逸見(ヘミ)小学校



書誌事項

「逸見小学校」
庄野潤三 作
2011年7月20日発行
152ページ
新潮社刊 1300円(税別)
ISBN978-4-10-310613-5 
発表: 新潮2011年8月号

紹介

 2009年9月に、老衰のため死去した庄野潤三の未発表作品です。

 庄野潤三は、生涯、『自分の眼の届く範囲』で生じた出来事を題材にして作品を作り出してきた作家で、自分や自分の家族を題材にした作品も、自分の幼少期から青年期、晩年に至るまで、かなりの範囲で執筆してきました。そのうち、一番手薄なのは、軍隊に応召されてから作家専業になるまでの12年間ぐらいではないかと思います。なお、「愛撫」、「舞踏」、「プールサイド小景」と言った作品は、庄野潤三の周囲を題材にして書かれた作品であることは疑いないですが、庄野自身や、庄野の家族を題材としたとまでは言い難いところがあります。

 これは仕方がない部分もあります。学校教師をしていたり、放送局のプロデューサーをしていて、仕事絡みの事柄を題材にするのは、守秘義務の点から見ても難しいでしょうし、また仕事がらみ以外のことを題材にしようとすれば、エピソードがなかなか豊富に集まらない、ということがあるのだろうと思います。

 「戦争」に関しては、庄野自身、海軍の砲術少尉だったわけで、軍隊経験はあったわけですが、いろいろな事情で、前線に送られることなく、終戦を迎えました。

 彼の軍隊経験を見ると、1943年11月、徴兵検査により甲種合格し、海軍に応召され、同年12月、広島県大竹海兵団に入団しています。そこで基礎訓練を受けた後、1944年1月、武山海兵団にある海軍予備学生隊に入隊し、7月には、館山砲術学校に移り、対空射撃の訓練を受けています。12月海軍少尉に任官し、翌1945年1月、フィリピン赴任のため、佐世保に向かうのですが、フィリピン戦敗北のため赴任することなく異動しています。同年2月大竹潜水学校を経て館山砲術学校付を命じられ、庄野隊を結成。伊豆半島にある基地部隊に所属して砲台建設に従事した、となっています。

 フィリピンに赴任しなかったのは、比島戦線敗北ですし、人間魚雷の訓練を行っていた大竹潜水学校に残されなかったのは、体調が今一つすぐれなかったことがあると言われ、結果的には、九死に一生を得た形になっています。

 そういう非人間的な軍隊生活と庄野文学が基本的に合うはずがなく、これまで、軍隊生活を題材にした作品を書いていないのだろうと、何となく思っていました。

 しかし、庄野潤三は、「軍隊生活」のエピソードを如何にも庄野文学的に書いていました。これが、この「逸見小学校」です。脱稿したのは、1949年1月21日としています。原稿用紙180枚の中編小説です。

 庄野潤三の作家歴は、戦争中からで、処女作の「雪・ほたる」は、応召直前の1943年11月です。この作品は、残念ながら私は読んでありませんが、応召前の学生生活を題材にした「前途」を読む限り、この作品を書いた意識には、戦死しても自分が生きてきたことを世の中に示す、という意図があったのだろうと思います。ただ、「雪・ほたる」に関しては、習作の意識が強かったのか、庄野潤三全集にも収載されておりません。

 作家として本格的に活動を再開したのは復員後の1945年秋からですが、当初は、藤澤恒夫編集「文学雑誌」位にしか発表の場がなく、学校教師の仕事の傍ら、短編小説を、こつこつと執筆していました。庄野が最初に文壇に認められるのは、1949年4月に発表した「愛撫」ですから、「逸見小学校」を執筆したのは、それとほぼ同時期と推定されます。発表の場が確保されない中、180枚もの中編小説を書くと言うことは、この「逸見小学校」のエピソードに、庄野潤三の琴線に触れるものがあったのでしょう。

 ただ、この作品は発表されることはありませんでした。登場人物にはモデルがあり、それらを特定されるのを恐れたのではないか、という意見もありますが、未だ無名の新人のこれだけの枚数の作品を受け入れてくれる出版社もなかった、ということかもしれません。今回、この原稿を奥様が発見したことにより、陽の目を見ました。

 なお、作品の味わいは、庄野文学の初期の作品の特徴である、文学的感興を優先した作品というよりは、彼の文学の中後期の特徴である、素直な表現に秀でている作品です。

 時期的には、庄野が、館山砲術学校付を命じられ、庄野隊を結成後、伊豆の砲台建設の命を受け、異動するまで待機していた横須賀の逸見国民学校での生活になります。戦争末期の軍隊生活ですから、それなりにギスギスしているのかと思うと、若い少尉たちが中心のこの駐屯地は、もっと人間的でノビノビしています。これは、前線に配備されるまでのいくばくかの日々を、少しのんびりして英気を養うべきであると考えた海軍将校の考えだとは思いますが、そういう場所であるからこそ、庄野文学の題材になりえたのでしょう。

 作品の構成は、逸見小学校における、稚気溢れる同僚の少尉や部下の下士官・兵のエピソードを横軸に、主人公千野の、妹の学校時代の同級生である江原みちことの淡い恋愛を縦軸にしており、波乱はそうありませんが、戦争中の時代の雰囲気がよく分かります。

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