庄野潤三掲示板 その13

古い掲示板の最後の書き込みです。

サーバーに対する攻撃のため、2007年9月から2008年1月までの書き込み約30件が削除されました。

残念なことです。

攻撃した連中を甘く見ていました。
どくたーT@管理人(2351) 投稿日 : 2007年1月11日<木>22時54分
 
各位
掲示板への攻撃により、昨年8月〜昨日までの書き込みが消去されました。
管理人の管理不行き届きで、書き込まれた方にはお詫び申し上げます。
今後は、掲示板のサイトを変えるなどの対応を考えます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

隼人(2357) 題名:卑劣! 投稿日 : 2007年1月13日<土>04時22分/青森県/男性/おじさん
 
遺憾!としか言いようがないですね。なにが目的なんでしょう。こんなことして
なにが面白いのでしょう。
管理人様、めげずにがんばりましょう。

粋狂(2355) 題名:うーむ! 投稿日 : 2007年1月13日<土>01時05分
 
なんなんでしょうかねぇ〜。庄野潤三ファンという、最も心優しき人々だけが集うと思われる掲示板なのに、こういう卑劣な攻撃があるとは。。。こちらも卑劣な奴らに反撃できたらと、ついつい攻撃的な気持ちになってしまいますよねぇ。悔しい、悲しい、口惜しい!
「ワシントンのうた」第八、九回
小川(1822) 投稿日 : 2006年8月20日<日>21時24分/神奈川県/男性/50代前半
 
こんにちは。
『文學界』に連載中の「ワシントンのうた」は、いよいよ作家として作品を発表し始めたところに進み、庄野作品の背景が明らかにされ始めました。
八月号の第八回では「愛撫」についてです。それから東京への引越の話から、「静物」の冒頭の釣堀についても「今も残っているだろうか。」「今ももとの場所に残っているだろうか。」と回顧されています。
九月号の第九回では「プールサイド小景」と「ザボンの花」です。どちらもお母様の急病と療養の時期の作品で、「ザボンの花」は病後のお母様に向って「『こんなことをして暮しております』と知らせるつもり」で書きけられたとのことです。
お母様はその「ザボンの花」を新聞から毎日切抜いておられたとのことで、「切抜」という言葉が文中何回も出てきます。それから、大阪へお見舞いに帰った時の「ただいま、けえりやした」の挨拶のことも、何回も繰返し語られています。お母様への思いの深さがうかがえるところだと思います。

小川(1986) 題名:「星に願いを」の訂正箇所 投稿日 : 2006年9月2日<土>23時28分/神奈川県/男性/50代前半
 
どくたーT 様

 今日たまたま『群像』の「星に願いを」連載第一回のコピーが出てきました。それを見たら、大阪に帰ったとき、お母様をよろこばせたアイサツが「ただいま、かえりやした」と書いてありました。二箇所ありますがどちらも同じです。本ではこれが「ただいま、けえりやした」になっています。
 このアイサツには武井武雄の本という原典があるから、「けえりやした」が正しいのでしょう。

どくたーT@管理人(1982) 題名:「ワシントンのうた」へのつながり 投稿日 : 2006年9月2日<土>10時33分/東京都/男性/おじさん
 
小川様
ありがとうございます。
「星に願いを」は、庄野さんの老夫婦シリーズの11冊目に当るわけですが、そこでは、「日常の出来事から回想に繋げる」というのが特徴だったようです。私は最初、そこに気がついていませんでした。
そしてこの回想の多用が、現在の「ワシントンのうた」へと繋がっているのでしょうね。

小川(1969) 題名:回想の微妙さ 投稿日 : 2006年9月1日<金>22時35分/神奈川県/男性/50代前半
 
どくたーT 様

 、ありがとうございます。庄野作品について話のできる人がまわりにいないので、掲示板のありがたさ、管理人様のありがたさを感じます。
 ところで『星に願いを』の最後ですが、『星に願いを』の全体を見ると、第一章では帝塚山の思い出としての浜木綿の話、第七章ではその浜木綿が弱ってしまったのを再生させた長女の話で、長女は浜木綿を心配して、いつも庭へ浜木綿を見に行ってから家に上ることが紹介されます。そして、第十一章はその両方がまとめて語られてから、「いつもの朝食」をとっている時にその長女が来たことが書かれています。
 たしかに浜木綿をめぐる話は、第十一章の「浜木綿咲く(二十二日)」の冒頭の「〜〜咲き出す。うれしい。」以外は全体が回想モードです。
 しかし、問題の最後のところは、長女が来たといいながら、それがいつの日のことかはどうでもいいというような感じがあるように思いました。そのあたりの微妙さをどう言ったらいいかが分らなくて「幻想」とか「幻覚」とかいったのですが、これは言い方が大げさすぎました。

どくたーT@管理人(1949) 題名:いろいろと考えました。 投稿日 : 2006年8月31日<木>22時33分/東京都/男性/おじさん
 
小川様
ありがとうございました。末尾の見事さ。確かにそうですね。
「星に願いを」の最後を読み直しながら、もう一度考えてみたのですが、「星に願いを」という作品自身が、日録風でありながら、実際は回想になっている部分が非常に多いです。例えば第11章で見ると、
最初の3行。これは現実です。すぐにこのブルームーンの謂れを38行にわたって書きます。
てっせん咲く。これも2行が現実で、あとは説明。すみだの花火も1行が現実で、あとは謂れです。
「星に願いを」は、「ピノキオ」の主題歌ですが、庄野さんは小さな事実に、思い出を重ねながら、星に願いをかけていったのかも知れません。

小川様のおっしゃる最後も、182ページの「浜木綿咲く(二十二日)」の2行の事実に付随する説明や思い出が187ページまで続いているのですね。

小川(1943) 題名:「ワシントンのうた」第八回の末尾 投稿日 : 2006年8月29日<火>00時26分/神奈川県/男性/50代前半
 
どくたーT 様

 いつも御丁寧にありがとうございます。月刊誌はわたくしも図書館で読むことが多いのですが、『文學界』の8月号は、「ワシントンのうた」の最後の段落を繰りかえし読みたくなって書店で一冊買いました。
 庄野さんの文章には、とくに末尾の見事さにうならされるものがあります。
 たとえば、『文学交友録』の末尾は、わたくしの大好きな文章で、ここばかり何回読み返したかしれません。

 それから『星に願いを』の最後

----------------------------------------------------------------
   私たちがトーストとコーヒーとりんごとお茶のいつもの朝食をたのしんで食べているとき、庭先を通りかかる長女の、
   「こにゃにちは」
   というアイサツの声が聞える。
----------------------------------------------------------------

ではじまる末尾の部分も、わたくしが感動したところです。なぜかというと、ここに記された「長女の来訪」は、何月何日かにあった実際のできごとではなく、幻想の世界へ飛躍して幻覚が書かれていると思ったからです。
 実際の生活で経験したことだけを書きつづけてきた連作全体が、これで見事にまとめられていると思いました。
 それとも、それは勘違いで、この末尾も「長女来る(何月何日)」が省略されただけの、実際のできごとが書かれた文章なのでしょうか。

 ところで掲示板の掃除、いつも御苦労さまです。アルファベットだけの投稿は拒否するということができればいいのにと思います。あいにくなにも知識がないため、お力になれず残念です。

どくたーT@管理人(1841) 題名:ご紹介ありがとうございます。 投稿日 : 2006年8月22日<火>22時37分/東京都/男性/おじさん
 
小川様
ご紹介、ありがとうございます。おっしゃるとおりですね。
私も図書館で読んでおりますが、10月号が待ち遠しいです。


鳥の本
どくたーT@管理人(1818) 投稿日 : 2006年8月13日<日>00時16分/東京都/男性/おじさん
 
日本野鳥の会の安西英明さんが書かれた新書「スズメの少子化、カラスのいじめ」(ソフトバンク新書)を読みました。タイトルこそ一寸目を引きますが、中身はバードウォッチングの入門書で、楽しめました。

スズメ、カラス、ハトの3種類の野鳥の話が基本ですが、それ以外の野鳥も沢山出てきます。メジロ、セキレイ、シジュウカラ、ウグイス、カワラヒワ、ツバメ、ジョウビタキ、コゲラ、ムクドリ、ヒヨドリ、ツグミと庄野さんのお庭におなじみの鳥も沢山出てきます。

どくたーT@管理人(1820) 題名:それは素敵です。 投稿日 : 2006年8月16日<水>22時50分/東京都/男性/おじさん
 
るーしー様、レスを付けてくださりありがとうございます。
るーしー様の庭、素敵です。
私の庭は、猫の額というよりも「鼠」の額ぐらいしかありませんので、そんなに野鳥が来るわけではないのですが、5分も歩くと多摩川の堤防に出ますので、そこで、鳥を見ることが出来ます。
私は、バードウォッチャーではないので、カラスとハトとスズメの区別ぐらいしかつかないのですが、知っている人に聞くと、相当いろいろな野鳥がいるそうです。

るーしー(1819) 題名:庭に来る鳥 投稿日 : 2006年8月13日<日>12時35分/三重県/女性/おばさん

今年は春から庭に来る小鳥が増えたように思います。
庄野先生の奥様のまねをして林檎などをクシさして木に
のせておくといつの間にかなくなっています。
花の名前はわかっても鳥の名前はわからないので是非読んで見たいと思います。


暑いですね
るーしー(1812) 投稿日 : 2006年7月31日<月>13時53分/三重県/女性/おばさん

ご無沙汰しています。
比較的小高い山の上にある我が家でも相当暑い日が続いています。でも
蝉の抜け殻を庭で見たり名前の知らない小鳥が木に止まっていたり
自然の移ろいを感じられる幸せに感謝しています。
星に願いををぜひまた買いに街まで行こうと思います。
河田ヒロさんは今年は個展をされないのでしょうか?

どくたーT@管理人(1816) 題名:クール・ビズ 投稿日 : 2006年8月8日<火>00時16分/東京都/男性/おじさん
 
本日は暑かったです。私の仕事場はクール・ビズですので、普段はノー上着、ノーネクタイなのですが、本日は外に所用があり背広。応えます。暑い日でも、スーツをきちんと着こなして、スマートに歩く男性は魅力的だという、若い女性の意見が合ったのですが、私はスーツで歩くと汗が噴出して、全然魅力的ではありません。
庄野先生一族のように、亜熱帯系の人がうらやましいです。
ライラック様、資格試験がんばってください。

らいらっく(1814) 題名:暑中お見舞い 投稿日 : 2006年8月5日<土>11時21分/千葉県/女性/40代後半
 
数日前までは、涼しくて、赤とんぼの姿も見ましたが、やっと夏本番になりました。
亜熱帯一族の庄野先生ご家族は生き生きと暮らしているのでしょうか。
最近、ある資格試験の準備で忙しく、読書もなしのストイックな生活をしていましたが、やっと終わって、また、先生の本に浸りながらの日々にもどれます。
昨年の9月に初めて生田を訪れてから3回訪ねました。生田高校や枡膳に行ったり。小説の中に入りこんだようで、感激でした。南足柄にも行きましたが、この夏は、大雄山最乗寺に行ってみたいと思います。

どくたーT@管理人(1813) 題名:お元気ですか、東京は本日から夏です 投稿日 : 2006年8月3日<木>22時25分/東京都/男性/おじさん
 
るーしーさま
お久しぶりです。
昨日までは結構涼しくて助かりました。
東京も遂に夏が来た感じです。久しぶりに散歩で大汗をかきました。私は汗っかきなので、暑いのは苦手なのですが、それでもじりじりとした太陽を見ないと、何となく物足りないです。
そういえば、本日都心の歩道で、セミの抜け殻を見つけました。近くに土のないところだったので、どこから来たのだろう、このセミは!と思いました。
もう一つ、今朝、家の庭にハグロトンボがいるのを見ました。子どもの頃は、田舎で随分捕まえたものですが、見かけたのは何年振りでしょう。懐かしかったです。


ワールドカップサッカー
第三のファン(1808) 投稿日 : 2006年7月23日<日>04時18分/大阪府/男性/20代前半
 
お久しぶりで失礼します。以前に多分、このハンドルネームで書き込みをしていた
庄野先生の大ファンであります。最近は読む一方でしたが宜しくお願いします。
さて、「絵合せ」を再読していたところ、「明夫は高校のサッカー部の主将をしていた」という箇所を発見しました。
恐らく先生のご長男も、同様にサッカー部の主将だったのでしょう。そうなると日韓大会の際、「家族でユニフォームを着込んで応援した」という記述のある作品があった筈ですが、その意味が改めて分かった気がしました。
たしかこの掲示板に私は、頭の色のおかしな連中は日本代表に値せず応援する必要もない、という感情的な書き込みをしてしまっていた筈です。いやはや御恥ずかしい。(今でも日本人の髪の色は黒であるべきと思っていますが・・・)
となると、今年のワールドカップサッカーも、ご家族でユニフォームを着て観戦なされたのでしょうか。であるとすると、それはとても微笑ましい光景のような気がします。まあ結果は散々なものでしたけれど・・・。
話は変わりますが、何ヶ月か前の「文芸春秋」に、作家の佐伯一麦によるアスベストに関連した文章がありました。その中で何の前触れもなく、「庄野潤三」の名が出てきて驚きました。それは以前読んだ小説の中で「南京ハゼ」というものがあり気になっていたが、今度の取材の中でそれを偶然見つけた、といった内容でした。
自分も気になっているんです「南京ハゼ」。他にも「かきまぜ」「タマフマラ族」、一体どのようなものなのだろう・・。長々と書き連ねてしまいました。それでは。

どくたーT@管理人(1809) 題名:ワールドカップ印象記 投稿日 : 2006年7月23日<日>22時52分/東京都/男性/おじさん
 
第三のファン様
書き込みありがとうございます。

2002年の日韓ワールドカップのとき、庄野さんは「文学界」に「ワールドカップ印象記」という随筆を書かれています。これは随筆集「孫の結婚式」で読むことができますが、これによると、庄野さんのご長男は、「高校大学を通じてサッカーの選手だった。高校時代は神奈川の私立高校でサッカー部の主力選手として活躍し、日本のサッカー界で名の知られている奥寺さんのいた学校とよく戦った。母校の成城大学のOB船には今もフォワードとして出場している。」また、ご次男も「大学ではサッカーをやっていた」、とあります。そういうわけで、ワールドカップのテレビ観戦に熱中するようになったそうです。

なお、2003年当時第三のファン様は、「その中でW杯サッカーの日本代表のことを「新潮」に書かれたものが収録されていました。」と記述されています。そのとき私は、第三のファン様の読まれた随筆は、「文学界」の「ワールドカップ印象記」のことを勘違いされたのだろうと思って、レスをつけました。しかし、勘違いは私だったようです。なぜならこの随筆には、「テレビ観戦に熱中した」とはかかれていますが、「家族でユニフォームを着込んで応援した」とはかかれておりません。私の知らない随筆が他にあったのかもしれませんね。

本年のワールドカップ、管理人は一切テレビを見ませんでしたが(私はサッカーに全く関心がありません。新聞は見ますから結果は知っていますが、それだけです)、庄野さんも、前回ほどはご覧にならなかったのではないでしょうか。なぜなら、庄野さんは早寝・早起きを励行されているからです。深夜や早朝に行われた試合を敢えて見るとはあまり考えにくいです。勿論、ご長男、ご次男はご覧になったでしょう。


意外?
るき(1760) 投稿日 : 2006年7月13日<木>21時56分/女性/30代後半
 
前に、大庭利雄さんの「最後の蜜月」を読んだときに意外なエピソードを発見!大庭さんが
脳梗塞(多分)で倒れた奥様の看病で通っている病院で庄野さんの奥さんと会い、
庄野さんが入院された当時の様子を聞くと、奥様は「ちっともいう事なんか聞きません」っと笑いながら答えたとの事。庄野さんの意外な一面を見れて思わず微笑んでしまいました。

どくたーT@管理人(1765) 題名:ありがとうございます。 投稿日 : 2006年7月14日<金>23時51分/東京都/男性/おじさん
 
大庭みな子さんは、1996年に小脳出血で突然倒れ、さらに入院中に脳梗塞を起こして半身不随となり、車椅子から離れられない身体になってしまったそうです。その妻を介護してきたのが夫の大庭利雄さんですね。『終わりの蜜月―大庭みな子の介護日誌』はその大庭利雄さんが書かれた作品です。一時大きな話題になった作品ですが、残念ながら、私は読んでおりません。
そのようなエピソードが書かれていたのであれば、一度確認しておきたいです。

るき様
教えてくださって、どうもありがとうございます。


『星に願いを』と『ちいさいおうち』
小川(1694) 投稿日 : 2006年7月2日<日>00時24分/神奈川県/男性/50代前半
 
 こんにちは。この掲示板をがんばって続けて下さって管理人様にはお礼をもう
しあげます。ありがとうございます。
 ところで、『星に願いを』を通読し、上の「題名」が思い浮んだので、書きこ
みをさせていただくことにしました。

 『星に願いを』は第一章の結びに出てくる浜木綿の話が、最後の第十一章にも
出てきて、それを日当りのいい場所に植え替えた功労者である長女の来訪の話で
全編が結ばれます。第七章にも浜木綿が出てきます。
 こういう繰りかえしが、さまざまな話題ごとに繰りかえされるというのが、夫
婦の暮しを描いた連作の特徴だと思いますが、『星に願いを』はその繰りかえし
の総まとめの作品のような感じがしました。
 
 この繰りかえしを味わっているうちに、子どものころ何回も読んだ『ちいさい
おうち』という絵本のことを思い出しました。
 『ちいさいおうち』は、田舎の丘の上に建っているちいさい家が主人公で、原
作はアメリカのバージニア・リー・バートン、日本では1954年に石井桃子訳で岩
波書店から「岩波の子どもの本」の一冊として出版されました。

 『ちいさいおうち』のストーリーは、田舎の自然の中で安らかに過ごしていた
ちいさい家が、巨大になった都会に呑み込まれて廃屋のようになってしまうので
すが、最後に、田舎の丘の上に移されて、またもとのように静かな生活に戻ると
いうものです。
 この絵本で印象的だったのは、毎年々々季節の変化が同じように繰りかえされ
る中で、じっと動かないちいさい家の様子でした。家に表情が描いてあるわけで
はありませんが、自然の変化の繰りかえしの中で、家は安らかで幸せにしている
ように見えました。

小川(1717) 題名:絵本といえば 投稿日 : 2006年7月6日<木>08時14分/神奈川県/男性/50代前半
 
どくたーT 様 のりこ 様

 ありがとうございます。絵本の思い出は「ちいさいおうち」ともう一冊、平家物語を子ども向けにしたものとの2冊だけです。平家物語のほうは、あとで見たくなって探したのですが見つかりません。書名も忘れてしまいました。
 「ちいさいおうち」は子どもに見せてみましたが、まったく興味を示しませんでした。
 大きな書店で英語の原書を見つけたときはうれしくて、買って大事にしています。日本語版より判型が大きく、絵もみばえがします。
 「メーベル」というのは知りませんでした。「ケーティ」と「ちゅうちゅう」(いたずらきかんしゃちゅうちゅう)は持っています。「ケーティ」は除雪用ブルドーザーが活躍する話、ちゅうちゅうは蒸気機関車の話です。「メーベル」がケーブルカーということは、次々に乗り物を主人公にした本をシリーズにしたのかもしれませんね。

 ところで『星に願いを』が、今頃になって最寄り駅近くの小さな書店に平積みになって出ています。これまでも、庄野さんの新刊はいつも発売からかなり遅れてでないと書棚に出てこないので、「e-hon」というインターネット書店で注文して入手しています。『お砂糖とスパイス』もその方法で注文しました。
 

のりこ(1712) 投稿日 : 2006年7月5日<水>18時30分/愛知県/女性/おばさん
 
私も「ちいさいおうち」は、とても好きな絵本で、こどものころというより、高校生の頃買った気がします。たしかに、周りがどうあろうと変わらない、いつもそのままの姿で同じ場所にいるおうちは、庄野さんに通じるものがありますね。バートンの作品では、「ちいさいケーブルカーのメーベル」も好きで、今も手元にあります。

どくたーT@管理人(1706) 題名:絵本 投稿日 : 2006年7月4日<火>22時24分/東京都/男性/おじさん
 
小川様
絵本の良いところは、一寸したところの違いを楽しむことなのかもしれません。私は自分の子ども時代に読んだ(見た)絵本は、電車の絵本だったり、ディズニーの漫画絵本だったりして、お話の絵本を読んだ思い出はなかなかありません。

しかし、自分に子どもが出来、お話をせがまれるようになると、いろいろなお話を読むようになりました。そこで、庄野文学と繋がるようなものは一寸思い出せないのですが、「グリとグラ」シリーズであるとか、「大きなかぶ」であるとか、「親切なともだち」であるとか、「子どものとも」のシリーズはよく読んで聴かせました。

私の子どもも大きくなり、絵本を読み聞かせることがなくなって随分経ちます。自分自身で大人も楽しめるような絵本を探すことはないので、小川様の様に何か絵本の思い出をかけないのが残念です。

河田ヒロさんの「お砂糖とスパイス」は、彼女のコラージュ作品とマザーグースの翻訳が組み合わされていて、素敵です。


はじめまして
山崎(1698) 投稿日 : 2006年7月3日<月>10時00分/神奈川県/女性/おねえさん
 
最近、庄野作品に出合いました。「うさぎのミミリー」や「せきれい」「貝殻と海の音」
など書店に行くたびに購入。こんな素晴らしい世界があったとは!
江國香織さんが大ファンだというのも納得です。
これから、宝さがしのように新旧作品を読んでいこうと思います。

どくたーT@管理人(1707) 題名:楽しまれてください。 投稿日 : 2006年7月4日<火>22時26分/東京都/男性/おじさん
 
山崎様
書き込みありがとうございます。
庄野文学の世界はいろいろな広がりがありますので、どうぞ楽しんでください。
感想をお聞かせいただければ、更にうれしいです。


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