明暗街道

さわりの紹介

 内田萬太郎はペチャンコに潰れてしまった。極端から極端へ走る男だ。
「どうだい?」
 と言って、今まで得意の頂点に立っていたのが、忽ちにして失意のドン底に顛落した。尤も初めはひどく憤慨していた。若い一介の社員が旅先の社長から絵ハガキを頂戴したのだから、有難く思って仕舞って置くのが当り前だけれど、内田君は丸尾さんに読んで貰った後、破って紙屑篭に棄ててしまった。
「乱暴だね」
 と僕は側で見ていて窘めざるを得なかった。
「馬鹿にしていやがる」
「しかしお互は未だそれぐらいのところだろう。君は期待が大き過ぎるんだ」
「・・・・・・・・」
「旅先で思い出して貰った丈けでも光栄じゃないか?況して忙しい時間を割いて一筆認めてくれたんだ」
「僕は銀蔵って名前を特別印象づける努力をしている。造るの造でなくて、銀の蔵ですって言ったこともある。社長は湯河原で僕の案内状を朗読しているじゃないか?それでも頭に入っていないとなると、考えなければならない」
「胴忘れってことがあるよ。人を紹介しようとして、名前が口に出ないことさえあるぜ」
「君は僕を紹介するときわすれるかい?」
「お互は違う」
「見給え」
「社長にお互同様の期待をかけるのは無理だろう。僕なら大阪からハガキを頂いた丈けで満点だと思う」
「・・・・・・・・」
 内田君は答えなかったが、乗り出し気味になって屑篭の中を覗いていた。裂いた絵ハガキが聊か惜しかったのかも知れない。
「何百人という社員だよ。その中で今日社長から郵便を貰ったのは恐らく君ばかりかも知れない」
「萬太郎が気に入らない」
「それだからさ。此方と違うんだ。此方からは社長一人だけれど、社長からは社員何百人だから、萬太郎でも仕方あるまい」
「僕の村に萬太郎という馬鹿がいるんだ。人の家の前を掃き清めて一銭宛貰って歩く。やらないと一日待っている」
「ハッハハッハ」
「可笑しいのかい?」
「僕に憤っても仕方ないよ」
「断っておくが、僕は社長に取り入って出世をしようというんじゃない。社長の知己に感じて犬馬の労も辞すまいと思ったんだが、萬太郎じゃもう張合が抜けた」
「萬太郎は偶然さ」
「偶然にしても、お前は馬鹿だという教訓が徹底している」
「社長は相手構わずだ。一列一隊に萬太郎を使っていると、丸尾さんが言ったじゃないか?」
「一列一隊が気に入らないのさ。僕はもっと信用がある積りでいたんだから」
「困るな、君には」
 僕は尚お内田君を激励しなければならなかった。妙な局面展開だった。社長の信用を買い被り過ぎて有頂天になっているから、折を見て注意してやろうと思っていたら、その反対の必要が起った。

作品の楽しみ

 「明暗街道」は、昭和16年2月号から昭和17年1月号まで12回にわたって「ユーモアクラブ」に連載され、昭和17年4月、太白書房よりより出版された長編小説です。

 「ユーモアクラブ」は「ユーモア作家倶楽部」の実質的機関誌で、佐々木邦が主宰していました。昭和12年10月創刊されましたが、その後、彼のおもな活動の舞台はこの雑誌に移りました。発表された作品は、「人生の年輪」、「喧嘩三代記」、「ユーカリA」、「正会員生活」とこの「明暗街道」などがあります。ユーモア作家倶楽部のメンバーは、伊馬春部、乾信一郎、岡成志、北村小松、佐々木邦、サトウ・ハチロー、獅子文六、辰野九紫、徳川無声、中野実、中村正常、林二九太、弘木丘太、益田甫、南達彦などで、現代から見ると、獅子文六以外はほとんど忘れられた存在です。昭和10年代は、ユーモア小説にとって作品を発表し易い時期ではなかったため、このような団体を作って、親睦と共に作品発表の場を設けたということかも知れません。

 そういう中でも佐々木邦の作品は変わりませんでした。この「明暗街道」は、彼の「ユーモアクラブ」時代の代表作というべき作品ですが、太平洋戦争直前に発表されたにも拘らず、時代の影響を明確には受けてはいません。勿論、主人公の麻生君や内田君達が結成する会が「時局経済研究会」だったり、日本の古典を多く引用して復古的な雰囲気を出しているところなど、時代の変化を無視出来ない部分はあるのですが、全体としては、佐々木邦のこれまでのユーモア小説の路線を踏襲していると言ってよいと思います。時代の動きに敏感な大衆作家の中で、佐々木邦ほど自分の見識を守りきった人は少ないのではないでしょうか。「明暗街道」は、1952年(昭和27年)に再刊され、その際に加筆訂正が行われているのですが、その内容は物価の上昇に伴う金銭の表現のみだった、といいます。自分の節を曲げなかった邦は、戦後もまた旧作を改訂する必要がなかったのでした。

 昭和電機営業課の麻生君は身長5尺8寸の大男、同僚の内田君は、背は低いがファイト満々の論客で、論争では負けていない。彼等若手社員達の最大の屈託は、昇進が遅いことと、ときどきやられる社長の精神訓話です。彼らは、時局経済研究会という会を結成して、会社勤めの不平不満を発散する場としていました。そこで、上司や重役達の「百馬鹿番付」や「忠臣蔵見立」を作って鬱憤を晴らしていたのですが、その活動が社長の耳に入り、社長室に呼ばれます。

 論客内田君は、その時社長に文句を付け、それによって、二人は社長の知己を得ることになります。とはいえ、社長は社長、部下にはこわもてをもって接します。社長と緊密になった内田君は、社長に褒められると舞いあがり、叱られると失意のどん底に沈みます。この内田君と麻生君との自分達の思いの中の「明と暗」を描いているので「明暗街道」なのでしょう。社長のキャラクターを上手く作り上げて、その社長と部下とのやりとりを面白く描くのは、「ガラマサどん」や「使う人、使われる人」と同じ行き方ですが、小説としての行儀良さが「明暗街道」の特徴かも知れません。

 社長の知己を得た麻生君は、土屋重役の令嬢で、これまた大柄の常盤子さんとの縁談をもらい、内田君も結婚はないものの、若手社員随一の能力を見とめられてハピーエンドで終わります。執筆した時代の緊迫感は、所々に認められるのですが、本質はあくまでも佐々木邦の作品です。

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