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◎小川(678) 題名:家族、「悠々たるもの」
投稿日
: 2003年3月11日<火>20時08分/神奈川県/男性/50代前半 |
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どくたーT さま
『前途』と『懐しきオハイオ』とを比較するというのは考えたことがなかったので、新鮮に思いました。
そこで考えてみたのですが、どくたーT様の取上げられたほかに特徴的なこととして、どちらの作品においても、家族が欠けているということがあるように思います。
『前途』は学生時代ですから単身生活も不自然ではありませんが、『懐しきオハイオ』では、庄野夫妻は、子供たちを日本に残しています。おそらく、そういうことを自分から希望するはずはないでしょう。夫婦二人だけと制限されたのであろうと推測します。
そのような条件で、日本にアメリカ人を招くことはありえないのではないでしょうか。ならば、庄野夫妻も、家族とともに招くのでなければならないと思います。ロックフェラー財団関係者は、庄野家に、無情なことを求めたものです。
『懐しきオハイオ』の、庄野夫人が家族の写真を上げて、「その写真を受取ったニコディムさんが「これがナツコ、これがタチア‥‥」といいかけると、妻が泣き出した。」のところ、痛々しいかぎりです。
モチコ さま
お礼をもうしあげるのはこちらのほうです。
たしかに、「悠々たる」態度にあらわれている、おおらかさ、のんきさの背後には、仰るとおり、ある種の「力」があるのでなければならないでしょう。
そして「悠々たるものである」は、それを、たいしたものだと、たたえているのでしょう。
「悠々たるもの」は、結局のところ「悠々たるもの」と言うほかないものらしいと、だんだん分ってきました。
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◎モチコ(677) 題名:反省と驚き
投稿日
: 2003年3月11日<火>00時58分/東京都/女性/20代前半 |
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小川さん
確かに私も調子に乗ってうまくくっつけてしまいましたが、「悠々たるもの」は本来私が魅力的に思ったような、「のんびりしていておおらかである」ことを面白く、そして好ましく思う庄野さんの趣味や考え方がよく出ているところであり、学校の教育理念と繋がっているのだ、と考えてしまうのはどうかな、と反省しました。
でも、「悠々たるもの」には、それを魅力的に感じるだけの、やはり「力」が備わっているのだと思います。そうでない、ただだらだらと、活気のないだけの人には、庄野さんは魅力をお感じにならないだろうと思います。小川さんがおっしゃるように、敏感で繊細な感覚の持主だからこそ、よけい目に付いて、魅力を感じるのでしょうね。いろいろ考えられてよかったです。ありがとうございます。
どくたーTさん
庄野さんがアメリカ滞在中に書いた日記、5000枚・・・。それはたいへんなものですね。この数年のシリーズもそうですが、私は日記形式の作品がとても好きです。淡々としているようでいて、全体を通してみるとそれが大きな物語になり、うねりのようなものを持っているのを感じられるので・・・
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◎どくたーT@管理人(675) 題名:「前途」と「懐かしきオハイオ」
投稿日
: 2003年3月10日<月>23時08分/東京都/男性/おじさん |
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この両作品の共通点は、どちらも日記だ、ということですね。もう一つの共通点は、限られた時間で、どこまで充実した生活が出来るか、という点を探求しているところだと思います。
「前途」は、出征までの限られた時間で、どれだけ勉強し、文学を論じ、友人と乏しい酒を飲むか、ということを、ほとんど日を追って書いていますし、「懐かしきオハイオ」は、留学が終了する日までの限られた時間で、どれだけ、アメリカの普通の生活を見ることが出来るか、という意識が強く感じられます。
庄野さんは、悠々たるものに対して、小川様がおっしゃるように、強い共感をお持ちのようですが、彼自身は、勤勉に自分の周囲を観察し、それを記録に残すことが重要であり、現実にそうしているということのようです。
一説によると、庄野さんがアメリカ留学中に書いた日記は5000枚に登るそうです。そのエッセンスを帰国後すぐに「ガンビア滞在記」として書いたわけですが、これはトピックスの羅列みたいなところがあって、庄野さんの眼と指向性はわかるものの、時間と共に変わって行く感性などはよくわからないところがあります。
しかし、「シェリー酒と楓の葉」「懐かしきオハイオ」は、日追いで、日常生活の詳細を綴って見せる。それは淡々としているのですが、ここまで徹底されると、凄みが出てきます。
それにしても、庄野さんは「前途」に書かれた時代を、処女作の「雪・ほたる」、「前途」、「文学交遊録」と三回に渡って書き、ガンビア留学も「ガンビア滞在記」「シェリー酒と楓の葉」「懐かしきオハイオ」と3冊の作品に仕上ています。どちらもとても印象深い出来事だった、ということなのでしょうね。
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◎小川(673) 題名:ふたたび「悠々たるもの」
投稿日
: 2003年3月9日<日>16時32分/神奈川県/男性/50代前半 |
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モチコ さま
またまた考えてみました。その結果、わたくしの前言は訂正が必要であると思います。それは、「悠々たるもの」は、おもに人の性格にかかわることで、「力ある人」とは別のことかもしれないということです。
たとえば、「甘いもの好きで、ケーキを食べ、紅茶には角砂糖を二つ入れる。」という「有美ちゃん」も、「「黍坂のニワトリは、籠の中でなく」 といっては、ニワトリのなき声を出している。」という「和子」も、力があるというよりは、ただ「のんき」なだけなのかもしれません。
それを「悠々たるものである」というというのは、そういうのんきさを、おおらかなものだと好ましく思っているのではないでしょうか。
「落第だけはやっと免れたよ、父さん」「おや、そいつはめでたい。とても嬉しい」
というのも、のんきな親子の会話です。
こういうのんきな性格の持主を、一種の「力ある人」と見ることもできるかもしれませんが、それは持って生れた力であって、学校の教育理念でいわれている「力ある人」とは違うように思います。
教育理念では、努力と経験によってつくりあげる力のことを言っているのでしょう。
庄野さんが、こういうほのぼのとした、のんきでおおらかなのが好ましく感じられるというのは、御自身がきわめて敏感で繊細であることの反映ではないかと思います。
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◎モチコ(671) 題名:うーん、なるほど!
投稿日
: 2003年3月8日<土>02時16分/東京都/女性/20代前半 |
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小川さん
「悠々たるもの」→「力ある人」→「力の人」。
そうか。庄野さんのお父様が掲げた、帝塚山学院の教育理念に繋がるのですね。
なるほど。素晴らしいです。
うわべだけではなくて、芯のしっかりとした、力のある人を評価する。
庄野さんの目線は、私の甘っちょろい考えとはまったくかけ離れた、かなり厳しいものだったのだと気付かされました。そして、それが親子で続いているのだということも。
『文学交友録』、庄野さんを読み始めたころに読んだので、まだきちんと読めていません。「雪・ほたる」は、庄野さんの学生時代の、下宿生活を書いた作品ですよね。あらためて読んでみたいと思います。『前途』とともに。
2つの作品の読み比べ、面白かったです。同じようでいて、違いますね。
「海軍さんと酒飲んでても、何やら淋しいてなあ」
という言葉が、胸に染みます。
しもさん
「マーティニ」、私も不思議に思っていました。きっと庄野さんは、聞こえたとおりの発音で書いていらっしゃるのだろうと思っていたのですが、やっぱり本当に「マーティニ」と発音するのですね。『懐かしきオハイオ』では、毎日のように「マーティニ」が登場するので、私もすっかりこの言い方に慣れてしまいました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mochiko/
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◎小川(670) 題名:『前途』
投稿日
: 2003年3月7日<金>18時36分/神奈川県/男性/50代前半 |
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モチコ さま
「悠々たるもの」から「力ある人」「力の人」(庄野貞一氏)を連想したのは、モチコ様が引用をしてくださったおかげです。わたくしも勉強になりました。ありがとうございます。
それから、『前途』の雰囲気は、『文学交遊録』から想像できます。
『文学交遊録』の<五「雪・ほたる」>から引用します。
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帰って、今日の日記をつけようとしかけていると、暫くして前の道で私の名前を呼んだ。手すりに出ると、下の暗いところに森が立っていて、「島尾来てないか?」と尋ねた。まだ帰っていないらしいというと、「おれもいま島尾のところへ行ってみたんだが。海軍さんと酒飲んでても何やら淋しいてなあ」といった。(以下略)
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(引用終り)
次に、「前途」(『庄野潤三全集』第七巻、236ページ)から引用します。
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帰って来て、日記をつけようとしていると、しばらくして前の道で室の呼ぶ声がした。下は鍵がかかっているので、手すりに出ると、暗いところに室が立っていて、
「小高、来てないか?」
と尋ねた。まだ帰っていないらしいと云うと、
「俺もいま、小高のところへ行ってみたんだが。海軍さんと酒飲んでても、何やら淋しいてなあ」
と云った。
(以下略)
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(引用終り)
(小川です)比較すると、文章の書き方の勉強になります。
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◎しも(669) 題名:うろ覚えですが
投稿日
: 2003年3月6日<木>23時28分/大阪府/男性/おにいさん |
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皆様こんばんわ。
「懐しきオハイオ」は出版時に一度読んだきりなので、うろ覚えなのですが
それまでのアメリカに対するイメージと違う親しみを憶えました。
友人達とテニスをしたり食事したり。庄野さん夫婦の楽しい日常がそこにあり、
そういった生活感がアメリカの普段の生活に親しみをおぼえたんだと思いました。
さて一番印象深いのが、よく隣に住むミノーさんとマーティニを飲んでいたことです。
実際に自分が飲みに行くとメニューには「マティーニ」と書かれていて庄野さんと違うな
と思っていましたが、先日映画を見ていたらアメリカの俳優が「マーティニ」と発音
していて、庄野さんの方が正しいんだと確認できました。
なお、今手元に本がないので、名前など内容が間違っていたらすいません。
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◎モチコ(668) 題名:なるほど
投稿日
: 2003年3月6日<木>22時55分/東京都/女性/20代前半 |
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小川さんの意見に同感です。
というか、考えさせられました。
そうですね。「悠々としている」人というのは、ただ単に余裕があるとか、のんびりしているというのではなくて、「力のある人」。芯の部分がしっかりしている人ということなのかもしれません。そう考えると、また違った視点で「悠々たるもの」探しができるかもしれません。勉強になります。
「前途」、まだ読んだ事がないのです。ぜひ読みたいと思います。
小川さんの引用の部分、それだけで心がじんとしますね。戦争のことを知らない若造なので、ぜひ読んで、そのころの若者のことを考えたいと思います。
「懐かしきオハイオ」の中にも、戦争のことが出てきます。
買い物に行くのにヒッチハイクをして、乗せてくれた人がいきなり「パールハーバー」のことを話すのでびっくりしてしまった、というところも出てきます。
でも意外とみな好意的なところが印象的でした。
どくたーTさん
>これは、多分、庄野さんにとって受験は結局自分の問題だ、という感覚があるのと、家族が集まって団欒する喜びの方が重要だ、という思いがあるのでしょうね。
その通りだと思いました。庄野さん家族がそういう関係を続けてきて、大人になり、それぞれが依存することなく独立していてなおかつ、決して離れずに側にいる家族であるところに感心を持っています。このバランスは、とても微妙なものだけれど、重要だなあ、とも思うのです。
お2人とも、私のちょっとした思い付きに、お付き合いくださってありがとうございました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mochiko/
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◎小川(667) 題名:『懐しきオハイオ』と「悠々たるもの」
投稿日
: 2003年3月6日<木>00時33分/神奈川県/男性/50代前半 |
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モチコ さま
こんばんは。
『懐しきオハイオ』についての文章を拝読しました。
この本は、うちの書架にもあるので、背表紙だけは何十回も読んでいます。しかし、中味のほうは、外国で、英語で人づきあいをする話がなんだか読んでいて落ち着かない気がするのと、それから、家族が別々に暮しているということが寂しく感じられて切ないのとで、まだきちんと読んではいません。
さきほど、本を開いてパラパラとページをめくって見ていたら、次のところが目にとまりました。
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バーヒン氏はアメリカの海兵隊で沖縄へ行ったことを話した。最初にそのことをいった。
「私はその頃、大学にいて、海軍に入ったが、外地には出なかった」
というと、声を低くして、
「われわれ海兵隊は、よく戦った日本の海軍を尊敬していた」
といった。静かに、丁寧にいった。
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(小川です)「静かに、丁寧にいった。」とは、敬意を表わす態度であろうと思います。ここのところで思い出したのは、『前途』(昭和四十三年)です。
戦争中の話である『前途』は、次のように終ります。
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ベルが鳴って、汽車が最初に大きくひとつ揺れたとき、室と蓑田と僕の三人で声を揃えて、
「小高民夫君、万歳」
と叫んだ。
そして、室と僕とは汽車についてプラットフォームを走った。室は、お互いに頑張ろうぜとどなった。
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(小川です)「小高民夫」は志願して、これから海軍に入隊するところです。「お互いに頑張ろうぜ」とは、戦争のことです。
ところで
最高点を取るのはいい。だが、猛勉強といい成績をあげなくてはいけないという
精神的な負担のために、子供がこんなふうに神経過敏でいらいらした不機嫌な子
になっては困る。「落第だけはやっと免れたよ、父さん」「おや、そいつはめで
たい。とても嬉しい」といって笑い出す親子のほうがいいような気がする。
というところ、これは文字どおり、「悠々たる親子」の会話ですね。
考えてみたのですが、「悠々たるもの」とは、なんらかの意味で「力ある人」であってはじめて見せることのできる態度という意味があるのではないでしょうか。
たとえば、『夕べの雲』の父親は、子供の宿題につきあったりして、とても教育熱心のように見えます。
その父親が、子の「落第だけはやっと免れた」という言葉を聞いて、笑って許すとしたら、その子は、勉強以外のなにか大切なことで、力があると認められているのであろうと思います。その力を認めているからこそ、成績などは小さなことになるということなのではないかと思います。
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◎どくたーT@管理人(666) 題名:モチコ様の感想
投稿日
: 2003年3月5日<水>22時30分/東京都/男性/おじさん |
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ここに書き込まれる方の庄野文学への視点は、皆様それぞれで、それぞれ私の思いもしなかったことに着目されるので本当に楽しみです。
モチコ様もその一人です。私も「懐かしきオハイオ」は読んでおり、モチコ様の書きこまれた文章も見たような気がするのですが、そのときスッと読んでしまったに違いありません。
考えて見ると、モチコ様が書き込んでいるように、庄野さんが子供の受験や進路に悩んだり深くのめり込んだりした様子は、彼の作品を読む限り、窺えません。「絵合せ」のように、受験生が登場する作品は書いているのですが、子供たちの受験勉強に対しても、割と突き放した書き方をしているように思います。
これは、多分、庄野さんにとって受験は結局自分の問題だ、という感覚があるのと、家族が集まって団欒する喜びの方が重要だ、という思いがあるのでしょうね。
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