ぎぼしの花

書誌事項

ぎぼしの花
庄野潤三著
随筆集
1985年4月20日第一刷発行
講談社、1500円、ISBN4-06-201496-(0)
初出:1979年から1985年各雑誌、新聞等

紹介

昭和54年から60年にかけてかかれた随筆・短文集。合計77編。三部構成です。第一部は、自分の日常生活の中で見られた感想など。第ニ部は書評や感想など。そして第三部が近しい作家や友人達への思いを綴っています。庄野さんのこの時期の仕事は、「水の都」、「早春」、「ガンビアの春」、「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」、「サヴォイオペラ」などですが、それらの補遺的文章も多く含まれています。

この時期、庄野さんの長男も結婚され、次男は未だ結婚せずに家から仕事に通っている時期です。長女の夏子さんは、南足柄に引っ越され、庄野さんにして見れば、一寸淋しくなっていった時期かもしれません。そのためかどうかは分りませんが、庄野さんは、この間、自分の身辺を題材にした作品をほとんど書いていません。「ザボンの花」から、「山田さんの鈴虫」まで庄野家の変遷を読みつづけている読者にとって、一寸淋しい時期ではあるのですが、その空白を埋める随筆がここにあります。

タイトルとなる「ぎぼしの花」。

庭の片隅に、南足柄の娘が植えていったぎぼし、あるいはぎぼうしというものが、庄野さんの頭に入っていない、と書きます。ここから、直ぐ18世紀ロンドンの、ドルアリー・レーン座に居たドットという道化役者に話が飛びます。
「物事のさとりの鈍い人の表情にかけてはこの人にまさる者はいなかった」と書き、簡単に彼の紹介をしてから、新しく庭に植えられた植物の名前と姿がしっかりと植えつけられるまでには、時間がかかる。という趣旨のことを言い、
「ドットのは舞台の上の芸だが、こちらは本当にさとりが遅い方だから仕方がない。」
と20世紀の生田の作家は、18世紀のロンドンの俳優と自分とを対比してみせます。そして、ドットの名優ぶりのエピソードをさりげなく紹介します。
そして、最後に「ぎぼしの花はこういう順序で咲くのだというお手本を私に見せてくれている」。辞書には咲き方が書いてあるけれども、「そこを実地に、時間をかけて、どんなさとりの鈍い人間にも呑み込めるように示してくれるのだからありがたい」
原稿用紙6〜7枚の随筆ですが、構成・バランス・内容ともさすがです。

第一部に庭の植物ややってくる小鳥の話が多いのはいつもの通りですが、猫だの尾長だの闖入者のお話に面白いものが多いです。例えば、
「猫と青梅とみやこわすれ」では、「私が現にこうして仕事をしているすぐ目の前で梅の木に登るなんて横着な猫だ」と怒り、
「尾長」では、尾長の淡青色の尾の先をそっと指でつまんでみたら、どうするだろう、と空想します。
「侘助」では、ムラサキシキブの枝に吊るした牛脂入りの籠を去年猫にもって行かれたが、長男が新しく作って取りつけた籠をまた別の猫が狙います。庄野さんは「もう取られるわけにはいかない。(中略)、これは新手の猫だ。歳々年々猫同じからず。」と書きます。

自作に関連する短文は、『「ガンビアの春」補記』や『休暇中のロン』があります。『秋扇』や『大倉山公園の図書館』もそうです。こういった自作と関連した随筆が多いのも、「ぎぼしの花」の特徴かもしれません。

第二部は『子供の絵-伊藤静雄回想』で始まります。これは、純粋に回想文ですが、それ以外は、本の紹介や解説文が多いです。取り上げられているのは、

「去年の雪」 下山省三
「燈火頬杖」 浅見淵
「忘れ得ぬ人々」 鷲尾洋三
など20編ほど。それ以外に興味深いのは、『荻野君のくれた手紙-「早春」抄』

これは、庄野さんの学校友達の荻野さんがくれた、神戸へのノスタルジアに溢れた手紙で、もし、「早春」連載中に受けとっていたなら、作中に生かしたかった豊富な内容を持っているとしています。これは14ページの長文で、「早春」をこれから読む人のガイドにもなりますし、既に読んだ人の「補遺」としても役に立つ文章です。

この文章や、「淀川の水」、「本の書き入れ」、「ラムの引越し」などは、庄野さんの作品に関連する文章です。自作に関連する短文は、第一部と第二部とに分けられて載っています。

第三部は全集の月報や文庫本の解説に使われたものが多く、庄野さんの交遊が主にかかれます。取り上げられているのは、藤沢恒夫、安岡章太郎、河上徹太郎、上林暁、鈴江幸太郎、江嶋さん(フルネームが書いていないので書けません)、菊池重三郎、尾崎一雄、河盛好蔵、山本健吉、井伏鱒二、福原麟太郎、阪田寛夫。

庄野潤三の部屋に戻る


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送