自分の羽根

書誌事項

自分の羽根
庄野潤三著
随筆集
1968年2月講談社刊

初出:1955年から1967年各雑誌、新聞等

紹介

 庄野さんの第一随筆集です。庄野さんの小説の処女作は、1943年に発表された「雪・ほたる」ですが、習作時代が終わり、本格的な作家活動に入ったのは、1949年に発表した「愛撫」に始まります。そのころから随筆を書いていたのかも知れませんが、雑誌や新聞に本格的に書くようになったのは、芥川賞を受賞した昭和30年ころから、と言うことなのでしょう。そして、12年間に書き貯めた随筆のうち、選りすぐりのもので編んだのが、「自分の羽根」でした。

 この随筆集により、庄野さんは随筆集の庄野スタイルを確立したように思います。その後三、四年間隔で定期的に出版される随筆集は、2002年に出版された「孫の結婚式」を唯一の例外として、同一のスタイルが貫かれています。そのスタイルとは、最初が自分の生活の中で感じた印象、スケッチなど、第二が文学的なエッセイ、第三が作家の印象や回想です。そこ中の並べ方も、阪田寛夫氏の「庄野潤三ノート」に拠れば、「どの場合の全体を三分する。(略)。次に、それぞれの群の中で順番を決めて並べて行く。その際、原稿用紙を横長に数枚貼り合わせて、そこへ鉛筆で目次を書きならべ、消しゴムで消しては置き換え、棄て、拾い上げる」、のだそうです。

 このように組み合せて行き、一つのハーモニーを奏でるようにしていく、というのが初期の庄野さんの随筆の行き方でした。このような断片のエピソードを組み合せて一つのお話を作って行くというスタイルは、庄野さんのお得意とするところで、現在書きつづけている、「夫婦の晩年」シリーズが正にそうであります。またその随筆に描かれている世界は、声高に主張しないけれども、どこかに引っ掛かりを残すようなそういうものです。

 この第一随筆集の中で最も重要なのは、主題作である「自分の羽根」ですが、この作品はわりと庄野さん自身の考え方をストレートに示しているという点で、庄野文学の中では例外的です。勿論、昭和34年に発表したこの随筆の通りに、80台に至る迄作品を紡いで来た作家の堅い決意を私はとても素敵に思っています。

 この随筆集は12年間書き貯めたものを集めていますので、バラエティに富んでいます。第一部は石神井時代の出来事、次いで、ガンビア留学、そして生田に移ってからの生活まで多岐に渡ります。石神井時代の文章が悪いわけではないのですが、生田に越してからの文章に私はより惹かれます。例えば、「豆腐屋のお父さん」。これは生田に越してから石神井時代のエピソードを書いたものですが、最後の「落ち」が見事に決まっています。また、生田の失われつつある自然、あるいは自然の中での生活を書いた、「今年のムカデ」、「黄色い帽子」、「苦労症」、「多摩の横山」、「道」、「石売り」、「竹の籠」、「梅の花」などがいいです。

 第二部では、真摯な文学的感想が多いと思います。「自分の羽根」もそうですが、後年から比べると割合ストレートな言いかたが多いように思います。多少理屈っぽい。自分の敬愛するチェイホフとラムについて語った「文学を志す人々へ」などは、庄野さんの気分が好く分ります。文学全集の月報にもいろいろ印象や感想をかかれていますが、取り上げられている作家が、漱石、鴎外、藤村、徳田秋声、正宗白鳥、梶井基次郎と、後年語ることの作家とは異なっています。

 第三部は、友人・先輩たちの印象・回想記。こちらはいつもの伊東先生や佐藤春夫、島尾敏雄、安岡章太郎といった面々のほか、めずらしいのは井上靖と秋元松代です。

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