水の都

書誌事項

水の都
庄野潤三著
初 出 「文藝」(河出書房新社)1977年6月〜1978年2月
出 版 1978年4月20日 河出書房新社 

紹介 

 中学生時代に庄野潤三が好きになって、当時発売された『庄野潤三全集』を購入したりして、片っ端から読みました。しかし、大学に入学してから、どういうわけか、庄野潤三作品を読まなくなり、就職してまた庄野ワールドにとり付かれるまで、10年弱のブランクがあります。その間、庄野作品を全く読んでいなかった訳ではないのですが、「水の都」は今回はじめて読んだ作品です。

 水の都は即ち大阪です。庄野さんも生まれは大阪ですが、『同じ市内といっても南の外れに近く、家を一歩離れると、とんぼ取りの好きな子には(実際、私がそうであった)宝庫といってもいいような葱畑や野原、田圃、水草の茂る池の多かった帝塚山で大きくなった』訳ですし、奥様も築港の生まれで端っこであるには変わりがないです。帝塚山は大阪の街中の匂いの希薄な所だったようで、庄野さんの胸には『大阪に生まれながら大阪をよく知らないまま関東へ来てしまったという、悔いとはいえないが、いくらか悔いに似たもの』があったようです。その気持ちが、この作品の冒頭の『必ずしも商家に限らないが、古い大阪の街なかの空気を吸って大きくなった人に会って、いろいろ話を聞いてみたらどうだろう。おじいさんかおばあさんのいる家なら、なおいい。』という言葉に結びつきます。

 インタビュアーの庄野さんがお話を聞くのは、奥様の従弟で、高麗橋で茶道具屋をしていたお祖父さんのあとを嗣いで商売を続けている『悦郎さん』、後に『早春』で色々な話をしてもらう、昔靱で鰹節問屋をやっていた『鈴木の叔父さん』です。他には、東京の虎ノ門で自動車の部品を取り扱う会社の社長さんである『内田さん』です。悦郎さんのお話を中心に、鈴木の叔父さん、内田さんのお話が加わって、明治末期から戦後に至る大阪商人の行動、習慣が明らかになります。

 この物語りの骨子となる悦郎さんは、庄野さんの奥さんよりひとつ年下とまだ若いのですが、茶道具という美術工芸品を扱う世界にいるせいで、昔からの習慣が未だ守られています。この悦郎さんという方がいらしたお蔭で、昔から現在に至る大阪商人の様子が明確に表示されます。

 修業時代の丁稚の替わりの話。毎朝早起きをして、掃除をしてから学校に行く。その理由が「大阪の商人というものは、一分一秒でも隣の家より早起きして、表を開けて、先ず前を掃除する、それが商売人のしきたり」だからです。戦争から戻ってきて、お祖父さんに「商売をやってみたい」というと、「やる限りは丁稚奉公から始めんことには商売は覚えられん」といわれ、番頭の生島に預けられて鍛えられます。それでも悦郎さんは、後継ぎです。本当の丁稚奉公をした訳ではありません。

 大阪の本当の丁稚奉公は、内田さんのお話によります。昭和初期の丁稚奉公は、非常につらいものだったようですが、実家にいれば食うや食わず、奉公に行けば、三度三度の食事が出るどころか、頭の先から足の先まで全部、親方もちということで、貧しい人たちにとっては非常に有難いものだったようです。一日の仕事は朝5時から6時の間に起きるところから始まって、夜10時の点呼まで、食事・入浴は別にしてほぼ働き詰めです。その後主人にお休みの挨拶をして部屋に戻ってから算盤の稽古。12時過ぎまでかかります。休みは月2回。その内1回は潰れることが多かったということで、大変さがよく分ります。その中でお祭りや正月、秋の松茸狩り、夏の甲子園の野球見物といったリクレーションもあるといった具合で、細かいお話を、庄野さんは上手く整理してみせてくれます。

 一つの話の山場は、現在子供のいない悦郎さん夫妻が、養女を貰って、その養女のお披露目のお茶会の話です。目的は御披露目なのですが、そこは日本、「久々に粗釜を相掛けたく存じます」と万事控えめに書かれた招待状が来、出かけてみてその盛会な様子を驚き、終わったとの御礼状と、お茶の世界の風習がよく示されます。

 悦郎さんへのインタビューは、大阪の四季を背景にしながら何度か続きます。午後から話を始めて、夕食を共にしてが多いのですが、めいたがれいだの鱧だの関西料理が出たりもします。そういう背景のなかで、悦郎さんの商売の風習や、これまでの経歴が語られます。鈴木の叔父さんのお話も、一寸昔の大阪商人の心意気と日常が示されていて興味深いです。地点は一つだけれども、時代が微妙にずれていて、立体的に話が組みたてられています。

 この作品の主人公は悦郎さんでも鈴木の叔父さんでも、まして内田さんでもありません。それは舞台である大阪であり、あるいは大阪の商家の日常がかもし出す雰囲気だと思います。私は大阪商人というとかつて花登筺の小説で読んだど根性もののイメージが強いのですが、「水の都」に描かれる大阪商人は、もっと柔らかい香りがします。それは、語り手の言葉を大切にし、インタビューの状況を示した庄野潤三の目指したものなのだろうと思います。

 聞き書き小説は、庄野潤三の得意分野ですが、「水の都」はそのなかでも傑作だろうと思います。これまで読んでいなかったことが残念でなりません。

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