を知られているのかどうなのかがわからない不安と、すれ違いの生活(夫はパン屋なので朝はとても早く、帰りも早い)と無口な夫に対する不満があります。こういった不満や不安を内在しながらも、噛み合わない歯車のような生活であっても、夫婦は壊れることなく続いて行きます。

 この「結婚」の先に「プールサイド小景」があります。「結婚」での夫婦の危機の原因は妻の秘密とすれ違いの生活ですが、「プールサイド小景」では、夫の会社の金の使いこみとその結果の失業があります。子供をプールに連れてきている夫(父親)の光景は、平和で幸福な家族の姿に他なりません。けれども結婚15年の課長代理夫人は、夫の失業という危機に際してはじめて、自分たちの過ごしてきた生活が、いかに頼りなげで愚かしいものであったか、ということに気付きます。

 「日常に潜む深淵」を描いた作品として、この作品は高く評価されているのですが、約三十年ぶりで読み返してみて思ったのは、人工的印象の強い作品だ、ということです。この作品集の中でも最も作りもの的です。描かれている光景はまるで映画を見ているような立体感があります。それはしかしながらセットで照明を照らしながら美しく描いたもののようです。文章も柔らかくて美しく、それだけに切なさがつのります。傑作であることは間違いないのですが、庄野文学の流れの中では、特異的作品のように思います。

 「団欒」は、学徒動員されて館山にいる庄野さんを訪ねていく、お母さんと妹さんの話。戦争下という切迫した状況の中、いつ出陣命令が下るかも知れぬ息子に会いに行こうとしてすれ違いになる様子。初期の庄野文学の特徴は、平穏な中に潜む悲劇。またはその逆で、悲惨な状況の中での一瞬の幸せをよく書くことにあったと思うのですが、これもその一つ。漸く会うことができた親子は、またすぐ別れるのですが、それだけに切り取られた一瞬が光ります。

 「伯林日記」は、庄野潤三さんのお父様で帝塚山学院の創始者、庄野貞一の8箇月に渡る欧米視察旅行の手記に基づく作品。末の息子、四郎を思うシーンが印象的です。

 「桃李」は、「愛撫」に始まる一連の夫婦小説から、家庭小説に切り替わっていく最初の作品です。昭和28年、庄野さんは転勤のため東京に移り住みますが、そのときから、長女の小学校入学試験の失敗に至る、当時の庄野家の様子が描かれます。この転勤によって長年住みつづけた大阪から東京に移住して、庄野さん自身に「父親」の精神、あるいは「家長」の精神というべきものが、作者の内面に見出されて来ます。桃李」の主人公は、もう夫婦小説に出てきた妻を裏切るような弱い夫ではなくなっています。

 初期の庄野文学は、夫婦や家庭の持つ不合理性や平穏な中の落とし穴を詩情豊な文章でつづっていくところに特徴があるのですが、それが単なる傍観者、記録者ではなく、自らも家庭の一員として共に喜び、共に不幸に対峙しようとする意志を感じるようになります。これがもっと明確になるのは中期以降の作品ですが、庄野文学の中でほとんど最初期の「プールサイド小景」の中にも、そういう庄野さんの気質が現われていることに、喜びを感じます。

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