雉子の羽

書誌事項

雉子の羽
庄野潤三著

1968年3月25日第一刷発行
文藝春秋社
初出:1966年12月-1967年11月、文學界

紹介

 その月その月に取材する断片の中から取捨選択して書き連ねて行く「小説らしくない小説」です。昭和41年の10月から取りかかり、12月号から連載が始まったという、その当時の現在進行形の作品です。

 ここに出てくる断片は、蓬田家の主人と妻、女の子と二人の男の子が見た、「進行形」の事実の断片です。これらは、恐らくほぼ時系列に従って、しかしながら、それぞれの断片は独立に、繋がって行きます。お互いの断片は、無関係ながらどこか呼応し、互いがくっついたり離れたりしながら、全体としてみた時、1966-7年のほぼ1年間の生田の様子が見えるようになっています。

 五人の目を使った、というのは材料を集めるための工夫であったことは間違いないですが、五人の目がそれぞれ別のところに焦点を当てているため、ある時間的・空間的関係が複雑な層構造が出来あがっています。この視点は外を向いており、家庭内の出来事は一切取り上げられていないにも拘らず、全体としてみると、蓬田家の家庭の呼吸が何となく見えるようになっているのが不思議です。

 断片は、ほんの数行から数ページに渡るもの迄色々ありますが、合計で171篇。ほとんどは五人の目から見えた進行中の事実です。五人の感想はどれも控えめです。しかし、それぞれの断片は、それぞれに趣があり、それぞれの面白さがあります。例えば、47章。

『「朝、ぼくががけの上からみたら」
 夜、家の中で男の子が話している。
 「畑の上にカラスがいたの。三、四羽、いた。ぼくががけからおりてみたら、そのカラスが電信柱の上にぜんぶとまっているの。そして、そこらへんにある電信柱の上にぜんぶとまったの」
 「そこへもう一羽、来たの、あとから。それがとまろうとしてるんだけど、電信柱にはぜんぶとまっていて、一本もなくて、ほかのカラスのとまっている電信柱の上、飛びまわっていたの。そして、とうとうおしまいに、前にとまっていたカラスの上に乗っかったの。そしたら、前にいたのがおこって、あとから来たカラス、追いかけていったの」』

 これが全文です。別にどうと言うことのない光景ですが、こう書かれてみると、のどかなおかしみがあります。もう一例81章。

『夕方、蓬田が道を上がって来ると、向こうから女の土方が四、五人、かたまって帰ってきた。
 道の横のもう出来上がった建物をみて、
 「足場外すと、きれいに見えるね」
 と一人がいった。
 ほかの者は、ただ眺めただけで、何もいわずに歩いて行った。』

 これもまた、別にどうと言うことのない光景ですが、一抹の寂しさを感じます。

 五人の目の向きはそれぞればらばらです。蓬田は地域の変化に割りと敏感ですし、妻は、買物に出かけた時の商店や電車での出来事に。大学生らしい女の子は、外の話が目立ちます。中学生と思しき上の男の子は学校のこと、小学生の下の男の子は学校や、帰宅後の遊び、友達に焦点があいます。しかし、これらを複合すると時代が見えて来ます。

 庄野さん一家は、昭和36年に東京・石神井から、神奈川県の生田の山の上に引っ越しました。最初は周囲に何も無かったようですが、その後日本住宅公団の団地造成が始まり、今の西三田団地となって行きます。その西三田団地が造成される時期がこの「雉子の羽」の時期と一致しています。実際に団地造成に携わるのは、建設労働者です。彼らを庄野さんは、敢えて「土方」という言い方で書いています。

 土方は飯場で暮らし、団地の工事が終れば、またよその飯場に移って工事に携わります。高度成長期の土方の動きが、下の男の子が話す、季節の変動と共に描かれ、全体としてみると、土方の盛衰と哀しみが見えて来ます。一方で、そのような新しい町の建設のもとで、小学生は昔ながらの自然に親しんで、小動物を捕まえたり、飼育したりして遊びます。結果として、都市化の現実が、等身大で見えてくるのです。

 尚、1990年代の庄野文学の語り口の大本がこの作品にある、と言う事を付け加えたいと思います。 

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