エイヴォン記

書誌事項

エイヴォン記
庄野潤三著
初 出 「群像」(講談社)1988年8月号〜1989年7月号
出 版 1989年8月19日 講談社 
定 価 1311円(消費税抜き)
ISBN4-06-204469-2 C0095

紹介 

 『エイヴォン記』は庄野さんの野心作です。自分の生活を縦軸に、自分の読書生活を横軸にとって組み合わせ、新しい世界を開こうと試みた作品です。読書生活に登場するのは、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の翻訳短編小説。自分の生活に登場するのは近くの団地に住む奥さんの友人清水さん、そしてフーちゃんです。フーちゃんは庄野さんの最初の女の子の孫で2歳。庄野さんの家から坂を下って、歩いて5分程のところにある「山の下」の借家に住んでいます。そしてお母さんの『ミサヲちゃん』やお父さんに連れられておじいちゃんの家にやってきます。

 タイトルの『エイヴォン記』は、この清水さんが畑で丹精した薔薇の名前からつけられました。庄野さんはこう書きます。長文なのでちょっと端折ります。

『仕事机の、小さな焼き物の花生けに一輪の赤い薔薇が活けてあり、ふだんは書斎の中央にあるテーブルの切子硝子の鉢に花を活けてあるが、そうでなくてもいろいろな物が集まって来て混雑する仕事机の上には決して花を活けたりしない習慣なのに、なぜ薔薇があるかというと、一番咲きのその薔薇を近所に住む妻の友人で薔薇を作るのが上手な清水さんがほかの薔薇と一しょに届けてくれた夕方、妻がいつものように下さった薔薇の名前を尋ねると、その赤い薔薇はエイヴォンという名で、それを妻から聞いた私は、
「エイヴォン? エイヴォンといえばイギリスの田舎を流れている川の名前だ。ほら、『トム・ブラウンの学校生活』のなかで、トムが学校の規則を破って釣りをする川が出てくるが、あの川の名前がエイヴォンだよ」
といい、花もいいし花の名前もいいのを喜んだので、妻がその「エイヴォン」だけを取り出して、いつもは花生けなど置かない私の仕事机の上に別に活けたからだということを書きとめておきたい。』

 取り上げられている短編小説あるいは長編小説の抜粋は12。それぞれのタイトル、作者、訳者、収録されている短編集を示しますと、
『ブッチの子守唄』 デイモン・ラニアン 加島祥造訳(『ブロードウエィの天使』収録)
『ページンの野』 ツルゲーネフ 佐々木彰訳(『猟人日記(上)』収録)
『エイヴォンの川岸』 トマス・ヒューズ 前川俊一訳(『トム・ブラウンの学校生活』より)
『クラシーヴァヤ・メーチのカシヤン』 ツルゲーネフ 佐々木彰訳(『猟人日記(上)』収録)
『情熱』 ドロシー・キャンフィールド 西川正身訳(『アメリカ短編集』収録)
『少年たち』 チェーホフ 中村白葉訳(『チェーホフ著作集第4巻』収録)
『精進祭前夜』 チェーホフ 中村白葉訳(『チェーホフ著作集第4巻』収録)
『卵』 シャーウッド・アンダーソン 吉田甲子太郎訳(『アメリカ短編集』収録)
『蛇使い』 「聊斎志異」より 蒲松齢 佐藤春夫編(『支那文学選』収録)
『ふたりのおじいさん』 トルストイ原作 十和田操作(学年別童話集『トルストイ童話』収録)
『少年パタシュ』 トリスタン・ドレエム 堀口大学訳(『毛虫の舞踏会』収録)
『ふるさと』 魯迅 佐藤春夫編(『支那文学選』収録)
です。それぞれ、各作者の代表作という訳では無いと思うのですが、みなそれぞれの味があって面白いです。

 ただ、作品に対する向い方が最初の『ブッチの子守唄』と後半の作品とではかなり違っています。『ブッチの子守唄』では、先ず最初にデイモン・ラニアンを知った時の思い出を何ページかに渡って書き、清水さんの「エイヴォン」のエピソードを一寸挿入した後、『ブッチの子守唄』のアメリカの都会的味を紹介します。ところが、回が進むにつれて、本を選んだ理由やその本の思い出にかかわるところが少なくなり、清水さんの花の話題や、フーちゃんとの交流が重みを増してきます。

 清水さんの花の話題は、毎回重要な位置を占めます。
 『ページンの野』では、『「ページンの野」に入る前に、私の仕事机の小さな焼物の花生けに、一輪の赤い薔薇が活けてあり、それが二番咲きのエイヴォンであることをお知らせしておきたい。』と書き、
 『エイヴォンの川岸』では、『私の仕事机の上には、もうエイヴォンは無い。小さな花生けも無くなっている。近所の清水さんが自分の畑から持って来てくれた二番咲きの赤い薔薇のエイヴォンが仕事机の花生けにあって目を楽しませてくれてから日にちがたった。』と書かれます。
 そうして、『クラシーヴァヤ・メーチのカシヤン』では、8月の初めに、清水さんが「差し上げるような薔薇じゃないですけど、エイヴォン咲きましたので」といって、「夏の最後の薔薇」を下されたエピソードが挿入されます。次の『情熱』でも、更に次の『少年たち』でも清水さんの花の話題が語られます。
 『精進祭前夜』では、『夕方、図書室の窓際のベッドで本を読んでいたら、清水さんが届けてくれた花を妻が見せに来た。薔薇ばかり一つにまとめた中に椿の白い花を加えたもの。』と語ります。『情熱』までは、清水さんの花の話題は章の中程に挿入されますが、『少年たち』からは、清水さんの花の話題が各回の冒頭を飾ります。季節によって花が変わります。
 例えば、最終回の『ふるさと』では、『(前略)清水さんは畑の帰りで、畑で切ってきたヒヤシンスと水仙の包みをくれた。
 「最後の最後です」
といって。畑の水仙とヒヤシンスをかき集めて持って来てくれた。』 この季節感がいいです。

 フーちゃんは、連載第2回『ページンの野』から登場するのですが、回を経るにつれて、エピソードの量が増えて行きます。『ページンの野』では僅か3ページの登場ですが、『エイヴォンの川岸』では6ページ、後半の『蛇使い』では9ページ、『少年パタシュ』では12ページに増えています。庄野さんの志向が短編小説から清水さんやフーちゃんとの交流に移っていることが分ります。

 私は、この作品が庄野さんの諸作の中では、自分の最初の構想が完全に咀嚼されきれていないという点で比較的失敗作であると思っているのですが、しかし、『鉛筆印のトレーナー』、『さくらんぼジャム』のフーちゃんもの2作、そして『貝がらと海の音』に始まる晩年ものが書かれる気持がだんだん高まっているよく分り、エポックメークな作品だと思います。

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