奇人群像

さわりの紹介

「姉さん」
「はあ」
「姉さんのことですから、先刻の議論を無論お立ち聞きなすったでしょう?」
 と義次君が芳枝夫人に話しかけた。
「まあ。厭なことを仰有るのね」
「ハッハヽヽ」
「私、立聞きなんか致しませんよ」
「それじゃ繰り返してお話申し上げなければなりません。実はお隣の家作が売物に出ているんです」
「そのお話なら承っても仕方ありませんわ。兄さんがあの通り頑強にお断りになったんですから」
 と芳枝夫人は立聞きを告白したようなものだった。
「姉さんは如何ですか?好い買物ですよ」
「私、何うしようもありません」
「一万円で全部手放します。七千円の抵当に入っているんですから」
「百瀬さんはそんなにお困りになっていらっしゃいますの?」
「手も足も出ないらしいんです。証券会社に勤めている関係がら、つい山気を起したんです」
「株?」
「はあ」
「御同類ね、あなたの」
「ハッハヽヽ」
「好い見せしめと思って、お気をつけ下さい」
「一言もございません。姉さんにも兄さんにも年来お世話になり続けです。しかし御恩は忘れませんよ。真佐子と申合せて、目黒の方には足を向けて寝ないことにしています」
「まあ。そんな意味で申し上げたんじゃありませんわ。オホホヽ」
 と芳枝夫人は取り繕ったが、義次君から直接お礼を言われて、多大の満足を感じた。金は惜しくないけれど態度が気に入らないという主張だった。
「今日は、恩返しに上がったんです。姉さんのお金でお隣りの家作をお買いになっちゃ如何ですか?」
「私、お金なんかありませんわ」
「臍繰りってものがおありの筈です」
「義次さん」
「はあ」
「変なことを仰有っちゃ困りますよ。人聞きが悪いじゃありませんか?」
「僕、決してお喋りは致しません」
「まあ」
「表向きはございますまいが、苟くも少将閣下の令夫人です。長年のことですし、ご迷惑をかけたのは僕丈けで、子供がないんですから、一万五千円ぐらいの通帳は内証で帯の間に挿んでいらっしゃるでしょう」
「呆れた人ね、義次さんは」
「ハッハヽヽ」

作品紹介

奇人群像は、昭和10年4月号〜11年4月号にかけて「富士」に連載された小説。

主人公は、退役陸軍少将長谷川閣下です。ちなみに閣下は、将官に対する敬称。退役とは文字通りなのですが、軍人の位は現役でなくとも、称号として用いられた、ということをまず申し上げておきます。

少将に栄進すると同時に待命(要するに退役)になった長谷川閣下は、東京目黒にある親譲りの家に戻り、夫人と二人で暮らすことになりますが、元来不器用で趣味を持たない人だけに、暇を持て余しています。東京に着くとすぐ、長谷川閣下は先輩の退役中将、宮内閣下を訪ねますが、今後の心得として、事業に投資したり、名前を貸したりすると、失敗が多いから、一切そういう利殖に手を出さないことと戒められます。根が正直な長谷川閣下は、それを守り、軍隊時代の知人・友人を訪ね歩いて暇を潰していましたが、ある日、往来で気づいたことを注意して、社会を善導しようとします。当然ながら廻りからは煙たがられますが、たまに分かってくれる人がいると、大いに機嫌がよくなります。

この長谷川閣下には弟と妹が一人ずつおります。弟は会社勤めをしている義次。妹は秀子で、秀子は才能はあるけれども酒乱で世渡りの下手な画家芳山に嫁いでいます。弟の義次は、元々長谷川閣下の家に住んでいましたが、この家を明渡し、他にすむようになりますが、元来この弟、長谷川閣下に何かと無心することが多く、謹厳実直な兄の悩みの種でした。

隣の家の家作を買わないかと義次が話を持ちこんだとき、閣下は利殖に手を出さないという戒めを守って、一応は断りますが、新しい家の家賃を払うのに苦労している弟と、もっと経済的に苦しい妹を助ける為に、四軒の家作を持ちます。けれども閣下は家作で収入を得ることが目的ではなく、店子たちを訓導して、自分の理想にかなう模範家庭を作り、他の手本としようとします。その条件にあった店子は中々現れないのですが、結局、円タクの運転手土井と牧師の吉岡が入居します。

長谷川閣下は、店子の善導の為に月一度の店子会を開きますが、芳山の意固地な性格は、牧師吉岡と紛糾します。吉岡は、閣下の意図を知って、閣下を困らせる為に友人が送りこんだ人物で、気骨が有り、理論も実行も閣下を上回ります。芳山は吉岡に暴力をふるい、それに堪えかねた土井が芳山を殴りつけるといった具合で、善導どころか紛糾します。しかし、芳山は自省して禁酒し、吉岡との間に理解が生れ、店子会の全員が酒を止めることになって、大家の長谷川閣下も禁酒せざるを得なくなります。そうすると、芳山の仕事も認められ、元殿様の伯爵に絵を教えるようになり、不仲だった兄弟子とも和解して、「第一期改造計画」が完成するのです。

タイトル通り、登場人物の多くは個性豊かな奇人たちです。周囲と摩擦しながらも次第に友情を得る姿を描いています。佐々木邦の作品に軍人を主人公にしたものは、非常に珍しいのですが、世俗に疎い将軍を奇人の代表とした所に本篇の特色が出ていると思います。

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