心の歴史

さわりの紹介

 私は過去を顧みて、若しもということを考える。あの時、若しもああでなかったら、現在の自分はこうではなくて、全然違った境遇にいるだろうという想像だ。

 追放令にしても、私はちょっとのことで引っかかっている。社長といっても、問題になるような大会社の社長でない。若しあの時旅行して東京にいなかったら、あの会の委員にならなかったに定まっているから、無事だったのである。その折大病して面会謝絶中だった友人は私よりも有力な地位にいながら、お咎めを蒙らずに済んでいる。会へ出たとしても、若し私が・・・いや、今更そんなことを考えても始まらないと思うけれど、時々考えるのである。

 種々の若しもがある。その中、若しも私が生れて来なかったらという若しもが一番大きな若しもだろう。生れて来なければ存在がないのだから、煩悩も何もない。心の歴史を書く必要もない。そう悟ってしまえば一番早いのだが、凡人は何処までも凡人だ。

 私の父が私の母と結婚しなかったらという若しももある。これは二番の大きな若しもだ。他の夫人を貰っていたら、私は生れなかったかも知れない。生まれるにしても、現在と違った素質を持って時間的にも違った誕生をしていたに相違ない。

 しかしこういう若しもは空想の若しもだ。人為をもって如何ともし難い。足が地面についている若しもでなければ話にならない。これにも種々の若しもが考えられるが、若しも中学三年生の時に放校を命じられなかったらという若しもは、私の一生に根本的転機を与えているから、最も大きな若しもだと思われる。若し郷里の中学校を無事に卒業していたら、私は高等学校を志願して帝大の法科へ進んでいたに相違ない。五十年前の日本は絶対に官僚万能だった。民主主義の看板を掲げた昨今でも、官尊民卑の迷霧は未だに日本人大多数の潜在意識を曇らせている。まして官吏を官員様と呼んだ時代だったから、私は恐らく高等文官試験を通過して、官途についたろうと思う。廻り合せによっては、官僚として一廉の出世をして、A級の戦争犯罪人になっていたかも知れない。

 バイロンは、十五歳で恋愛に陥っている。私は十五歳で恋文を書いて女学生に送ったのである。西洋の十五は満だけれど、日本の十五は数え年だから、私は早熟の点に於て英国の詩人を凌ぐ。彼方では満十四歳を分別年齢と称して、十四歳からは法律上責任がある。私は十四歳と何ヵ月だったから、責任を問われたことに異存はないが、放校はひどい。十五歳の中学生が十五歳の女学生に結婚を申込んだところで物になるものではない。一寸の出来心だ。それも袂に窃っと入れたのではない。二銭切手を貼って、郵便という国家の公器を通じて正々堂々と発送したのである。此方は秀才、先方は才媛、必ず将来の約束が纏まると真面目に考えたので、青春の目覚めに起り勝ちの愚挙に外ならない。

 人生愚挙多し。これが私の第一回の愚挙だった。

 この際教育家としては心得違いを懇々と戒めて、再び軌道を踏み外さないように指導するのが本分だろう。然るに校長は何らの訓諭もなく、直ちに私を放校に処したのである。懸想の相手は県会議員の娘だった。親父が手紙を開封して、学校へ怒鳴り込んだから、校長は一もニもなかった。県会議員に睨まれると、県立中学校長は地位が危い。一方私の父は銀行の支配人だったが、公職に関係していなかったから、睨みが利かない。校長のところへ謝罪に行ったけれども、受けつけて貰えなかった。

 好い親不幸だった。母は泣いた。これが辛かった。父は結局校長よりも立派な教育者だった。
 「善三郎、おれは何も言わない。お母さんもお前を堪忍する。お前も根からの馬鹿じゃないんだから、おれ達の心持が分っている筈だ。今度のことは皆忘れてしまえ」
 「はあ」
 「お前は幸介に撲られたが、恨んじゃならない」
 「僕が悪いんですから仕方ありません」
 「おれはもうお前を学校へやるまいと思ったが、幸介と恒二郎が側を離れないで頼むから考え直した。世の中は広い。東京の学校へ行って、何もかも忘れて勉強しろ」
 「・・・・・・」
 「泣かなくてもよい」

 僕は泣き出したのだった。

作品紹介

 「心の歴史」は、1947年2月号から「日本ユーモア」に連載された長編小説で、1949年6月に単行本が講談社から出版されています。佐々木邦全集には完結の時期が載っていないのですが、ページ数と1947年当時の雑誌の状況から考えると1年以上連載されたのではないかと思われます。

 会社の社長を勤めながら代議士もやり、会社に勤める前は大学で英語を教えていたという丸尾善三郎という主人公が、第二次世界大戦後、追放令に該当して、郷里の山形県に引っ込み、悠々自適の生活を送るうちに、それまでの半生を回想し、その心の歴史を纏めるという形でかかれた作品です。

 主人公の「私」すでに60代ですが、一度も結婚したことがなく、かつては「独身社長」、「独身代議士」と呼ばれ、大衆雑誌の珍物大番付というのに載ったこともあります。これは主義としてそうしたのではなく、結局若い時の恋愛は全て実を結ばず、結果として独身を貫くことになってしまったのでした。「私」の恋愛経験は結果として私の人生のコースさえ変えてしまったけれども、そのことを「私」は後悔していません。社会的地位では一応の成功を収めたといっていいのでしょうから。しかし、恋愛という「愚挙」を繰り返しながら、それを契機に思いがけないコースを歩んできた「私」の人生を記して、自分の心の歴史をたどろうとします。

 「私」の人生は、恋愛によってルートを変えられた人生でした。「私」が独身生活を送ってきた理由を詮索する甥の清(私は今、彼の家に寄寓している)との対話を交えながら、回想されます。十五歳で女学生にラブレターを出したことで中学校を放校になることから始まり、その結果として東京の白金学院に入学、更に分家の娘・光子さんに失恋して発奮、アメリカに留学します。留学中にも向こうのブロンド美人に片思いをし、帰国後母校の教授になるも、同僚教師の奥さんとの仲を噂されたため、これを退いて実業界に転進、その後も付き合ったり、噂になった女性はあるけれども、結局理想の女性に出会えなかった経緯が描かれます。

 この作品のキーワードは、「人生愚挙多し」です。佐々木邦の処女作である「いたずら小僧日記」で彼は、単なるユーモアと言うよりもシニカルでアナーキーな笑いを見せました。流行作家になるにつれて、シニカルでアナーキーな側面は少なくとも表だっては出さなくなって行きましたが、終戦後の新しい時代になって書かれたこの作品では、それまで陰に隠れていた佐々木邦のシニカルな面が表に出ています。そのシニカルな側面があくまでも主人公「私」の行動によって描かれ、「愚挙」として認識されているため、嫌味にはなっていないのですが、そういった面をあらわにしたところがこの作品の魅力の一つです。

 佐々木は家庭的にはあまり恵まれなかった方で、近親者を沢山なくしており、その結果として、悲観的・諦念的運命観を持つようになったといわれます。こういった運命観は、しばしば色々な作品で断片的に語られるのですが、「心の歴史」は、運命に弄ばれることによって、立身出世は果したが、生涯の伴侶に恵まれなかった男を描くことによって、彼の運命観をストレートに示した作品となりました。佐々木邦生来の品の良さとシニカルさ、そして運命観が上手くミックスされたことにより、きわめて優れた一編になったと思います。

 尚、小説に登場する「白金学院」は、彼の学び舎であり、教鞭もとった明治学院がモデルであり、「私」の郷里が山形であることは、佐々木邦が第二次世界大戦末期、鶴岡に疎開したことと無縁ではないことを付記いたします。

出版について

  「心の歴史」は、佐々木邦全集(1975年、講談社)で刊行された後、長く絶版になっていましたが、2002年7月24日、みすず書房より再刊されました。大人の本棚シリーズの一冊として(シリーズ20冊中の第10冊目)です。外山滋比古編、四六判・330頁、2400円(ISBN4-622-04832-9 C1393。また、週刊朝日2002年9月13日号に、荒川洋治氏によって書評が掲載されました。
 みすず書房の「心の歴史」紹介サイト

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