鍛冶屋の馬

書誌事項

鍛冶屋の馬
庄野潤三著
連作短編集
1976年4月15日第一刷発行
文藝春秋社、0093-303850-7384
初出:1975年1月-12月(2月号を除く)、文學界

紹介

鍛冶屋の馬
七草過ぎ
ユッカ蘭の猫
花瓶
草餅
ココアと筍
梅の実
雲の切れ目
シャボン玉吹き
納豆御飯
真夜中の出発

 黍坂に住む、井村の長女・和子の語りによる連作短編集です。それぞれの表題が上の11。この時代の庄野文学は、晩年の全てを包含してしまった作品とは異なって、テーマに基づき、必要な部分だけを抜き出し、それ以外の部分を削ぎ落としたような作品を書かれています。『鍛冶屋の馬』もその一つで、晩年の自由闊達な作風を知ったものから見ると、随分窮屈な書き方をしているな、と思わせられる部分もあるのですが、逆に小説らしい小説に仕上がっているようにも思えます。

 作品の構成は、いわば聞き書きです。黍坂の和子が実家の井村の家に来て、自分の住んでいる三軒続きの借家(あとから庭先の葡萄棚を取り払ってもう三軒の合計六軒)に住む人たちの日常生活と交流を話していきます。この世間話を書きとめていきます。世間話をしに来る和子には幼い二人の子ども(正夫と竹夫)がいて、三人目がお腹の中にいる時代です。周囲の借家の人たちも似たような小さな子どもたちがいて、お母さん同士のコミュニティ、子ども同士のコミュニティが成立しています。そのコミュニティの出来事を、和子という観察者の目を通して、書かれます。作者は、あとがきで
 『噂話を聞く楽しみというものがあるとすれば、それを引出したい』
と書きますが、それは成功していると思います。

 噂話ですから、脈略はありません。色々な事柄に話が飛びます。また、話が始まるきっかけも多種多様です。そういう色々な噂話を、作者は、噂話を聴いている場と時間とを固定します。その形が全体を統一する形式です。

 例えば、表題作の『鍛冶屋の馬』

 和子が噂話の口火を切る。そのとなりの部屋では、正夫と竹夫の兄弟がおもちゃのトラックの上に、妻から貰った餡パンと煎餅の入った袋を載せて遊んでいる。今日実家に来たのは、和子が駅まで出かけたら、思いがけず、花屋の前で井村の妻に出会ったから。このように話が始まった状況を説明しておいて、その後は、和子の話が続きます。その話の展開は、
 ・鍛冶屋の小父さんが馬に草を食べさせようと連れてきて、和子と会った。
 ・そのそばに、大家さんの家の末っ子の春男ちゃんがいた。
 ・春男ちゃんのエピソードの紹介
 ・鍛冶屋の馬の旗競馬の話
 ・鍛冶屋さんが、前の借家の建具屋さんや畳屋さんと話をする
 ・鍛冶屋さんの料理の自慢話
 ・鍛冶屋さんの家族の話
 ・鍛冶屋さんに稲荷寿司の油揚げを破かずに開くコツを教わる話。
と鍛冶屋さんを中心にしているものの、あちこちに脱線しながら話が発展します。

 和子が帰ったあと、井村は、鍛冶屋の馬の話を最初に聞いたときのことに思いを馳せます。それは、三月の中頃、黍坂では和子を除く後の家族が揃ってインフルエンザに罹って寝込んでしまい、その病気が回復していつもの生活に戻った時であることを思いだします。次に、そのインフルエンザの騒ぎの経緯が詳細に紹介されます。このインフルエンザの話のあとに、鍛冶屋の小父さんの馬の話が初めて出たような気がする、と書かれます。そして、その時の鍛冶屋さんと馬の話がまた脱線しながらまとまるのです。

 要するに大きく二部構成になっており、後半は更に二部に分かれていて、見方によっては、A-B-A'の三部構成の様にも見えます。そして、AもA’もその中は、色々な広がりをもって発展するという形をとっています。

 このような二部形式とも三部形式ともとれるような形で全てが描かれているわけではないのですが、一つの話題を、和子という一人の語り手の、何回かの話で、複合的に付随的エピソードも含めながら多角的に描いてみせる、という点で共通しています。

 また、そういった付随的エピソードに、クスリと笑える楽しいものが幾つもあります。

 例えば、大工さんの所の下の男の子は最初「やっちん」と呼ばれていたのですが、その後「やっちゃん」と変わったそうです。でも井村一人は、最初の名前を変えずにいます。次を引用します。
『黍坂から和子が子供を連れて来ると、決まって、
「やっちん、どうしている」
 と聞く。
 すると、正夫は、
「やっちん、じゃないよ。やっちゃん」
 という。
 この誤りは訂正しておかないといけない、といったふうに、力を入れていう。
 ところが、或る日、この子はうっかりして、やっちんと呼んだらしい。たちまち、
「やっちん、じゃないよ。ぼくは、やすのりだよ」
 といわれた。
 見事にしっぺ返しを食った。』(七草過ぎ)

 他にも楽しい付随的エピソードが色々あるのですが、もう省略しましょう。

 一言追加すれば、この作品は、東京近郊ではあるけれども、まだ田舎の趣が残っている黍坂という土地での、比較的若い住民の1970年代の交流を描いた作品でもあります。庶民のこの時代の風俗を捉えている、という点も強調して良いでしょう。

 また、庄野文学の二つの大きな流れは、『自分の生活をモデルに書く』、『聞き書き作品』でありますが、本篇は、和子という家族の一員の語りを聞き書いた作品であり、二つの流れが融合した作品である、という点も書いて置こうと思います。

庄野潤三の部屋に戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送