引潮

書誌事項

引潮
庄野潤三著
小説
1977年「新潮」2月号発表。単行本は1977年5月発行
新潮社
初出:同上

紹介

 「引潮」という作品を最も的確に紹介しているのは、この作品のあとがきです。それをまず引きましょう。

 『これは瀬戸内の島を生れ在所として七十年あまりの年月を、大工の道具、鼻に汗をかく牛、寝たふりをする狸、帆船の航海の苦労、高等科で習ったローマ字、製図の文鎮、台湾の子供たちのくれた旗、めばると海鼠、婚礼の歌、木で作った金庫、白狐を捕らえた木挽の友達、だいがら臼、輸送船の中で見た鱶、フィリピンの水田の印象、虫送り、苗床の泥を取りに来る燕、おじいさんの湯呑・・・・とともに生きて来た倉本平吉さんの物語である。
 あるいは(もし大袈裟に聞えなければ)、「戦争と平和」という言葉を思い浮かべてもおかしくはないかもしれない。』

 この作品の要点は、これで書き尽されていると思います。更に、野暮を承知でいくつか追加することがあるとすれば、倉本平吉さんは、広島から汽車とバスと連絡船を乗り継いで行く、棚井津という部落に住んでいます。彼は島を離れることは滅多になく、島どころか生れ在所のこの部落を離れるといえば、漁に出るときぐらい。船大工をしていた38に時に召集を受け、工兵として比島上陸作戦に従軍、モンガイヤンというところで橋をかける工事をしていた時、河原に真っ逆さまに落ちて怪我をしたというのが唯一の海外経験。という田舎の唯のお爺さんです。

 そのような市井のお爺さんであれば誰でも、七十年も生きていれば語ることのできるエピソードは幾つも持っているでしょうから、それらを題材に一つの作品を完成させることは可能なことかもしれません。しかし、庄野潤三という作家が、そういう無名の市井人の中から倉本平吉さんの語りを選び、それを題材にして小説を書こうとしたのは、倉本さんの方言の朴訥とした語り口に、自分の生活をまっとうに生きて来た人間の持つ強さと清々しさを感じたためであると思います。

 倉本さんの朴訥とした語り口を明確にするため、庄野さんは、方言丸出しの彼のいいまわしをほとんど改めていません。例えば、こんな風です。これは、お金をねずみに曳かれてしまったというお話。
 「鼠が盗んじょったことが分った。聞いたことがないでしょう。それがようと考えてみたら、女子としたら食べ物をいろいましょう。そのいろうた食べ物いうのは、鼠が好く品物いなあ。それを手でいろうちょるわけです。そのいろうた手で金をいろうちょるんです。いろうた金に食べ物の匂いがするから、鼠が引張って逃げた」
 正直申して、この文章から倉本さんが言っている全てを私は分かりません。勿論大筋は分りますが。

 したがって、倉本さんの言っている内容を理解するためには、彼の発言をじっくり噛み締めながら読まなければなりません。そうすることにより、倉本さんの朴訥とした人柄が強いイメージとして頭の中に入ってきます。そこが作者の狙い目だったのではないかと思います。

 インタビューをそのまま掲載する形をとり、聞きての庄野さんの質問や相槌も入っていますが、地の文による説明は必要最低限までに刈り込まれていますので、厭でも倉本さんの語りをしっかり読まない限り、この作品を愉しむことはできないようです。

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