いたずら小僧日記(1907)

さわりの紹介

 乃公(おれ)は昨日で満11になった。誕生日のお祝に何を上げようかとお母さんが言うから、乃公は日記帳が欲しいと答えた。するとお母さんは早速上等のを一冊買って呉れた。姉さん達は三人共日記をつけているから、乃公だってつけなくちゃ幅が利かない。
 物は最初が大切だそうだ。初めて逢った時可厭(いや)だと思った人は何時までも可厭だとは、お花姉さんの始終(しょっちゅう)言う事だ。それで乃公も此(この)最初を巧くやる積りで色々と考えて見たがどうも面白い事が書けない。すべて物には始めがある。正月は明けましてで始まり、演説は満堂の紳士淑女諸君で始まり、手紙は拝啓陳者(のぶれば)で始まる。しかし日記は何で始まるものか、始めからして分からないのだから、全然(てんで)見当がつかない。弱っちまう。

 という訳で、日記帳はもらったものの書き方が分からない太郎君は、お花姉さんの日記を丸写しにして参考にしようとした。夕方、お花姉さんと縁談がまとまりかけている富田さんがやってくる。太郎君は、日記を富田さんに見せる。富田さんは、それを朗読する。

「富田さんなんかもうこなければいい。日曜の晩にも来て真正に煩かった。私、どうしてもあの人は嫌い。お金があるからってお母さんは仰るけど財産ばかりが人間の全てじゃない。誰が好き好んで若い身空をあんなところへ嫁ぐものですか。お母さんだって若い時の記憶もありましょうに、真正に少しは、私の身になって考えて呉れてもよさそうなものだ。あんな鬼のような手をして不恰好なんてありゃしない。家作が何軒あるの地所をいくら持っているのって他、何一つ碌な口も利けない芸無しの癖に。(中略)」
 お花さんは、日記帳を取返そうとして頻りに焦ったが、富田さんは矮小(ずんぐり)だけれどもお花さんよりは丈(せい)が高い。それに其度に渡すまいと丈伸をして手を高く揚げるから仕方がない。トウトウ読んでしまった。そして果たせる哉、本当に伊勢蝦のように真っ赤な顔になった。乃公は困ったと思うと、富田さんが突然乃公の手を捉えたのには吃驚した。
「太郎さん、是は君の悪戯だろうね」
「いいえ、僕じゃないんですよ。お花姉さんの日記を僕が写したんですよ」

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薀蓄

 佐々木邦の文学的出発がこの「いたずら小僧日記」である。この作品は、明治42年5月山県悌三郎が経営していた出版社、内外出版協会から出版された。「いたずら小僧日記」は正続ニ部に分かれ、続編は同年10月に刊行されている。いずれもアンノウンマン(無名氏)の翻訳という形をとっているが、実は、佐々木邦の創作であったらしい。無名の若い作家の創作とするよりは翻訳とした方が活字になりやすかったというのが、このような形式をとった理由のようである。
 「いたずら小僧日記」は漱石の「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」の影響が明らかに覗え、さらにマーク・トウェインの「トム・ソーヤ」の影響も窺える。佐々木邦がユーモア小説を書き出したそもそものきっかけは、マーク・トウェインを愛読したためであり、さらにマーク・トウェインを読み始めたきっかけは、ひとから「マーク・トウェインの英語は難しいよ」と言われたことにあるそうである。

 「いたずら小僧日記」は、11歳の誕生日に買ってもらった太郎君の日記である。太郎君はいたずら小僧であるが、日記はいたずら日記ではない。あくまでも、いたずら小僧の行状記である。太郎の家には両親と春子、花子、歌子、という3人の姉とお島という女中がおり、姉の恋人や友人、それに親戚が出入りするが、それらの人々の言動の表裏が少年の率直な眼によって容赦なく暴かれ、大人達は狼狽させられる。その様がいかにも面白い。
 太郎はいたずら小僧であり、度の過ぎたいたずらもするが、根本はとりたてて不良ではない。太郎の家庭は非常にハイカラな中上流の家庭であり、経済的にも問題がない。太郎自身も家庭の環境に疑問や反抗心を持っているわけではなく、ただいわゆる大人達の生活感覚と太郎のそれが食い違うためにさまざまな悲喜劇が繰り広げられる。大人の社会に対する太郎の批判は痛烈だが、太郎が暴いて行く大人達の偽善や欺瞞は、明治末期の日本だけでなく、現在にも通じるところがあるのがこの作品の力であると思われる。

 本書は一時春陽堂文庫で読めたが、20年以上前に絶版。現在購入は不可能だと思われる。興味を持った方は図書館を探してみてください。

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