人生初年兵

さわりの紹介

 玉井君は入社当時に同僚から驚かされたのである。同僚も元来その積りではなかったが、日野君と反対に、悪い所へ悪い刺激が加わったものだから、編輯長を無暗に恐れるようになった。最初玉井君は日野君に、
「君、編輯長は荒っぽい人だね。今社会部の人が怒鳴りつけられていたよ」
 と見て来たままを報告した。
「荒っぽいことはこの間の訓示でも分っている」
 と日野君は入社当日を思い出した。他の社のものに決して負けるなと言って、宛然喧嘩腰だった。二人が話している所へ同僚の一人が、
「この編輯長は評判の癇癪持ちですよ。用心しなければいけません」
 と親切ずくで教えてくれた。
「ははあ」
「怒鳴るばかりじゃありません。腕力を出しますよ」
 ともう一人が言った。
「他の社のものに負けるといけないんでしょう?」
 と日野君が訊いた。
「要するにそこですな」
「それは入社の時に言い聞かされました」
「例えば朝刊の或記事が他社のものと較べて見劣りがすると思うと、大将、早く出勤しますよ。家に凝っとしていられないんですな。社に来て責任者を待っています」
「ははあ」
「頭から怒鳴りつけます。然ういう時、態度が悪いと、カッとなって、腕力に訴えるんです」
「これは溜まらない」
「古い人は皆編輯長から鉄拳を見舞われています」
「首にはしませんか?」
 と玉井君は如何にも心配そうだった。
「首にするくらいのものには初めから口をききません」
「ははあ」
「普段睨んでいて、脈がないと思えば、突如スッパリとやってしまいます」
「僕は危ないかも知れませんよ」
「何故ですか?」
「未だ編輯長とシミジミ口をきいたことがありません。行き会った時、お辞儀をすると、睨んでいるようです」
「あれは元来ああいう怖い顔です。生れつき睨みが利いているんです」
「成程」
「ハッハ、ハッハ」
 と同僚は無論冗談半分だった。
「あれは鉄拐ですよ」
 と先の一人が編輯長の綽名を紹介した。
「テッカリ?」
「いや、鉄拐仙人です。昔の掛物によくあるでしょう?蝦蟇を担いでいる」
「あれは蝦蟇仙人だよ。君」
 ともう一人が遮った。
「鉄拐と違うのかい?」
「違うさ。鉄拐は鉄拐を持っているから鉄拐さ」
「兎に角、怖いものだ」
「それは怖いさ」
 と二人ともこの点は一致していた。

作品の楽しみ

 「人生初年兵」は、昭和7年10月から昭和8年12月まで15回にわたって「講談倶楽部」に連載され、昭和10年7月、講談社より出版された長編小説です。当時、人気作品だったようで、昭和10年12月にはPCLで映画化されました。

 昭和7−8年といえば、満州事変後の軍国的な世相の時代で、時代におもねる作品を書かなかった佐々木邦といえども、時代の影響は避けられなかったようです。タイトルの「人生初年兵」に時代を感じさせられます。しかし、内容はそういったシリアスな部分はなく、佐々木邦本来の上品なユーモア小説であるとおもいます。

 「大学は出たけれど」の就職難の時代、KO大学を卒業した日野君は、多数のライバルに打ち勝って、ある新聞社に入社します。同期の玉井君は帝大出身。二人で学芸部に配属になります。編輯長の綽名は鉄拐居士。記事がライバル新聞社に負けることを一番嫌う、強面のバンカラ編輯長ですが、一方で温情家のところもあります。二人は、この編輯長などの先輩記者に鍛えられますが、入社半年後、新設の婦人家庭部に異動します。婦人家庭部は、木原部長と「布哇の小母さん」を思わせるオールドミス五味さんと、牧さんに新人二人の五人体制で発足しますが、業容拡大の為、女性記者を採用することとなり、二人は選考委員を務めます。

 110人の応募者から採用した五人の記者は明るくて聡明であり、日野君は伊丹さん、玉井君は小宮さんに惹かれます。日野君は、読者獲得の手段として、デパートの女子店員の人気投票を行い、その上位50人を関西旅行に招待するという企画を提案して採用されます。この旅行の付き添いには、日野、玉井両君と、若い婦人記者が当たることになります。これを気に、日野君、玉井君は意中の人にプロポーズしようと考えますが、伊丹さんには大阪に婚約者がおり、小宮さんも玉井君のプロポーズを断ります。

 二人は、「本当の人生はこれからだ」とお互い励ましあって、「人生初年兵」の自覚を再認識するのでした。

 佐々木邦は、若いサラリーマンの生活を描き、モダンな雰囲気を表すのが得意な人でしたが、新聞記者の生活、それも政治部や社会部ではなく、婦人家庭部の記者の生活を描いたのは、一寸目新しい感じがします。「人生初年兵」の前年には、博文館発行の「朝日」に「大番頭・小番頭」を連載し、好評を得ました。これは、大学新卒の青年が下駄問屋に就職して苦労するお話ですが、それに対抗したかった講談社は、モダンな職業についた新卒の青年の様子を描写してもらおうとした、ということかも知れません。

 佐々木邦は昭和初期の雑誌文化の申し子であり、新聞連載はほとんどしませんでした。しかし、「人生初年兵」と同時期に、報知新聞に「青春夢」(昭和7年9月13日〜昭和8年2月4日)を珍しく連載しました。このとき付合った学芸記者から、新聞社の内情やら様子やらを取材し、それが本編の構築に役だったと思われます。

 しかし、本篇は、構成のきちっとした作品ではなく、むしろエピソードの羅列的な所もある作品です。連載の初期は、日野君はまだ学生であり、新聞記者になろうとする気概もありませんでした。邦は、連載開始当初、主人公の日野君をどのように扱うか決めかねていたようにも思われます。最初、重要な脇役として登場した高木君、諸岡君が途中から登場しなくなるのは、邦の構想の軌道修正の結果のようにも思うのです。

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