嫁取婿取

さわりの紹介

「お父さんに申し上げて見ましょうか?」
「駄目よ」
「何故?」
「商家ですもの。悪くこじらせれば、それっきりですわ。お前や私から持ち出せば、文句をつけるに定まっていますよ」
「でも好いところで宏子が行く気になればいい筈じゃございませんか?」
「理屈じゃないのよ。意地ですからね」
「そんなに分りませんの?」
「お前のお父さんだけれど、私はもう呆れていますのよ」
「三郎から言わせましょうか?」
「然うね」
「三郎なら信用がありますわ」
「それも言い方一つよ。先方にお金があるなんて言ったら、もう駄目よ」
「むずかしいのね」
「一つ相談しましょう」
 とお母さんは策をめぐらす時節が来た。
 三郎君が訪れたのはその次の日曜だった。尤もその間にお母さんは高円寺ヘ抜け駈けをして具さに打ち合せたのである。
「お父さま、お母さま、存じながらついつい御無沙汰申訳もございません。御健勝で何よりに存じます」
 と長船君は相変らず角張っている。
「如何だね?」
「お蔭さまで一同頑健に暮らして居ります」
「この間春子が坊やを見せに来てくれたよ。大きくなったね」
「はあ、その節は種々と」
「さあ。崩しなさい。洋服は窮屈だ」
「はあ」
「今日は閑だ。ゆっくり話そう」
 と山下さんは模範を示して胡坐をかいた。しかし、三郎君は、
「今日伺いましたのは余の儀でもございません」
 と更に改まった。これが名人だから仕方がない。
「何だね?」
「御縁談を持って上りました」
「ははあ、誰のだい?」
「安子さんのです」
「これは有難い。常子や」
「それはそれは」
 とお母さんは予定の行動だった。
「帝大出身の経済学士です」
「何処へ勤めている?」
「自家営業です」
「ははあ。何屋だね?」
「眼鏡屋です」
「眼鏡?」
「はあ」
「眼鏡は売れまい」
 と山下さんは早速第一弾を発した。しかし三郎君は悉皆研究して来ていた。
「売れます。お父さんは現にかけていられます」
「俺は若い時からだが、世間に然う然う近眼はないよ」
「いや、随分あります。独逸の大学生は八十パーセントまで近眼です」
「独逸は独逸、日本は日本さ」
「日本の大学生は六十パーセントです」
「統計を調べて来たのかい?」
「はあ」
「しかし世間一般を見給え。眼鏡をかけている人よりもかけていない人の方が多い」
「違います。それは近眼鏡の場合です。老眼鏡に至りましては四十を越せば一人残らず掛けます。お父さんも近眼鏡と老眼鏡を両方お使いでしょう?」
「それは然うさ」
「お母さんは如何ですか?」
「三四年前から眼鏡がないと細かいものが見えませんのよ」
「何うでございますか?お父さん。眼鏡が売れないってことはありませんよ」
「無論相対的の話さ。売れまいと言った丈けで、絶対に否定したんじゃない」
「相対的のお話にしても、眼鏡は大いに売れる方です。鉄瓶のように一度買った丈けで、一生間に合うものじゃありません」
「あなた、この間のを春子に話したんでございますよ」
 とお母さんは感づかれるのを恐れた。
「近眼でも老眼でも度が進みます。その都度玉を買い換えなければなりません。又時々破れます。お父さんは学生時代から今までに幾つお買いになりましたか?」
「さあ、十ぐらい買っているかも知れない」
「近眼の人は皆然うです。眼鏡屋に随分奉公します。しかしお父さん」
「もう分った。お前と議論を始めたら果しがない」

作品紹介

嫁取婿取は、昭和4年1月号〜12月号にかけて「婦人倶楽部」に連載された小説。

この小説は、四男四女、八人の子沢山である山下さん夫婦の、長女に婿が決まり、まもなく長男に嫁を取り、次女にも婿を取る話がまとまろうとするまでが描かれている。婦人雑誌の主要な読者であった家庭の主婦にとって、子供が年頃になれば、その結婚問題が母親の最大の関心事であったことは、疑う余地が無い。主人公の山下さんは帝大出身の法学士であるが、ニ流企業の一課長に過ぎない。早くから子供に縛られて、ひたすら消極的かじりつき主義を奉じていたので、出世し損ねた。夫婦の一生は全く子供の為にあった。

この、山下さんのシチュエーションは、当時の読者にとって非常に親近感を感じるものだったと思われる。

山下さんの長男、俊一君は去年帝大を卒業して勤め口にありついている。長女春子さんは3年前に結婚して、子供もいる。ニ女、三女は共に女学校の専修科まで行って、良縁を探している。しかし、この山下さん、子供が生きがいだけのことはあって、子供立ちの結婚相手にはうるさい。まず、婿は帝大出身でなければならない。姑、小姑がいないことが好い。長女春子さんの時もこの条件が災いしてなかなか決まらなかったが、帝大出で、私学の高等学校の教授をしているがちがちの「角張り婿」長船三郎君と結婚することが出来た。

次の結婚は次女安子さんであるが、帝大出身だが鉄瓶屋の息子との縁談は、将来に不安があるとして、認めなかった。山下さんは商家に偏見を持っている。そこで、お母さんと春子さんとが一計を案じ三郎君を使って、眼鏡屋との縁談をまとめる。

一方、長男の俊一君は、親に無断で断髪のモダンガールと「ロマンス」をはぐくむ。相手は、大学時代の友人平塚君の妹・絹子さんであるが、俊一君と平塚君との間の意志疎通がうまくいかず、正式な話に持っていけない。その二人のデートを「角張り婿」三郎君が見たものだから、大騒動。勿論最後は、皆うまく行って大団円。

結婚が親同士の意向で決まることが当り前の時代の、市民階級の家庭の当り前の現実を描き出し、親世代と子世代の意識のギャップを描いたともいえる。

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