無軌道青春

さわりの紹介

「桂子は矢っ張り敏感だよ」
「驚いた。僕に反感を持っているんだ」
「何ういう次第だか分るかい?」
「分らない」
「実は九州から縁談を持って来たんだよ」
「ふうむ?」
「それを純子が至極簡単に断ったものだから、何か考えたんだろう?」
「都合の悪い存在として僕を認めたんじゃなかろうか?」
「今の態度じゃ然うらしい。始終麹町に行くから、何か暗示を受けて来たのかも知れない」
「心細いね」
「しかし純子が断っているのは意味深長だろう? てんで問題にしなかったんだから」
「その点が、一縷の希望かな?」
「形勢は一体何うなっているんだい?」
「混沌としていてちっとも分らない」
「毎日顔を合わせていて、女一人の心を獲得出来ないようなら、結局端人足だぜ。そんなのは実社会へ出たって何も仕事は出来ない」
「しかし君と違って、それを唯一の屈託にしているんじゃないからね」
「何とか言っている。暗討にまで会っているんじゃないか?」
「あれは、相手が悪いからさ」
「可なり念が入っているんだ。それでいて一向に捗らないんだから何うかしている」
「君と違って、斯ういう悪い方面は経験がないからだろう」
「悪いと思っているのかい?」
「余り香ばしいことでもないだろう」
「人格者は駄目だな。地道過ぎるんだよ、君は。英雄的色彩がないから惹きつけないんだろう。鶏にすれば鶏冠が極く小さいんだ」
「然うかもしれない。断の一字の度胸がないんだから」
「悪いことでも何でもない。これは人間としての君の試金石だ。英雄は人心を獲得する。女だって人心だぜ」
「然う言う君だって、人心に逃げられているじゃないか?」
「あれは態々逃がしたんだ。今からだって獲得しようと思えば自信がある。何なら撚りを戻して見せようか?」
「それには及ばない。真っ平だ」
「ハッハ、ハッハ」
「君の実力には多大の敬意を表して置く」
「何うだい? 両手をついて、僕に頼まないか? 初めから然う言っているんだ。その方が早かろうぜ」
「厭だよ」
「何故?」
「端人足ってことを証明したくない」
「飽くまでも自力でやる気かい」
「うむ」
「それが本当だ。しかし注意して置く。桂子の出現が君の不利益にならないように、君は差当り純子よりも桂子の機嫌を取らなければいけない」
「及ばずながら努めているんだけれど」
「それから有村だ。これは君に好意を持っている。しかし、ケンさんも取り入ろうとしているんだから、君も無関心でいちゃいけない」
「容易じゃないね、ナカナカ」
「それからケンさんだ」
「ケンさんの御機嫌も取るのかい?」
「これは喧嘩で行くのが本当だけれど、君は母の依頼に応じてしまったから仕方がない。少なくても当らず触らずに調子を合せる必要がある」
「好い面の皮だ」
「僕が機会を提供した時、やってしまわないからさ。蛇だよ、あれは」
「蝮蛇だ。蝮蛇に調子を合せるんじゃ敵わない」
「いつ咬みつくかも知れないから、用心することだよ」
「伏魔殿だね。ここの家は」
「ひどいことを言うなよ。ケンさん以外に魔物はいない」
「魔物だ、本当に。この上何んな祟りをするかも知れない」
「厄介な奴を敵に廻したものさ。母に取り入って治外法権って形になっているから、僕も手が出せない。やっても構わないけど、君の方へ響いてくる。仕方がないから、差当り調子を合せて置いてくれ給え」

作品の楽しみ

 「無軌道青春」は、昭和9年1月号から昭和10年3月号まで15回にわたって「冨士」に連載された長編小説です。邦は「冨士」にはこの「無軌道青春」の前に、代表作「地に爪跡を残すもの」を連載し、昭和8年11月号で好評をもって終結いたしました。「冨士」編集部は、「地に爪跡を残すもの」に続く力作を期待して、邦に連載を願ったものと思われます。

 東京帝大に入学した稲垣小三郎君-「私」-は、中学時代の先輩で兄と同級生だった光岡卓爾君を、同じクラスに見つけます。光岡君は大会社の社長の一人息子で、我侭で向こう見ずに育ち、喧嘩も好きという大変などら息子でした。中学、高校、大学と落第を繰り返し、25歳にして大学の1年です。この卓爾君、10歳の時井戸に落ちて強く頭を打ち、その後、時々とんでもない行動を取る「大賢の出来そこない」というのが父親の見方です。「私」は、小学校以来、品行方正学術優等の秀才であり、その「人格」が殊に高く買われて、卓爾君の父親の光岡氏のたっての頼みで、光岡君の学友として、光岡家に住みこむことになります。

 言うなれば「苦心の学友」の大学版です。光岡氏は「私」に言います。

 「制動手ですよ、あなたは。卓爾という車は無軌道です。時々突拍子もない速力を出して方角違いへ走りますから、その折、人格者のあなたが制動機をかけて下されれば宜しい」

 即ち、無軌道青春の主人公は、「光岡卓爾君」の筈なのですが、この品行方正学術優等の秀才の「私」が光岡家に住みこむようになると、主客が転倒します。それは、光岡君の妹、純子さんの存在です。この作品は、それまで「私」と言っていた稲垣君は、光岡家に住みこむようになってから「僕」と自分の呼称を変え、「光岡卓爾君」の無軌道青春物語が、「僕」の純子さん獲得作戦に変わるのです。

 稲垣君は、外面上は、光岡氏の信頼厚く、光岡君の制動手を勤める立場で、妹の純子さんは、兄思いの良き妹で、稲垣君と共同歩調をとって、兄の制動手となろうとします。しかし、この純子さん、聡明で美貌の持ち主ですが、お金持のお嬢様だけあって、勝気で、それなりに我侭なところもあります。また、そのようなお嬢様ですから、縁談も多く、独身青年からのアプローチも少なくありません。

 稲垣君の最大のライバルは、光岡家の遠い親戚にあたる才子「ケンさん」。純子さんに対して二人の「アプローチ競争」が激しく展開します。稲垣君は「品行方正」のレッテルが貼られているため、なかなか積極的に出られませんが、その間隙を突いて、策士ケンさんが小細工を弄します。光岡君は終始稲垣君のよきアドヴァイザーとして活躍します。そして、要所要所でケンさんの野望を粉砕し、最後は目出度く、稲垣君と純子さんが結ばれるのです。結局、稲垣君と光岡君との友情とコンビネーションが、お互いの青春を満喫するのに役立っている、と言うことなのでしょう。

 上のさわりは、純子さんの心が稲垣君に傾きだしたころの、稲垣君と光岡君との会話。地の文が全くないのですが、最初に話はじめたのが光岡君です。

 全体として見た場合、やや弛緩している部分もあるのですが、佐々木邦らしさがよく現れた快作といえると思います。

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