庄野邸公開日(2019年2月11日)

 庄野潤三さんは、1961年4月川崎市多摩区三田の山の上に自宅を新築し、亡くなる2009年9月までこのお宅に住んで、数多くの作品を書いてきました。その40年以上の生活については、その街並みの変遷とともに、「夕べの雲」、「雉子の羽」、「絵合せ」、「明夫と良二」、「野鴨」、「世をへだてて」、「鉛筆印のトレーナー」、「さくらんぼジャム」、そして「貝がらと海の音」に始まる晩年シリーズなどの作品で克明に描かれてきました。その意味でこの「山の上の家」は、まさに庄野潤三という作家のホームグランドでありました。

 庄野潤三が亡くなった後、奥様の千寿子夫人がひとりで暮らしていましたが(と言いながら、隣は御長男の龍也さんの家です)、千寿子夫人も亡くなられ、空き家になられたことを機に、この作家の家を読者の方に公開したいと御長女の今村夏子さん、御長男の庄野龍也さんが考えられ、年に2日だけ公開することにしたものです。その第二回目が2019年2月11日に実施されました。

 第二回目の展示は、第一回目よりもずっと凝ったものになりました。訪問された方も第一回目よりも多いほどだったといいます。この日もまた、夏子さん、龍也さん、龍也さんの奥様の敦子さん、庄野さんの晩年の作品の装丁を手掛けた画家の河田ヒロさん、庄野文学研究者で日本大学の上坪裕介先生、夏葉社の島田潤一郎さんらがいらしていて、いろいろなご説明をして頂きました。また、多くの庄野文学の愛好者の交流の場になりました。

 以下、当日撮影した写真を載せます。第一回目よりもパワーアップした展示だったのですが、管理人の訪問した時間が遅く、じっくり見るよりいろいろな方とのお話に夢中になって全然撮影できていません。そこが残念です。

今回はこのような展示品リストが配られました。台所に「初孫」が飾られていましたが、今回のためにわざわざ取り寄せたのかもしれません。
門から写した表札。この平屋建ての庄野潤三の家の隣に長男龍也さんの家、更にその隣に孫のけい子ちゃんの家があるそうです。けい子ちゃんは最近山の上に家を買って、戻ってきたそうです。
手書きの御挨拶。切れていますが、「追加のお知らせ」をお示しします。公開はあと4回です。まだご覧になっていない方はどうかおいでください。
書斎の書棚です。前回と同様、写真や色紙類がいろいろ飾られていました。カメラが見えますが、庄野さんご自身の愛用のものでしょうか?それとも今回の見学者の方がシャッターを切るために置いたのでしょうか?
昭和30年、芥川龍之介賞を受賞したときの正賞の時計です。
茶の間に飾られていた様々な写真。ご両親やご自身の写真。ウサギのミミリーの写真や初ひ孫の萌花ちゃんの写真もありました。
百人一首と家族内百人一首大会の賞状。こんなところに庄野家のユーモアがあふれています。
沢山の寄せ書きが飾ってありました。
山田さんの手編みのセーター。庄野潤三はこのセーターが気に入っていたようです。
お茶の間にある庄野さんと奥様が祀られた仏壇です。この家には長く仏壇がなかったわけですが、庄野さんが亡くなった時に置かれたものと思われます。
前回は千壽子夫人と和也さんの写真が隠れていましたので、今回はその二人の写真が見えるように。

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