書誌事項


庄野潤三著
短編小説集
1962年7月15日第一刷発行
新潮社

「道」   「新潮」 1962年4月号
「南部の旅」   「オール読物」 1960年1月号
「静かな町」   「別冊小説新潮」 1959年10月
「なめこ採り」   「文學界」 1960年7月号
「二つの家族」   「新潮」 1961年9月号
「ケリーズ島」   「文學界」 1960年12月号
「マッキー農園」   「文學界」 1961年4月号
「二人の友」   「声」 1960年10月、秋季号

紹介

 庄野さんが、アメリカ留学から帰って来た後に発表された短編による短編小説集です。帰国後の作品集ということで、アメリカ滞在中の経験に題材を採ったのが、「南部の旅」、「静かな町」、「二つの家族」、「ケリーズ島」、「マッキー農園」の五篇。日本に戻ってからの旅行経験に基づいて書かれたのが、「なめこ採り」と「二人の友」、そして「道」が、モデルはあるにしても比較的純粋な創作です。

 「道」は、最近の庄野文学から見ると、かなり特異的な作品です。1954年に庄野さんは「結婚」という作品を発表しているのですが、これはその後日談です。主人公の女性の一人称で書かれた作品ですが、庄野文学の多くが、作者の視点を明示的にあるいは暗示的に出しているのに対し、この作品には庄野さんの姿が見えません。この女主人公は端的に言って不幸な女性でしょう。結婚前住みこみで働いていたパン屋の主人と肉体関係があり、今の主人は結婚前のこの出来事の傷が癒されず、家出を繰返す、そのうえ、旦那の仕事は上手く行かないという風です。しかし、彼女は、パン屋の主人と現在の主人を比べてこう思うのです。

『お店の主人は好きでした。しかし、好きなことはどんなに好きでも、一緒に暮らしたいとは決して思いません。一緒に暮らすのなら、今の主人の方がいいのです。
 火に譬えたら、私の主人は埋めてある火で、あっちはイコった火です。にちにち暮らすのだったら、長い間当たっていられる方がいい。』

 この言い分は、随分勝手な物言いです。でもこの妻の言い分がさほど嘘では無いように思えるように描いているのが作品の腕です。夫婦の危機は顕在しており、さらに暮らし一般についても客観的にはかなり厳しいにもかかわらず、この夫婦はこのまま続いて行くのだろうな、と思わせる奇妙なバランスがあります。

 アメリカ留学を題材にした五篇と日本の旅行を材料にした二編は、どれも部外者の目のポジションに魅力ある作品です。庄野さんはアメリカ留学をする時、日本人の誰もいないような片田舎の町で、アメリカ人の生の姿を見たいということで、ガンビアを選んだということですが、彼の留学に題材をとった作品は、旅行者の驚きを書くのでは無く、異邦人の滞在者として、起きたこと、あったことを淡々と冷静に書き連ねている所に特徴を感じます。

 「静かな町」などは、その典型なのでしょう。その中で、一番優れているのは、「マッキー農園」です。春の日曜学校で、日本の年中行事のお祭りの話をした庄野さんと話をして知り合ったのが、戸数25戸のブランドンという村に住む農民のマッキーさんで、日本に帰国するまで、庄野夫妻とマッキー一家の交流が続きます。その間に数多く行き来をして、庄野夫妻は、アメリカの農民の生活を実態として知り、その経験を淡々と描いて行きます。誇張も無ければ、比較も無い。子供の日本人に対する配慮の無い英語には、「何を言っているのか理解できなかった」とはっきり書くけれども、一方で、牛の乳絞りの様子は、絵に描けるように詳細に描き出す。フランクなヤンキー体質とも言うべき人懐っこさと、実際の農民の生活の苦労が同じ視線の高さで描いている所に私は惹かれます。

 この見方、描きかたは、その後の「聞書き小説」のいきかたとよく似ています。庄野さんの「聞書き小説」は、庄野さん自身が作品の中で一定のポジションを占め、その位置で、話し手のお話しに耳を傾けるわけですが、その端緒がこの「マッキー農園」にあるのではないかと思います。

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