子供の盗賊-自選随筆集-

書誌事項

子供の盗賊
庄野潤三著
自選随筆集
1984年12月15日初版発行
牧羊社、1900円、0095-10326-7760
随筆集「自分の羽根」、「クロッカスの花」、「庭の山の木」、「イソップとひよどり」に収載された作品から自選した88編。発表時期は1955年から1975年

紹介

 庄野潤三さんの作品は、全て自分の視点があって、そこからの観察を文学に仕上げていくところに特徴があります。随筆と小説とでその特徴に差は無いように思います。随筆であろうと、小説であろうと、日常の一断面で観察された一寸したことがらを書いています。そのスタイルはデビュー当時から大きくは変っていないのではないでしょうか。

 本書「子供の盗賊」は、作者が一番敬愛する随筆家チャールズ・ラムとその姉のメアリーの暮らしぶりをを偲ぶ旅行記「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」を書き上げたあと、それまでの作者の随筆のアンソロジーとして編まれた物です。自選を歌っているだけあって、庄野さんの特徴がよく現われた作品集になっています。20年間に渡って書かれたものが集められているわけですが、最初の頃の作品も最後の頃の作品も本質的に同質です。そこに庄野さんの文学的スタンスがかなり前に固まり、その延長線上で諸作が書かれている事がよく分かります。

 「自分の羽根」という作品があります。これは、庄野さんが昭和34年1月にサンケイ新聞に掲載されたものですが、庄野さんの文学的立場を表しています。抜粋します。

 『私は自分の経験したことだけを書きたいと思う。徹底的にそうしたいとかんがえる。但し、この経験は直接私がしたことだけを指すのではなくて、人から聞いたことでも、何か読んだことでも、それが私の生活感情に強くふれ、自分にとって痛切に感じられることは、私の経験の中に含める。
 私は作品を書くのにそれ以外の何物にもよることを欲しない。つまり私は自分の前に飛んで来る羽根だけを打ち返したい。私の羽根でないものは、打たない。私にとって何でもないことは、他の人にとって大事であろうと、世間で重要視されることであろうと、私にはどうでもいいことである。人は人、私は私という自覚をはっきりと持ちたい。』

 もうひとつ、「子供の本と私」という作品もあります。これは岩波書店の創作児童文学の一冊として出した「明夫と良二」が出版された頃に書かれた随筆ですが(昭和47年7月、図書)、ここには、

 『子供向きにかいたのではない私の小説や随筆を、自分の子供が読むことがある。
 読んでいる途中でふきだしてくれると、うれしい。大きな声でなくていい。ひとりでに笑ったのが分るような笑いかたなら、いい。
 その小説なり随筆は、いわば真面目に書いたもので(真面目でなしにいったい何が書けるだろう)、誰かを笑わせようという考えは、こちらに無い。
 健康な笑いというのは、文学において尊重されるべきものだと思うが、それはどこまでも自然でなくてはいけない。自然にしか生まれないものだろう。
 笑わせようとしても、本当におかしくなければ誰も笑うものではない。無理強いは出来ない。そうして、笑いの中にも、質のいい笑いとそうでないものとがある。
 人が笑っているのを見て、おかしくなる時もあれば、反対に索漠とした気持になる時もある。何らかの意味でそれが人生の機敏にふれたものでなくてはいけないだろうし、言葉の選択という点できびしさが無くてはいけないだろう。何よりも新鮮でなくてはいけないだろう。
 いいかたを変えれば、物真似では無い、その人だけしか持っていないものでなくては、つまらないだろう。
 こちらが、笑わせようなどという料簡は一切なしに、一篇の小説なり随筆を書いて、家の中でそれを子供が読む。一回でもいいから笑ってくれると、有難い。何度も笑ってくれると、しめたと思う。苦労のし甲斐があったという喜びが湧く。
 反対におしまいまで黙ったきりで読んでいるような時は、元気が無くなる。それは、まるで手ごたえがなかったのと同じことだから。
 笑いが文学の全部ではないといわれるかも知れない。その通りだろう。ただ私は、常に生き生きした生活を捉えたいと願っている。生き生きした生活が、もししっかりと捉えられたら、必ずそこに健康な笑いがある筈だと考える。
 すべての瑞々しいもの、こまやかなもの、光るもの、思いがけないもの、まっとうなものから、笑いが生じるだろう。』

 と書いてあります。この二つの文章に書かれたことを、結局庄野さんはずっと続けてきました。ほとんど振れがない。その文学的結実は非常にレベルの高いところにあると思います。その一途さを愛読者は楽しんでおります。

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