イソップとひよどり

書誌事項

イソップとひよどり
庄野潤三著
随筆集
1976年6月20日第一刷発行
冬樹社、0095-10232-5190
初出:1958年から1976年各雑誌、新聞等

紹介

 1973年から76年に掛けて書かれた随筆・短文に、それまでの単行本に収録されなかった文章を含めた合計64編からなる随筆集です。庄野潤三の随筆集の例に漏れず三部構成。第一部が自分の経験や体験を元に書いた随筆、第二部が書評や文芸批評など。文学全集の佐藤春夫や井伏鱒二の巻の解説もここに含まれます。第三部が批評文と言うよりは感想文です。

 第一部の中には、ガンビア留学時代の随筆もあるのですが、新しいものも当然ながら多いです。50代の著者が持つ興味の対象は、80代になった今日の庄野潤三と比較的近いところにあります。自宅の庭や周辺で見かける野鳥を題材にした作品が多いのがその一つの現れであると思います。冒頭の「雲雀」は、夏に鳴くひばりを家の前の浄水場で聴き、この声に触発されて、伊東静雄のひばりと少年を題材にした詩を思い出す、というものです。その他、「小授鶏」、表題作の「イソップとひよどり」、「雉鳩」、「庭の水盤」、「水浴び」といった作品が鳥と関連の深い作品です。

 表題作の「イソップとひよどり」は、「庭の山の木」の一本の枝に刺したミカンを食べに来たひよどりを観て、嘴の長いのに気がつきます。嘴が長いのでミカンを上手に食べられない。これを見ながら、作者は、浅い皿に入ったスープを飲めなかった、イソップ童話の「きつねと鶴」のおはなしに思いを馳せます。ただ、この時点で、作者は、鳥の名前を思い出せません。そうこうしている内に、ひよどりは、ミカンの中身を吸い出そうとしています。そこに来て作者がガラス戸を叩いてやると、ひよどりは一声鳴いて、とび立ちます。その声が「ケチンボ」ときこえた、というのが話のおしまい。

 家の周辺で見聞きしたものを題材にとったものに、味わいの深いものが多いのはいつもの如くです。たとえば、「庭の雨」は、夏の終りのバケツの水をひっくり返したような大雨を突然降られて呆然としながらも、「バケツ」ではなく「盥」ではないかと思ったり、泥鰌が泳いで来てもおかしくないような庭になった、と言ってみたり、英語でキャッツ・アンド・ドックスというのだ、と言うてみたり、妙なおかしみが庄野さんらしいです。虫下しを飲むことになった下の息子を主題に、色々な光景を織り交ぜながら書いた「日曜日の朝」も楽しいですし、「寒気団・ぎんなん・水中ポンプ」という作品も、趣があって良いです。

 多摩丘陵のひとつであるこの丘へ私たちの家族が引っ越してきて、12年になる、とか14年になると書かれた随筆が多いです。そういう作品を読んでいると、庄野さんご一家は、最初は自然が豊富であったけれども、周囲が開発されて、風景が変わっていった生田近辺が大好きで、また、その土地にすっかり馴染んでいる様子がよく分ります。

 また、1975年に、庄野さんは日本作家代表団の一員として(団長:井上靖)中国訪問をされていますが、その時の紀行文が幾つか収載されています。一番長い「黄河の鯉」も結構ですが、短い「中国語の作文」、「私の写生帳」もいいです。

 第二部は、チェイホフについて読売新聞に連載した「燈下雑記」、文藝春秋社の日本文学全集「現代日本文学館」の佐藤春夫の巻の解説文、河出書房の「カラー版日本文学全集」の井伏鱒二の巻の解説が長文のものです。これらは、読みがいがあり、読めば読者の蒙を啓くものではありますが、短文にも良いものがあります。「高ニコース」に書いた、「わが青春の一冊」は、ラムの「エリア随筆」を取り上げていますし、「婦人の友」に書いた「印象深い本」で取り上げているのは、十和田操「トルストイ童話」、坂西志保訳「カーネギー自伝」、古木鉄太郎「紅いノート」です。この辺の選び方に、庄野さんらしさが良く出ているように思います。

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