全権先生

さわりの紹介

 自習が一時間ばかり続いた時、五郎助叔父さんが、
「何うだね?」
 と言って入って来た。この頃は見廻るばかりでない。坐り込んで、
「何をやっているんですか?」
 と訊く。
「英語の訳です」
 と福子さんが答えた。
「下読ですか?」
「はあ」
「どれ」
 と叔父さんは教科書を手に取って見て、
「ここからここまで訳して御覧なさい」
 と註文した。福子さんは訳し始めたが、つかえてしまった。
「ここのところが分りません」
「分らなければそのままにして、先をやって御覧なさい」
「はあ」
 と福子さんは五六行訳して又つかえた。
「分らないところはぬかして、その先」
「はあ」
「又分らないかね?その先」
「はあ」
「今度は調子が好いぜ。おやおや、違った」
「はあ?」
「ここはそういう意味じゃありません。話すのを止めたんじゃない。話す為に止まった。話をする為に今していることを止めたという意味です。この形は間違い易い。話すのを止めたという時には・・・・」
 と叔父さんは丁寧に説明して、
「その先」
 と命じた。
「ここまでしか読んでありません」
「大変倹約をしたんですね」
「倹約って次第でもないんですが、一々辞書を引くものですから」
「手間のかかるほど、よく頭へ入りますよ」
「はあ」
「もう半頁おやりなさい。折角ここまでやって置いて、先の方が当ると何にもなりませんよ」
「やりますけど、叔父さん、今分らなかったことを教えて下さい」
「分らなかったところは幾度も読んで考えて見る。この間申し上げた通り、読書百遍意義おのずから通じます」
「百遍なんて」
「百遍は支那人の法螺です。十遍で宜しい。前後の関係を考えて、十遍読んで御覧なさい」
「はあ」
「二十遍なら尚お結構です」
「はあ」
「三十遍なら申分ありません」
「もう分りました」
 と福子さんは慌ててお辞儀をした。素直にお相手をしていれば、四十遍五十遍と仰せつけ兼ねない。徳子さんは聞いて可笑しかったと見えて、
「オホホ」
 と笑った。

作品を楽しむ

 「全権先生」は、昭和5年1月号から12月号まで講談社の「少女倶楽部」に連載された作品です。前年12月まで、少年倶楽部に「苦心の学友」を連載して、連載中より評判が高かったことから、少女倶楽部も邦に少女向けのユーモア小説を書いて貰いたいと思ったのでしょう。しかし、本篇は、「少女向け」と言うには、少女を意識して書かれた様子は余りありません。それよりも佐々木邦の教育観、勉強観が強く現れており、そのせいで、小説としての出来は今一つと言うべきなのでしょう。

 「全権先生」の主人公は丹下五郎助という帝大生です。彼は、姉からその子供達の家庭教師になってくれるように頼まれます。姉さんの主人は株屋で、かなりの財産を築いた人であるが、子どもたちの出来は悪く、特に長男の金一郎は一度落第して、今度も危ないという状態です。長女の福子も落第寸前の成績、次女の徳子が中の下、次男銀次郎だけが出来るほうです。

 五郎助は姉に、子供達の出来が悪いのは親の育て方のせいであるといいます。そして、家庭教師を引き受ける条件として、お金はいらないから、自分に一切を任せて欲しい、即ち全権を任せて欲しい、といい、その条件で家庭教師として住みこみます。彼は、父親が商売にかまけて子供の生活に注意を払わない態度や、奉公人たちが子供らをちやほやする態度を批判し、改めさせようとします。勿論、反発もありました。金一郎君は、叔父さんの目を盗んで活動に行こうとし、大騒動になります。その後は、この全権先生、アンチョコを禁止し、自ら調べ考えることを重視した勉強方法を子供達にやらせ、結果として、みな成績が向上するのです。

 佐々木邦は作家である前に教師でした。色々な人の回想を見ると、謹厳実直で、決して彼の作品の様には楽しい教師ではなかったようですが、英語教師としてのキャリアは非常に長いものがあります。したがって、独自の教育観が生まれるのは当然でしょう。その教育観がかなり生のままで、本篇に反映されています。自分で苦労したものでなければ身につかない、であるとか、読書百遍意味おのずから通ず、とかの言葉から分るように、自分で考えることの重要性と自らの努力が王道である、というのが彼の基本的な考え方の様です。また、家が経済的に豊かであることは、子供の教育に必ずしもプラスにならない。親は率先して子供が勉強するように環境を整えてやるべきである。と言った風のメッセージも読み取れます。

 少女雑誌に、少女を主人公としない作品を書いたこと、また、その内容がユーモアの衣に包まれながらも、割りとメッセージ性の強い作品であること、で本作はかなりの異色作というべきでしょう。

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