おてんば娘日記(1909)

さわりの紹介

「今日は八円五十銭の散歩をした」
と言って、兄さんが帰って来なすった。
「どうなすったの? 掏摸にでも会いましたか?」
と姉さんが訊くと、
「僕は掏りに遭うような間抜けじゃないが、先日買ったばかりの万年筆を失して了った。公園で機械体操をした時に落としたのだと気がついて直ぐに引返して見たけれど、最早駄目だった」
「真正に公園でお落としになったなら、もう駄目でしょうが、又何処かへ置忘れたんじゃなくって? 先日なんか風呂場へ眼鏡をお忘れになって、亀子さんを泣かせたり、大騒ぎをなすったじゃありませんか」
「眼鏡を置忘れても万年筆を置忘れるものか。電車の切符を出す時に、ちゃんとこのポケットにあったもの。馬鹿を見た」
「真正に機械体操なんかなさらなければよかったのにねえ。私一寸風呂場へ行って見て来て上げましょうか?」
と私は気の毒になって慰めて上げた。兄さんは全く公園で落としたものと確信していなさる。好い塩梅です。机の上に置き忘れてあったのを私が拝借しているのに、僕は置忘れなんかしないって嘘を吐いて威張っていらっしゃる。全く東益さんの仰有った通り、兄さんは自信家です。
 
 まだ御存知ないけれど、兄さんはニ円八十銭の散歩もしていなさる。私先日お隣の次郎さんと釣魚に行く時、兄さんのゴム靴を拝借して蚯蚓をいれたのですがつい忘れて来て了った。真正に悪い事は出来ないもので、それからは少し空が曇ると心配でならない。

薀蓄

 「おてんば娘日記」は、明治42年7月内外出版協会から出版された。同年5月に刊行された「いたづら小僧日記」の明らかな姉妹編である。
 書き出しからして、「いたづら小僧日記」の主人公太郎の日記に触発された主人公の「おてんば娘」亀子が、兄さんの小遣い帳を拝借して日記をつけ始めるという形式をとっている。とはいえ、主人公の亀子は、ブルジョワジーの子女。いたづらは激しいものの言葉遣いなどは、良家の言葉である。

 彼女は、日記の冒頭で、私はちっとも自分がおてんばだとは思わない。ただ分からない事が沢山あるから、それを知りたさに色々な事を聞くのに、大人は圧制なものだと述べている。しかし、この彼女の子供らしい疑問が、周りの大人達を困らせたり、赤面させたりする。この構図は、まさに「いたづら小僧日記」と一致している。

 亀子の行ういたづらは、自分の代わりにステッキに着物を着せて階段から落とし家族を驚かせたり、姉の友達の晴れ着に絵具を付けたり、お喋りを封じられると口のきけない真似をして近所の奥さんに応対するぐらいであるが、彼女の隣人の男の子次郎は、「いたづら小僧日記」の太郎に負けないいたづらっ子で派手に活躍する。この二人の違いが作品の面白さを増幅している。

 一時春陽文庫で読めたが、とうの昔に絶版。図書館で佐々木邦全集を探し出して読んでください。


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