夫婦者と独身者

さわりの紹介

 芸事に本職と素人とがある通り、一口に独身者と呼ばれる階級の中にも自らニ種類あるように思われる。第一種は何らかの事情で一生独身でいることに自らも定め、世間からも然う認められている専門家である。第ニ種はもっと広義の独身者で、何れは妻帯するのだが矢張り何かの都合で延ばしている臨時雇いである。夫婦ものから成る世間は前者を遇すること甚だ薄く、洟もひっかけない。独りものといえば川柳題以外には全く使い道のない手合と心得ている。然るに後者に対しては恩寵頗る厚い。一日も早く改心して自分等のような真人間になるようにと、種々のものに変装させて教誨師を差し向ける。因みに、私は後者の口、即ち第ニ種独身者である。
 未だ漸く三十、それも数え年だもの、感ずるところがあって一生独身でいる決心だと吹聴して歩いたところで、誰も本気にして第一種とは認めてくれまい。況して言論に於ても行動に於ても曽つて結婚の意思を否定したことがないから、勧誘は到るところで受ける。少なくとも結婚の話が間の楔に出る。
 「木村さんも最早ソロソロお貰いでございましょうね?」
 と言われれば、犬っころでも猫子でもなく、嫁のことだ。それを、
 「はい、何れその中でしょうよ」
 と実は始終問題にしていながらも、然も他ごとのように軽く受け流すところに何ともいえぬ得意がある。既婚者は如何に幸福でも第一種独身者同様高々現在のままに運命がもう固まっている。然るに第ニ種独身者ばかりが好かれ悪しかれ未知数である。家へ帰ったら独りで淋しかろうと憐れむのは先方の勝手、此方には此方で、あんなに子供にギャアギャア泣かれたら学問も何も最早行き止まりだろうと憐れみ返す余裕がある。世界は広い。耳隠しの王国は益々濃艶な発展を遂げる。私は未だ三十だ。決して急ぐには当らない。
 出先で縁談と鉢合わせするばかりでなく、家に引っ込んでいても、上田君のように夫婦連れで押しかけて来て、実地に訴える方が手っ取り早いと思うのか、お睦まじいところを見せつけた揚句の果て、兎に角話に乗るという言質を取って行くほど念入りなのさえある。もっと手柔らかなのに至っては月に一度は必ずある。存知も寄らぬ御光栄だと思いながら座敷へ通して、
 「じつは余の儀でもありませんが・・・・、」
 と丈け承われば最早縁談の儀と悉皆分っている。そうしてこれが必ずしも煩くない。寧ろ御好意、千万かたじけない。夫婦者や第一種独身者はこういう退屈凌ぎがなくて物足りなかろう。第ニ種独身者は有難い。親戚知友の心配を自己一身に集めて壟断することが叶う。
 「ナカナカ御辛抱の宜しいことで、ハッハ、ハッハ。けれども矢張り兎角御不自由でございましょう?」
 と珍客は用件を大略述べた後、屹度大いに同情してくれる。しかし此方は現在の生活以外には何等の経験もないから、自由にも不自由にも物差の持ち合わせがない。
 そこで、
 「否、一向。却って呑気で宜うございますよ」
 と有体に申立てる。それから、
 「三輪田女学校を一昨々年卒業致しましてな。器量は先ず十人並みですが、成績は一年から優等で通しましたそうで・・・・」
 と先方は詳論に入る。仲人口で先ず十人並みと言うようでは相応悪いのだ。尤も優等生なら器量が好くないに定っている。常磐御前や袈裟御前の昔は兎に角、この頃の新聞雑誌で拝見する賢夫人に美人はない。
 「器量なぞは唯真の当座丈けのことですからな。それよりも矢張り頭脳の好い方が結構ですよ」
 と私も何うせこれは駄目だと思っているから、老成人めいたことを言って見せる。
 「一番の姉が大蔵省の技師に嫁いでいますし、次が外務省の二等書記官、外交官の内助で、直ぐ上の兄が去年帝大を出て文官試験の準備中でございます」
 と仲人志願者は親父が一平民の砂糖問屋だというのを引け目に思うのか、受験生まで数に入れて官辺の関係を言い立てる。こう浅ましいと此方も早く決心がついて宜い。

薀蓄

 『夫婦者と独身者』は、大正13年(1924年)1月号から12月号まで「主婦之友」に連載された作品です。佐々木邦は昭和期になると発表の舞台を主に講談社の雑誌に求めますが、大正期の発表の舞台は「主婦之友」でした。「主婦之友」は大正6年に創刊されましたが、読者ターゲットが中流以下をを含む一般家庭の主婦であり、時流に即した実用記事と、良妻賢母主義を基調とした内容で、大衆的主婦層に大きな支持を集めました。早くから主婦の娯楽と修養をかねた長編連載小説に力をいれ、その編集方針の中から佐々木邦の起用があったものと思われます。

 しかし、『夫婦者と独身者』は昭和期の明るいユーモアが前面に出た作品よりはシニカルな笑いが多く、登場人物の雰囲気は夏目漱石の「吾輩は猫である」に良く似ています。主人公は、独身者の木村君。彼が「私」という一人称で、その周囲の夫婦者-上田君、泉君、西尾君、竹内君、牛島君など-の生活を観察し、独身者である自分の生活と比較して、夫婦とはどんなものか、について考えてみる、というのが全体の趣旨です。その結果、木村君は、結婚に対して割りと冷ややかな目で見ていくのですが、結局上田君の夫人の錦子さんの妹、愛子さんを見つけて遂に独身に終止符を打つ決心をするまでを描いています。

 とはいうものの、全体を貫く柱の筋は細く、個々のエピソードの集積で作品が成立しています。ですから、登場人物の横顔はディーテイルまで良く描かれています。まず、「私」の木村君は学校教師(プロフェッサー)で、妹の貞子さんと女中との三人暮らし。上田君は新聞記者で、夫人の錦子さんにぞっこんです。口ぐせが「妻(さい)がね、妻がね」。泉君もまた新聞記者であるが、家の行動基準は、万事1歳2箇月の蝶子さんにあり、夫婦年寄一家眷属犬猫の末まで引きずられています。西尾君は美学を選考したが、立志伝中の人でかつ資産家の両親をもち、働いていません。夫人はお姑さんとの折合いが悪く、子供を置いて家出をしたりしています。竹内君、牛島君は実業界の人だが、竹内君は朝鮮の出張から帰ったばかりで、牛島君はアメリカから十何年ぶりかで帰国した洋行帰りです。

 このようなメンバーが夜な夜なそれぞれの家に集まり、碁を打ち、あるいは謡曲を歌います。そして、その合間に会話をします。会話の内容は、日常生活とかけ離れた議論であったり、駄洒落、あるいは駄弁の応酬です。余り意味のある会話ではないのですが、大正時代のエリートの無駄話という点で教養主義的で面白いです。この辺の会話が「猫」における高等遊民達の会話を彷彿とさせます。ただ明治中期の「猫」と大正後期の本篇とでは流れる雰囲気が違います。「大正デモクラシー」といわれる民主的な雰囲気を反映しています。明治期にも夫人にぞっこんの夫はいたでしょうし、子供が家庭の中心であった家もあったかも知れません。しかし、その存在は例外で、小説に描かれることはなかったように思います。それが、良妻賢母主義を標榜し、保守的な雑誌だった「主婦之友」の連載小説に、そのような風俗が描かれたことに、大正自由主義の成熟を感じます。

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