佐々木邦年譜

年号   年齢 生活上の主な出来事 主要作品 社会の出来事
1883 明治16年   5月4日、佐々木林蔵(安政4年生れ、26歳)、はる(戸籍名、万延元年生れ、23歳、通称かく)の長男として静岡県駿東郡清水村新宿87(現在の清水町新宿205)に生れる。父親は村の大工。    
1884 明治17年 1歳      
1885 明治18年 2歳 2月14日、弟、二郎が生まれた。長じて牧師。日本聖公会京都教区主教    
1886 明治19年 3歳 父・林蔵は西洋建築技術習得のため、全国から選抜された16名の大工、左官、石工らと共にドイツへ留学(3年間)    
1887 明治20年 4歳      
1888 明治21年 5歳      
1889 明治22年 6歳 4月、清水村の小学校に入学。間もなく父が帰朝して内務省に奉職。帝国議事堂建設のためであった。このため、一家は東京市芝区明舟町19に転居。鞆絵小学校1年に転入。    
1890 明治23年 7歳 3月2日、弟、順三が生れた。長じて教師。一高教授から都立高校校長を経て立教大学総長。    
1891 明治24年 8歳      
1892 明治25年 9歳 4月8日、弟、義朗が生まれた。長じて裁判官。    
1893 明治26年 10歳 3月鞆絵小学校尋常科を卒業。次いで鞆絵小学校高等科へ進学    
1894 明治27年 11歳     日清戦争
1895 明治28年 12歳 鞆絵小学校高等科2年終了。正則中学校に入学するが、まもなく退学、海軍予備校に入学。母・かく、入水自殺未遂。このため父親は大蔵省を辞め、民間に移る。母と三人の弟は、沼津に帰郷。    
1896 明治29年 13歳 海軍予備校を退学し、早稲田中学の1年に再入学。菊地三九郎や坪内雄三らの教えを受けた。父親、林蔵が青森での連隊司令部建築のため、単身赴任。邦は、赤坂氷川町の叔母(父の弟の妻)の家に寄宿した。    
1897 明治30年 14歳      
1898 明治31年 15歳 肋膜炎のため、2年次終了時で早稲田中学を退学。父親、林蔵が青森での連隊司令部建築を巡る不正の疑いで逮捕拘留される(のち無罪)。    
1899 明治32年 16歳 健康を回復し、秋、青山学院尋常中等部4年次へ編入。寄宿舎に入舎。    
1900 明治33年 17歳      
1901 明治34年 18歳 3月、中等部卒業。4月より高等部へ入学。10月まで在学。    
1902 明治35年 19歳 4月、慶応義塾大学理財科予科に入学。英語に優れ、この頃からマーク・トウェインなどを愛読した。この頃、生涯の友となる万代順四郎と知り合う。    
1903 明治36年 20歳 11月慶応義塾予科を2年で退学、明治学院高等学部2年に編入。    
1904 明治37年 21歳   12月「翁の面」を発表(白金学報)筆名:佐々木春川 日露戦争
1905 明治38年 22歳 3月明治学院高等学部卒業。引き続き研究生として在学。アメリカ人に日本語を教授し、その交換で米語も学ぶ。11月、水戸市フレンド教会附属英語学校教師として赴任。    
1906 明治39年 23歳 母の病気看護のため、一時沼津に帰郷。快癒を見て東京に戻る。この頃、漱石の「猫」や「坊ちゃん」を愛読。    
1907 明治40年 24歳 4月、韓国釜山居留団立商業学校の英語教師として赴任。下宿先で主の親戚の娘、服部小雪(山形県鶴岡出身、明治18年生)と知り合う。 7月旅行記「釜山まで」を発表(白金学報)筆名:佐々木生。11月より「いたづら小僧日記」の連載開始(明星、翌年9月まで)  
1908 明治41年 25歳 6月、服部小雪と結婚。 3月、「禁煙」(白金学報)、7月「看病」(白金学報)  
1909 明治42年 26歳 4月1日、長男仙一誕生。8月釜山の商業学校を退職。岡山の第六高等学校講師就任。 出版:4月翻訳「法螺男爵旅土産」出版(内外出版協会)、5月「いたづら小僧日記」、7月「おてんば娘日記」、「ドン・キホーテ物語」、10月「続いたづら小僧日記」(以上内外出版協会)。
翻訳「運」発表(スバル)。翻訳「千万円」発表(文庫)
 
1910 明治43年 27歳   出版:2月翻訳「各国滑稽小説」第一篇、3月「当世良人気質」、6月「当世細君気質」、12月「グッド・ボーイ日記」(内外出版協会)  
1911 明治44年 28歳 10月3日、長女あや誕生 出版:12月、翻訳「独身者の独思索」(内外出版協会)  
1912 明治45年 29歳      
1913 大正2年 30歳 7月22日、二女ふさ誕生 短編小説「幽霊」(3月、少女画報)、主筆先生(9月、少女画報)  
1914 大正3年 31歳 8月第六高等学校教授昇進 短編小説「一々御尤」(9月、小学生)、「敵と味方」(11月、小学生) 第一次世界大戦
1915 大正4年 32歳      
1916 大正5年 33歳 3月2日、三女うめ誕生 出版:翻訳「ユーモア十篇」(丁末出版社)  
1917 大正6年 34歳 8月、第六高等学校教授退官。9月慶応義塾大学予科教授に就任。一家上京して、豊多摩郡渋谷町豊分の「豊分居」に転居。    
1918 大正7年 35歳 10月5日、次男英二誕生 連載:シムスの翻案「主婦采配記」(3-12月、主婦之友)  
1919 大正8年 36歳 4月、明治学院高等学部講師を兼任(大正15年10月まで) 出版:翻訳「トム・ソウヤー物語」(世界少年文学名作集第1巻として)(家庭読物刊行会)  
1920 大正9年 37歳   連載:珍太郎日記」連載(1-12月、主婦之友)  
1921 大正10年 38歳   連載:続・珍太郎日記」(1-12月、主婦之友)、出版:翻訳「ハックルベリー物語」(世界少年文学名作集第19巻として)(精華書店)  
1922 大正11年 39歳   連載:ぐうたら道中記」(1-12月、主婦之友)  
1923 大正12年 40歳   器量」(8月、少女の友)発表。(以降、作品は長編小説と単行本のみとする)  
1924 大正13年 41歳   出版:のらくら倶楽部」(10月、主婦之友社)。
連載:ノラクラ倶楽部」(国民新聞、1月21日〜5月9日、100回)、「夫婦者と独身者」(1-12月、主婦之友)
 
1925 大正14年 42歳   出版:翻訳「トム・ソウヤーの冒険」(春秋社)
連載:好人物」(5-12月、婦人画報)。「プラスとマイナス」(5-12月、少女倶楽部)。「親鳥子鳥」(10月-大正15年10月、キング)、「主権妻権」(10月-大正15年9月、婦人倶楽部)
 
1926 大正15年 43歳   出版:8月「娘の婿たち」(京文社)、10月、「主権妻権」、11月「親鳥子鳥」(以上、講談社)、11月「笑いの王国」(短編小説集、京文社)
連載:小女権論者」(5月-昭和2年4月、少女倶楽部)、「文化村の喜劇」(7-12月、主婦之友)、「ゴンドラ村」(11月〜昭和2年4月、キング)
 
1927 昭和2年 44歳   出版:1月「文化村の喜劇」(京文社)、8月、「世間相人間相」(講談社)
連載:次男坊」(1-12月、面白倶楽部)、「脱線息子」(7-3年7月、キング)、「苦心の学友」(10月〜4年12月、少年倶楽部)
 
1928 昭和3年 45歳 3月、慶応義塾大学予科教授辞任。作家専任となる。 出版:3月「次男坊」(講談社)、6月、「明るい人生」(現代ユウモア全集第6巻、小学館)、8月「あべこべ物語」(春秋社、翻訳)
連載:愚弟賢兄」(1-12月、講談倶楽部)、「使ふ人使はれる人」(1-7月、現代)、「短所矯正同盟」(1-12月、少女倶楽部)、「奇物変物」(9月-4年11月、冨士)、「村の成功者」(9月-4年2月、現代)、「新家庭双六」(10-4年11月、キング)
 
1929 昭和4年 46歳   出版:3月「愚弟賢兄」(講談社)、3月、「マーク・トウエン名作集」(世界大衆文学全集第10巻、改造社)、8月「脱線息子」(講談社)、12月「夫婦百面相」(弘文社)、「笑の天地」(小学館)、「抜けウィルソン」(翻訳、改造社)
連載:夫婦百面相」(1-12月、主婦之友)、「嫁取婿取」(1-12月、婦人倶楽部)、「凡人伝」(4月〜5年4月、雄弁)
 
1930 昭和5年 47歳 7月、「新家庭双六」を明治座で、12月、「美人自叙伝」を帝国劇場で、新派が上演。主演:水谷八重子。 出版:3月「新家庭双六」(講談社)、3月、「苦心の学友」(講談社)、10月〜6年8月「佐々木邦全集」(全10巻、講談社)。
連載:ガラマサどん」(1-12月、キング)、「負けない男」(1-12月、講談倶楽部)、「美人自叙伝」(1-12月、婦人倶楽部)、「全権先生」(1-12月、少女倶楽部)、「村の少年団」(4月〜7年3月、少年倶楽部)、「人生漫画面」(5月-6年5月、冨士)
 
1931 昭和6年 48歳 1月、長女あやが、時事新報記者松田義致と結婚。
2月「ガラマサどん」を新歌舞伎座で、3月「奇物変物」を明治座で、4月、「新婚道中記」を新歌舞伎座で、9月「大番頭小番頭」を明治座で上演。
出版:12月「佐々木邦、辰野九紫、中村正常、正木不如丘集」(明治・大正・昭和文学全集第57巻、春陽堂)
連載:大番頭小番頭」(1-7年6月、朝日)、「婚約時代」(1-12月、キング)、「御婦人殿下」(1-12月、講談倶楽部)、「家庭三代記」(1-6月、婦人倶楽部)、「地に爪跡を残すもの」(9月-8年11月、冨士)
満州事変
1932 昭和7年 49歳 4月15日、末弟・義朗没。腸チフス。10月27日長女あやの長女、とも子誕生。後に邦の四女(養女)とする。12月29日、長女松田あや、産褥熱のため死去。
9月「脱線息子」、明治座で上演。
出版:1月「全権先生」(講談社)、1月「トム・ソウヤーの冒険」、「(ハックルベリイの冒険」(以上春陽堂少年文庫、春陽堂)
連載:少女百面相」(1-12月、少女倶楽部)、「わんぱく時代」(4-12月、少年倶楽部)、「青春夢」(9月13日〜8年2月4日、報知新聞夕刊)、「人生初年兵」(10-8年12月、講談倶楽部)
 
1933 昭和8年 50歳 義太夫を習い始める。 出版:3月「村の少年団」(講談社)、7月「大番頭小番頭」(講談社)、10月「少女百面相」(講談社)
連載:トム君・サム君」(1-12月、少年倶楽部)、「女性は強し」(1-8月、婦人公論)
 
1934 昭和9年 51歳   出版:2月「地に爪跡を残すもの」(講談社)
連載:無軌道青春」(1-10年3月、冨士)、「勝ち運負け運」(1-12月、キング)、「求婚三銃士」(10-10年12月、講談倶楽部)
 
1935 昭和10年 52歳 8月「ガラマサどん」、有楽座で上演。主演古川緑波。12月「人生初年兵」をPCLで映画化。 出版:5月「世路第一歩」(現代ユーモア小説全集第1巻、アトリエ社)、6月「トム君・サム君」(講談社)、7月「人生初年兵」(講談社)、「勝ち運負け運」(昭和長編小説全集第13巻 新潮社)
連載:奇人群像」(4-11年4月、冨士)、「青春豪華版」(6-11年8月、現代)
 
1936 昭和11年 53歳 7月、辰野九紫、サトウ・ハチロー、獅子文六、徳川夢声、中野実らとユーモア作家倶楽部を結成した。    
1937 昭和12年 54歳 5月、二女ふさが、福島富雄と結婚して渡米。9月9日、母かく(はる)没、77歳。10月、ユーモア作家倶楽部の機関誌「ユーモアクラブ」を春陽堂から創刊。 連載:出世倶楽部」(1-12月、少年倶楽部)、「人生の年輪」(10-14年1月、ユーモアクラブ) 日中戦争
1938 昭和13年 55歳 7月、執筆のため湯河原滞在中、肺炎に罹患。8月快癒して帰京。
3月、「ガラマサどん」、東宝で映画化。
出版:2月「青春豪華版」(春陽堂)、4月「出世倶楽部」(講談社)、8月「家庭三代記」(春陽堂文庫)、12月「人生の年輪」(春陽堂)
連載:お隣の英雄」(1-12月、少年倶楽部)、「王将連盟」(1-6月、雄弁)、「嫁取り双六」(9-14年12月、キング)
 
1939 昭和14年 56歳 11月3日、ジャパン・タイムスに勤務していた長男仙一、玉木容子と結婚。三女うめ、松井茂彦と結婚。 出版:3月「紅白うそ合戦」(講談社)、「トム・ソウヤーの冒険」(講談社)、「マーク・トウエン名作集」(世界大衆名作選集第11巻、改造社)、
連載:喧嘩三代記」(2-15年3月、ユーモアクラブ)
 
1940 昭和15年 57歳 6月28日、父・林蔵没。83歳。12月1日、孫・輝子(仙一長女)誕生。 出版:8月「嫁取りアルバム」(東成社)、10月「曇のち晴れ」(偕成社)
連載:ユーカリA」(4-16年1月、ユーモアクラブ)
 
1941 昭和16年 58歳 秋、次女福島ふさ、3歳になる娘を連れて、米国より帰国。 出版:3月「村一番早慶戦」(ユーモア文庫、東成社)、8月「豊分居雑筆」(随筆集、春陽堂)、8月「奇人群像」(春陽堂)
連載:明暗街道」(2-17年1月、ユーモアクラブ)
太平洋戦争開戦
1942 昭和17年 59歳 1月8日、孫雅子(仙一次女)誕生。福島ふさが長男を産む。12月2日、二女、福島ふさ没(乳がん) 出版:4月「明暗街道」(太白書房)、4月「愚弟賢兄」(大都書房)、5月、7月「お互ひの青春(上・下)」(大都書房)、6月「凡人大悟」(輝文堂書房)、6月「ほがらか道中記」(文松堂)、6月「佐々木邦自選集」(輝文堂書房)、8月「女性は強し」(輝文堂書房)、12月「ロマンスの発育」(東成社)
連載:正会員生活」(2-18年2月、ユーモアクラブ)
 
1943 昭和18年 60歳 ふさの長男、疫痢で死去。4月、家族と共に、沼津市千本緑町に疎開。長男仙一は、同盟通信特派員として、ジャカルタに赴任。次男英二は、慶応義塾大学卒業後、応召してフィリピンに出征。
雑誌「ユーモアクラブ」の名称が「明朗」に変更。
出版:8月「正会員生活」(大都書房)、12月「世間と人間」(白林書房)  
1944 昭和19年 61歳 東京と疎開先の沼津を往復するものの、執筆活動は停止状態。 出版:素顔の時代」(国民文庫刊行会)  
1945 昭和20年 62歳 6月22日、次男英二、フィリピンにて戦死。6月、沼津市で戦災を受け、居宅焼失。山形県西田川郡温海町五十川に再疎開。終戦後、山形県西田川郡豊浦村小波渡に転居。   終戦
1946 昭和21年 63歳 3月下旬、長男仙一が復員。4月29日小波渡の家から、鶴岡市元曲師町14に移ったのち、鶴岡市紙漉町の本鏡寺の離れに落ちつく。 出版:3月「明朗人生」(コバルト社)、6月「求婚時代」、7月「村の名物」(以上リンゴ書院)、8月「トム・ソウヤーの冒険」(講談社)、9月「アパートの哲学者」(太白書房)、10月「友情行進曲」(アルス)、12月「凡人伝」(講談社)、12月「ハックルベリイの冒険」(講談社)、8月「人生縮図」(随筆集、文学社)  
1947 昭和22年 64歳 3月18日孫春代生れる(仙一三女)。12月10日、妻・小雪没。62歳 出版:1月「兄弟行進曲」(偕成社)、7月「脱線息子」(北光書房)、11月「画塾のロマンス」(有楽社)、9月「豊分居閑談」(随筆集、開明社)
連載:心の歴史」(2-終了不明、日本ユーモア)
 
1948 昭和23年 65歳 9月、鶴岡市から東京渋谷の「豊分居」に帰る。10月12日、孫真理誕生(仙一四女)。 出版:2月「次男坊」(講談社)  
1949 昭和24年 66歳 4月、鶴岡市出身の進藤信子(36)と結婚。5月、明治学院大学教授に就任(英文学、昭和37年3月まで) 出版:2月「少女百面相」(講談社)、2月「村の少年団」(光文社)、5月「友情の扉」(光文社)、6月「心の歴史」(講談社)、11月「僕らの世界」(光文社)、11月「仲よし問答」(朝日新聞社)
連載:求愛ABC」(1-12、日の出)、「僕らの世界」(1-12、少年クラブ)、「友情の歯車」(1-12、少女クラブ)、「御婦人閣下」(4-12、スタイル)
 
1950 昭和25年 67歳 8月10日、孫孝雄誕生(仙一長男)。 連載:あこがれの都」(2-12、少女クラブ)、「新家庭異聞」(5-12、面白倶楽部)、「恋愛心理学」(10-26年3月、モダンロマンス)  
1951 昭和26年 68歳   出版:佐々木邦傑作選集」(全12巻、太平洋出版社)  
1952 昭和27年 69歳   出版:2月「あこがれの都」(ポプラ社)、3月「妻の秘密筥」(ユーモア小説全集第4巻、東成社)、3月「ジル・ブラスの冒険」(翻訳、ポプラ社)、8月「わんぱく少年」(翻訳、講談社)  
1953 昭和28年 70歳   出版:3月「愚弟賢兄」(講談社)、4月「次男坊」(講談社)、7月「奇物変物」(講談社)、7月「冠婚葬祭博士」(春陽堂)、8月「佐々木邦集」(現代ユーモア文学全集、駿河台書房)
連載:おばこワルツ」(9-30年3月、家の光)、「人生は七〇%」(9/1〜29年1/15、135回、荘内日報)
 
1954 昭和29年 71歳   出版:4月「恐妻論者」(東方社)、4月「続佐々木邦集」(現代ユーモア文学全集、駿河台書房)、8月「人生は七〇%」(講談社)、8月「恋愛早慶戦」(東方社)、10月「脱線息子」(東方社)  
1955 昭和30年 72歳   出版:6月「人生明朗曲」(東京文芸社)、6月「ぐうたら道中記」(東方社)、7月「苦心の学友」(ポプラ社)、11月「喧嘩人生」(東京文芸社)
連載:花嫁三国一」(4-31年2月、家の光)
 
1956 昭和31年 73歳 5月13日、長男、仙一没(47歳)、心臓弁膜症のため。 出版:3月「花嫁三国一」(東京文芸社)、3月「青春アルバム」(東方社)、7月「ロマンス時代」(東方社)、9月「明暗街道」(東方社)、12月「無軌道青春」(東方社)  
1957 昭和32年 74歳   出版:2月「青春文化運動」(東方社)、3月「新夫婦日記」(東方社)
連載:赤ちゃん」(5-33年7月、主婦の友)
 
1958 昭和33年 75歳   出版:6月「赤ちゃん」(中央公論社)、6月「ユーモア百話」(研究社)  
1959 昭和34年 76歳   出版:12月「佐々木邦・竹田敏彦集」(現代長編小説全集第51巻、講談社)  
1960 昭和35年 77歳 5月28日、目黒雅叙園にて佐々木三兄弟の長寿を祝う会。7月、四女とも子、米国留学。 出版:10月「恋愛心理学」(東方社)、12月「人生の年輪」(東方社)  
1961 昭和36年 78歳 5月、児童文芸功労賞受賞。    
1962 昭和37年 79歳 12月、紫綬褒章受章。 出版:5月「英米小ばなし」(研究社)、6月「The Reluctant Bachelor」(「心の歴史」の翻訳、Vantage Press)  
1963 昭和38年 80歳 1月、日本聖公会東京三一教会で洗礼を受ける。 出版:11月「人生エンマ帳」(東都書房)  
1964 昭和39年 81歳 9月22日、心筋梗塞のため死去。 連載:十代豪華版」(5-40年1月、未完、NHK学園)  

本年譜は、佐々木邦全集(講談社1974-75)収載の岡保生氏作成の年譜を元に、小坂井澄氏の評伝「佐々木邦」に記載されている事項を付け加えて作成した。又、岡氏の年譜の明らかな誤りは修正した。

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