バングローバーの旅

書誌事項

バングローバーの旅
庄野潤三著
短編小説集
初出

 雲を消す男  文学界  1955年5月号
 薄情な恋人  知性  1955年7月号
 ビニール水泳服実験  文藝  1955年10月号
 兄弟  新潮  1955年5月号
 勝負  文藝  1956年10月号
 無抵抗  別冊文藝春秋  1955年12月号
 机  群像  1956年4月号
 緩徐調  文藝春秋  1955年10月号
 バングローバーの旅  文藝  1955年4月号

出版 現代文芸社 1957年6月 

紹介

 「バングローバーの旅」は、初期の名作新聞小説「ザボンの花」とほぼ並行して書かれた短編小説を集めた作品集です。庄野作品としては、バラエティに富み、奇妙な味わいをもちます。「愛撫」、「プールサイド小景」で文壇に登場した庄野さんが、自分の作品の幅をどのように広げて行こうかと模索している様子が窺えます。

 「雲を消す男」は寓話です。空中の雲のうちから任意に小さなものを一つ選び、心静かに念ずると、まわりの雲はもとのままなのに、その雲だけが消えてなくなるという秘法を会得したニュージーランドの医師、ラルフ・アレキサンダー博士の元にやってくる二人の男。一人は、40に手の届こうという男で、つい一週間前に妻がいなくなってしまったので、9歳と4歳の子供を抱えて途方に暮れています。もう一人は、まだ30にならない独身の青年で、勤め先のいやな同僚との関係を悩んでいます。この二人の男はどちらも藁をもすがる思いで、アレキサンダー博士を訪ねますが、彼等にできることは悩みを話すことだけですし、アレキサンダー博士も唯聴くだけです。寓話的内容の中に、サラリーマンの悲哀と家庭の見えない危機が浮かびあがります。

 「薄情な恋人」は、初恋体験を語った作品です。男女交際がオープンでなかった時代の女性に対する片思いであるからこそ、恋に落ちてはならない薄情で軽薄な対象に恋愛感情を覚えてしまう。その由来と失恋までのゆく末とが、絵に書いたように進みます。

 「ビニール水泳服実験」は奇妙な味わいの作品です。庄野さんの持つおかしみ、ペーソスが漂います。こういう作品を読むと庄野さんと井伏鱒二との近さを感じます。冬の間水泳の練習をする為に、ビニールで身体全体を覆うという発想や、その試作品が上手く働かなかった時の困惑。そして、縫った女性を傷つけまいとするやさしさと諦め。「プールサイド小景」で使われたプールが軽妙な舞台に変身しています。

 「兄弟」は、自分の二人の兄とのエピソード。庄野さんは男子5人、女子2人の6人兄弟ですが、作品で語られるのは男兄弟のことが多いようです。早世した弟・四郎のエピソードは余り書かれませんが、「ザボンの花」の下の男の子の名前になっているのはご存知の通りです。子供時代の伸びやかな兄弟関係を描く。これは、未だ30代の庄野さんだったからこそ可能だったのかも知れません。

 「勝負」は、庄野さんが過去一回だけやった腕力による喧嘩の負けた経験。昭和初期の割りと好戦的な時代に、腕力による喧嘩を一度しかやっていないというのは、驚きです。庄野さんが本質的に内省的人物であることを示しています。

 「無抵抗」は、庄野さんが大阪外語英語部時代に参加した、日米学生会議の経験から生まれた作品です。この作品の冒頭に、
『あるとき、海兵隊の何とかという若者が人気の無い国道を歩いていると、三人の娘が乗った車がとまって有無を云わせず彼を車に乗せ、サボテンがいっぱい生えている、淋しい場所に場所に連れていって、それから、
「あたしのタンクは満水よ」と云った。
若者はその言葉を聞いただけで、抵抗の意志を失ったそうである。』
 というエピソードが乗っているのですが、学生会議のとき、「私」が仲良くしていたイヴリン・レイとのデートを悪気はないけれども実際邪魔して、抵抗させる暇も与えなかったビー・モリソンのパワーと重なります。

 「机」は、サラリーマンの本質的悲哀を、机や椅子という「モノ」に託してペーソスをもって描き出した作品です。庄野さんは、この作品を発表した前年、4年間勤めた朝日放送を退社して文筆専業となり、その後サラリーマンや会社を舞台とした作品を発表していません(単行本未収載の作品はわかりませんが)。その意味でも非常に特異な作品に仕上がっていると思います。

 「緩徐調」は、夫婦の本質的不安定さを描いた作品で、「愛撫」の流れに連なるものです。ただし「愛撫」にはじまる一連の夫婦小説が夫の無意識の行為が夫婦関係のきしみの原因となっているとすれば、本作品では、四角四面で真面目だけが取り柄の夫に不満を持っている妻の気持ちと「浮気」という行動が夫婦の潜在的危機として存在します。とはいえ、彼女の不満は、夫婦関係を壊すに至らない。ただ、最後の一文、「彼女にはそろそろ二番目の赤ん坊が生まれるのである」という所に、「父親が誰か」という問題が含まれていて、この夫婦の闇の深さを感じるのです。

 表題作の「バングローバーの旅」は、戦争花嫁として、獣医のウォルター・バングローバーの妻になったミミコの生活と日本旅行について書かれた作品です。ミミコは日本に駐留していたバングローバー氏と結婚してカリフォルニアに住むようになります。バングローバー氏は勤勉で、ミミコを愛しているようですし、周辺に住む他の戦争花嫁と比較すれば相当に恵まれている立場ですが、そうであってもミミコ自身は何とも心細く、一度日本に里帰りしたいと考えて、友人の佳子に手紙を書くのです。日本に来たミミコと電話で話した佳子は、学校時代派手好きで快活だったミミコの喋り口調が、間延びしたようなのんびりしたものになっていて、奇妙な感じを覚えますが、そこにミミコのアメリカでの淋しさが現れているようで、侘しさを覚えます。

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