星に願いを

書誌事項

「星に願いを」
庄野潤三 作
2006年3月20日発行
189ページ
講談社刊 1500円(税別)
ISBN4-06-213367-9 
発表: 群像2005年1月号〜11月号

紹介

 『貝がらと海の音』(1995年)から11年。夫婦の晩年をテーマにして続けてきた連作の第11作目が、この『星に願いを』です。新潮社(「新潮45」、「新潮」、「波」)、講談社「群像」、文藝春秋社「文学界」を交互に書きながら、『子供がみな結婚して「山の上」のわが家に二人きり残された夫婦が、いったいどんなことをよろこび、どんなことを楽しみにして生きているかを描く』テーマで続いていました。

 しかし、流石に11作目ともなりますと、いろいろと綻びも見え始めてきました。1年間連載するのが通例だった本シリーズ、「星に願いを」については11箇月で連載を終了したのは、そのほころびを作者自身が修復不能と考えたためかも知れません。

 今まで、本シリーズの作品は、最初の頃、1作に書かれる内容がほぼ9箇月前後でした。連作のそれぞれが、いつの時期を題材にしているかをまとめてみました(括弧内は掲載誌と連載時期)が、若干のでこぼこがあるものの「貝がらと海の音」から「メジロの来る庭」までは、ほぼそのペースを守っております(なお、「メジロの来る庭」は、2年分のエピソードを再構成して、作品の中で進む時間はおおよそ9箇月です)。

 「貝がらと海の音」:1994年9月〜1995年6月(新潮45;1995年1〜12月号)
 「ピアノの音」:1995年8月〜1996年5月(群像:1996年1〜12月号)
 「せきれい」:1996年8月〜1997年4月(文学界:1997年1〜12月号)
 「庭のつるばら」:1997年5月〜1997年9月(新潮:1998年1〜12月号)
 「鳥の水浴び」:1997年10月〜1998年9月(群像:1999年1〜12月号)
 「山田さんの鈴虫」:1998年9月〜1999年8月(文学界:2000年1〜12月号)
 「うさぎのミミりー」:1999年8月〜2000年5月(波:2001年1〜12月号)
 「庭の小さなばら」:2000年5月〜2001年1月(群像:2002年1〜12月号)
 「メジロの来る庭」:2001年1月〜2002年9月(文学界:2003年1〜12月号)
 「けい子ちゃんのゆかた」:2002年9月〜2003年3月(波:2004年1〜12月号)
 「星に願いを」:2003年3月〜2003年6月(群像:2005年1〜11月号)

 しかしながら、『けい子ちゃんのゆかた』で取り上げられた期間がほぼ7箇月になり、今回の『星に願いを』では4箇月と更に短くなっています。取り上げられた期間が1年であろうと4箇月であろうと、作品の質が保持されていればよろしいのですが、取り上げられた期間が短くなるのと相関して、作品の質が落ちたことは否めません。

 かつて、庄野潤三と言えば、徹底的に文章を磨き上げる作家として有名でした。例えば、『静物』。あの作品は、取り上げるエピソードを厳選し、その表現も徹底的に推敲して、冗長なところを完璧に除いた作品です。長さは中篇程度ですが、下手な長編小説よりもはるかに読みでのある作品でした。そのような完璧さは、私にとって息苦しさを感じさせるもので、必ずしも私の好みとは言いがたいものです。ところが庄野潤三は、老年期になると、若い頃ほどストイックではないが平易で達意の文章を書くようになり、その自在ぶりに感心させられました。

 この「夫婦の晩年シリーズ」の初期の頃の作品、『貝がらと海の音』、『ピアノの音』、『せきれい』などは、取り上げるエピソードのバランスのよさと、厳しさを後ろに隠しながら適切に刈り込んだ達意の文章は、まさに日本文学の至宝であり、庄野文学の到達点を示したもの、と申し上げて何の問題もないと思います。

 しかし、その水準を維持することは現実には難しいようです。『メジロの来る庭』から少しずつ綻びが見え始めていましたが、今回の『星に願いを』は、正直申し上げてかなり無残と言わざるを得ません。まず、いろいろな意味で文章がくどくなっています。かつての庄野さんであれば、もっともっと刈り込んですっきりとした文章にしたと思うのですが、どうもそうはなっていません。推敲をされていないのではないか、と思われる節もあります。

 また、このシリーズは、子供達が巣立って二人きりで暮らす老夫婦の元を訪ねてくる子どもや孫のエピソードと、庭の花や鳥のエピソードがリズムをもって組み合わされるところが大きな魅力でしたが、『星に願いを』では、庄野夫妻とその子どもや孫が織り成すエピソードのウェイトが比較的少なく、替わりに回想が非常に多くなっているのが特徴です。その回想は、同じ内容のものが繰り返して出てきており、且つ冗長なものが多くなっています。そこも残念なところです。

 執筆に関し、いろいろな事情があったのでしょう。結果として、庄野さんとしても不本意な作品になったのではないかと思います。

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