小えびの群れ

書誌事項

小えびの群れ
庄野潤三著
短編小説集
初出

 星空と三人の兄弟  群像  1968年2月号
 尺取虫  季刊芸術  1968年冬季号
 パナマ草の親類  海  1969年11月号
 野菜の包み  群像  1970年4月号
 さまよい歩く二人  文藝  1970年3月号
 戸外の祈り  婦人之友  1969年5月号
 小えびの群れ  新潮  1970年1月号
 秋の日  文藝  1969年1月号
 湖上の橋  文学界  1968年9月号
 雨の日  風景  1969年3月号
 年ごろ  文学界  1970年2月号

出版 新潮社 1970年10月 

紹介

「小えびの群れ」に収載された短編小説は、1968年から70年にかけて執筆された作品で、庄野さんが47歳から49歳にかけての作品です。庄野さんの40代後半は、あぶらの乗りきった時期と言って良く、まず、45歳のとき、代表作「夕べの雲」で読売文学賞を受賞、その年に「流れ藻」を一挙『新潮』に掲載、翌年は「雉子の羽」を連載し、47歳で「前途」、48歳で「紺野機業場」、49歳で「屋根」と毎年長編小説を発表しています。その間、短編集を3冊、随筆集を2冊まとめ、文学賞は、「夕べの雲」の読売文学賞に加え、「紺野機業場」で『芸術選奨』、短編小説「絵合せ」で『野間文芸賞』を受賞しています。

この時期の長編小説は、「流れ藻」、「紺野機業場」、「屋根」と聞き書き系の作品が多く、自分の生活を描くことはあまりしていませんでした。そのころの自分の身辺に題材をとった作品は、短編に集中しています。「小えびの群れ」は3系統の作品からなる短編集ですが、収録11作品中「星空と三人の兄弟」から「小えびの群れ」までの7作品が、自分の身辺に題材をとった作品。「秋の日」と「湖上の橋」が、過去の体験を題材にした作品。「雨の日」と「年ごろ」は、自分の生活圏にいる人たちの様子を綴った作品です。

これらの作品の中で、まず指を折るべきは、「星空と三人の兄弟」だと思います。グリム童話の「『ぞっとする』ことを知りたくて、旅に出た男の話」の筋を追いながら、「私」は、自分の三人の子供達の言動を次々と思い浮かべる。連想は色々であって、似たような事柄を思い出したり、思いっきり飛躍したりする。小さなエピソードを重ねながら深みを出していく書法は、庄野さんが得意とする手法ですが、この作品ではその自由な飛躍が、グリム童話のお話の筋に帰ってきます。そのバランスが抜群です。「星空と三人の兄弟」のように、ある物語をベースに、自分の生活を反映させる手法は、例えば、「エイヴォン記」などにも見られますが、その連想の自由さ、ベースのお話と子供達の言動との融合は、「星空と三人の兄弟」の方が優れていると思います。作品の最後で、「ぞっとしたい」男の子と、流れ星を見たかった「私」の上の男の子は、共に最後には目的を果して、小躍りして喜びます。この見事さ。

連想の多様さと言う点でもうひとつ面白いのは「野菜の包み」です。「私」の家の台所で、野菜の包みの陰からねずみが姿を現します。このねずみ退治の様子をユーモラスに書きますが、そこから色々な連想にとびます。グリムの「ハメルンの笛吹き」を思いだし、17世紀のオランダの「ねずみ捕りの男」という絵に思いを馳せ、さらに、子供の時、父親が洋行土産で買ってきたドイツの漫画を思い出します。そういうねずみに関する色々なお話や経験を思い出しながら、自分の家の台所のネズミ退治に戻っていくのです。

童話への連想、という点では「さまよい歩く二人」もいいです。女の子と男の子の姉弟が休みの日に美術館と動物園に言った話を報告させられています。この姉弟のさまよい歩く様子から、「私」はグリム童話の「水牛の革の長靴」というお話を思いだし、更には、「金の毛が三本はえているおに」という作品に繋がります。さまよう二人が見たおばあさんが椅子に腰掛けている絵と、二つの童話に出てくるおばあさんが結びつき、童話のおばあさんのゆく末に心を馳せます。

少年期の子供達の様子を生き生きと描いた傑作が「明夫と良二」ですが、そのプロトタイプとも言える作品が、「戸外の祈り」や表題作の「小えびの群れ」です。「戸外の祈り」では、良二はいいように明夫のおもちゃにされています。日曜日の朝ご飯の場面がユーモラスでいいです。地の文で、『朝御飯ひとつ食べる間にも、良二は何度も痛い目に会わなくてはいけない。』というのが、いかにも男の子兄弟です。
「小えびの群れ」は、良二を中心とした作品です。うたたねをしている父親が、科学雑誌の付録で遊ぶ良二の様子を見ています。乾燥したえびの卵を孵す話ですが、そこでの家族の会話がおかしいです。
乾燥した卵がこのまま10年ぐらいもつという話を聞いた「彼」は、「わしも十年くらい、眠っていようか」といいます。「そうすると、残りのものはおまんまが食べられなくなる」となり、では、「家族五人で眠ればいい」となります。すると、「十年も経つと、藤棚の藤が床から生えてきて、天井をぶち抜いて、ジャックと豆の木の、あの豆の木のようになっているかもしれない、そうすると後が大変だ」と話がまとまり、沙汰やみになる。こういうところがこの家族の味ですね。

「秋の日」。昭和18年の満州旅行に題材を取った作品。渤海国の史跡を見て勉強したい思いと、戦争で徴兵猶予が廃止され、自分も軍隊へ行って戦っていこうという思いが錯綜して、緊張感が漂います。こういう作品を読むと、庄野さんも戦争の影響を無視出来ないところから出た作家なのだなあ、と思います。

「湖上の橋」。庄野夫妻のガンビア滞在中の南部バス旅行に題材をとった作品。「秋の日」と並べることにより、戦中の満州と、昭和30年代の米国南部との対照が、同じ旅行記ながら違った趣がでて、面白いです。

「雨の日」と「年ごろ」。庄野さんの家の廻りの商店などに題材をとった作品。庄野さんはこれらを第三分類としていますが、庄野さんの近作では、これらの周囲の人々の様子が、家族の様子と同等に書かれてくるのはご存知のとおりです。この2作は聞き書き的作品ですが、地元の人々の様子はだんだん自分の生活と融合して来ます。

庄野潤三の部屋に戻る


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送