新家庭双六

さわりの紹介

 「しかし理想は矢張り高く持つ方が宣いかも知れない」
 「もうお宣しゅうございますの?」
 「何分三桁を理想にしていた人間だからね」
 「三桁と申しますと?」
 「百円さ、月、坂本君でも吉田君でも川上君でも遠く百円を望んで汲々乎としている。ところが万というと五桁だよ」
 「然うでございますわね」
 「会社の金としては五桁でも六桁でも平気で算盤を置くけれど、自分の年収が三万円かと思ったら、頭がグラグラッとした」
 「まあ、オホホホホホ」
 「未だフラフラする。お恥ずかしい話さ。お里が知れる」
 と里見君は冗談に託つけて自分の現在を十分理解してもらう積りだった。徳子さんは何もないことを承知で来てくれたのだが、何れくらいまでないのか。無さの程度が未だ徹底的に分っていない。
 「お上手ね。オホホホホ」
 「何が?」
 「嘘をおつきになるのが」
 「真正だよ。何もないんだ。九十円にボーナス丈けだからね。その積りでいておくれ」
 「何うせこれからでございますわ」
 「ここ十年はピイピイ風車さ。覚悟をして貰わなければならない」
 「何不足なく暮らして行ければ結構じゃございませんか?」
 と徳子さんは矢張り期待している。
 「迚も贅沢は出来ないよ。一文なしだ」
 「ございますわ。オホホ」
 「全くないんだよ」
 と里見君は極力主張したが、徳子さんは笑ってばかりいる。本気にしない。尤もあれ丈けの披露をした人が文なしとは考えられないのが当然だ。謙遜だと思っている。それで里見君は、
 「念晴らしの為に見せて置こうか」
 と机の引出から郵便貯金と銀行の通帳を持って来なければならなかった。
 「拝見して宜しゅうございますの?」
 「俺のものはお前のものさ。と言うと沢山あるようだが、御覧、郵便貯金が二十三円五十銭」
 「婆やに聞えますよ」
 と徳子さんが慌てて制した。
 「銀行の方が・・・・・」
 と里見君は声を潜めた。
 「・・・・・・・・」
 「実はこれが純粋に俺のじゃないんだから威張れない」
 「でもあなたのお名前じゃございませんか?」
 「今度の費用に家から貰ったのが、それ丈け残ったのさ。賄い出したんだから、このまま着服する権利は充分ある」
 「ナカナカお狡いんでございますね」
 「返すものかね。親のものは子のものだ」
 「つまりこの二百五十円五十銭が家庭の基本金でございますわね」
 と徳子さんも無論返す気がない。
 「何うだい?驚いたろう?」
 「いいえ」
 「駈け出しの会社員は皆こんなものさ。借金のないのが儲けものだと思っておくれ」

作品紹介

 「新家庭双六」は、昭和3年10月号〜4年11月号にかけて「キング」に連載された長編小説です。佐々木邦は昭和3年から作家専業となり、大衆向け雑誌にユーモア小説を数多く発表するようになりますが、「新家庭双六」もその一つ。昭和初期のサラリーマン世帯の新婚生活の様相を、あたかも双六の目が進むように描いて行きます。本来新婚生活に上がりがあるのかどうかは良く分らないのですが、本篇では、奥さんの妊娠と主人公の転勤で作品を終えています。

 里見君は、勤めている会社の重役・細井さんの姪・徳子さんと結婚しました。この話が公になったとき、同僚の坂本君、吉田君、庄司君、河上君は、出世コースを掴んだと言って羨む坂本君や、出世しても叔父さんの引きに拠るものだと言われるとして忠告する庄司君など色々でしたが、本人も、内心は多少の期待はあるものの、と言って、周囲からはそのために出世したとは言われたくない、と思っておりました。でも、それ以上に甘い新婚生活に期待を寄せていたところです。

 新婚生活が始まると、会社の同僚が訪ねて来て、お祝いの置時計を貰ったり、それまで使っていた婆やに閑をだすに当って、近所に悪口を言われたりと、よくありがちのエピソードを経て、ようやく平常生活になります。とはいえ、予想外に生活費がかかって、月末には大赤字に青くなったりもします。里見君は、煙草を止め、生活費の切り詰め方を同僚に聞いたリしますが、ナカナカ上手く行きません.。

 新婚二箇月が過ぎると、お定まりの夫婦喧嘩が置きます。原因は、酔っ払って遅く帰って来た里見君が、誤って隣の家に上がりこもうとしたこと。勿論、里見君は徳子さんに平謝りです。また、新婚家庭に泥棒が入り、徳子さんの衣類等をごっそり持っていった、ということもありました。しかし、見舞い金が沢山入ったため、少しは得した気分になったりします。

 そうこうしている内に、徳子さんは目出度くも妊娠いたします。でも家庭内の主導権は、里のお母さんの智恵もあって、徳子さんに移ります。また、会社では、細井重役の引きもあって、大阪支店への栄転もきまり、新家庭双六の上がりとなります。

 新婚家庭の成長と、会社での同僚のやりとりを交錯させながら物語を進めるやり方は、佐々木邦の得意とするところでした。佐々木邦は、日本のユーモア文学の創始者とされますが、その視点は旧弊を笑う、という点で一貫していました。その舞台は、旧弊の場よりも、サラリーマンという大正末期から大発生した新人類を扱うほうが、彼のセンスに合っていたのだろうと思います。

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