愚弟賢兄

さわりの紹介

 私は物事が期待と反対に行くのを常とする。善悪ともに然うだから、これは苦情で言うのではない。例えば、学校の成績にしても、悪いと思い込んでいると案外好い。好い積りでいると却って悪い。時稀例外があって、悪いと覚悟していた以上に遺憾なく悪かったりするが、大体に於いて反対が原則になっている。その結果、私は成るべく楽観しないように努める傾向がある。試験の点数なぞは極めて内輪に見積もる。あれが幾らこれが幾らと自分で合計して見て、落第点を下の方へ突破することがある。
「おいおい、そんなに悲観するなよ。皆似たり寄ったりだ」
 と友達が励ましてくれる。
「僕はとても悪いんだよ。今度こそは危い」
 と私は真剣で悲観している。
「貢ニや、お前又顔色が悪いようだね」
 と母親も試験後は案じてくれる。
「今度はしくじりました」
「試験は時の運だからクヨクヨ思っても仕方ないわ。気晴らしに郊外散歩でもしておいで」
「貢ニ、汽車道を歩くなよ」
 と兄貴はこういう時碌なことは言わない。
 私に較べると、友達は皆度胸が好い。決して悲観しない。殊に益富宮下の両君と来たら羨ましいくらいだ。何の試験でも、
「おれは皆書いた」
「おれも書いた」
 と甚だ景気が好い。書いた丈け出来た積りでいるから心配がない。然るに私は出来る丈けしか書かないから、皆合っていたところで知れたものだ。思い出すのは高等学校の卒業試験である。独逸語の受持が難物の大将だったから、私は例によって悲観していた。
「君はそんなに悪かったのかい?」
 と益富君が訊いた。
「とてもお話にならない」
「困ったな。僕が一つ運動に行ってやろう」
「駄目だよ」
「君は書かなかったのか?」
 と宮下君も心配してくれた。
「うむ。半分しか書けなかった」
「仕方のない奴だな。来いよ。益富君に運動して貰えよ」
「来いよ。おれが先生を説いてやる」
「駄目だよ、玄関払いを食うばかりだ」
「大丈夫だ。おれは堀さんとは同郷だから始終出入りしている。こう見えてもナカナカ信用があるんだ」
 と益富君は私に元気をつけてくれた。私はその晩二人に引っ張られて堀教授の家に推参した。教授は試験直後は一切面会しないという評判だったから、どうせ玄関払いだろうと思っていたが、益富君は図々しく上がり込んで行って、
「会ってくださるそうだ。しかしご機嫌は日本一に悪いぞ」
 と兎に角都合をつけて来た。運動は頭数が多いほど利く。益富君が正面から説いて宮下君が側から言葉を添える。私は悄然たる態度でその場に控えていればよいということだった。恐る恐る客間に通ると難物は、
「何の用で押しかけてきたね?」
 と果たしてむずかしい顔をしていた。私は予定通り端近に坐って頭を下げた。
「先生、多田の問題です。先生のを悉皆失策って悲観していますが、如何かなりませんかな?」
 と益富君は早速切り出した。
「そういう話は困るね」
「しかしこの通り悄げていて可哀そうです。私達は友人として見るに忍びません」
「先生、多田はこれでナカナカ勉強家です。試験運が悪いんです」
 と宮下君も私の為に執成した。
「然う無暗に落第させやしないよ、心配しなくてもよかろう」
「それじゃ大丈夫ですか?」
「いいや、保証は出来ない」
「兎に角、先生のお見込みは如何ですか?」
 と益富君は責任を負わせようと努めた。
「それは会議で定ることだから、俺には分らないよ」
 と先生は取り合ってくれなかった。しかしこれで引き下がってしまっては何にもならない。私達は申し合せた通り黙って坐っていた。根気競べだ。先生は時間が惜しいから何とかしてくれる。間もなく、
「そんなに心配かね。それじゃ点数を見てやろう」
 と言って閻魔帳を出して来た。
「多田貢ニと。多田は大して悪いことはないよ」
「然うですか?それは有難うございました。大丈夫ですか?」
「それは言えない。兎に角、多田君より悪いのが大勢いる。絶対にいけないのが三人、極く危ないのが二人。普通に悪いのが五人、いや六人かな」
「誰と誰ですか?絶対にいけないのは」
「益富君、他のことよりも君は何だね?出来た積りかい?」
「皆書きました」
「しかし極く危ないところだぜ」
「先生、本当ですか?」
 と益富君は慌て出した。
「他の学科が好ければよいが、独逸語丈けなら当然落ちる」
「・・・・・・・・」
「先生、僕はどうですか?」
 と宮下君も不安を感じた。
「益富君と同じことさ。極く危い。まあ、問題にはなるだろうね」

薀蓄

 本作品は、昭和3年1月から12月まで「講談倶楽部」に連載された、佐々木邦の代表作と目される小説である。
 大正末期から次第に形成されたいわゆる中流階級に属する都市住民は、郊外に発展した田園都市や赤い屋根の文化住宅に象徴される。当時の活字文化の担い手は、このような中間層であり、大正教養主義を引き継いでいた。このようなモダンな意識を持った読者に対し、佐々木は、一寸ハイソな雰囲気の小説を書くことで、応えていった。

 本篇は、秀才の兄に比べて多少出来の悪い弟の立場から描いた、昭和初期の家庭小説である。
 主人公の多田貢ニは兄の貢一と二つ違いで、子供の時から兄は、父母や周囲の人々が悉く褒めたが、それに比較して弟をけなすので、貢ニは兄に劣等感を持っている。それでも病気で中学校を一年遅れたのと、高等学校の入試に一度失敗したことを除けば、落第することもなく、中の下の成績で押し通し、帝大まで進んだのだから、世間一般から見れば十分エリートである。兄弟仲も悪くはないが、父の死後、戸主となり、すでに結婚している兄には頭が上がらない。
 帝大の卒業を控え、就職を考慮中の状況から話は始まる。

 成績に自信の無い貢ニは、就職担当の教授の所に申込みに行くのに気後れし、一流会社がほとんど決まってから出かける。すると、成績は良い方だと励まされ、昭和○○の入社試験を受けたがはねられる。どうも貢ニは物事が期待と反対に行くのを常とする。しかし、昭和○○にはねられたおかげで、一流銀行の○○銀行の欠員募集に推薦してもらい、無事入社する。

 就職活動と同時併行に進むのが恋愛問題。貢ニには、既に嫁に行った三人の姉があるが、これらの姉と嫂の間は、どうも関係が好くない。最初貢ニは、三番目の姉が嫁いだ成金の妹・君子に惹かれているが、姉と嫂の間にはさまれて煩悶している内に、君子と男爵家との婚約が成立してしまう。貢ニは悲観するが、嫂が自分の実家の親戚の娘春子を紹介してくれ、この春子との話がまとまることになる。

 貢ニは楽観すると悲観し、悲観すると意外にうまく行くという繰り返しで生きていく。この「楽観すると悲観し、悲観すると意外にうまく行く」というのが本篇全体を貫くモチーフであるが、特別深刻になることはない。登場する家庭は、戸主の意向が絶対であった戦前の家庭ではあるが、戸主の兄も嫂も、わがままではあるものの良識的であり、貢ニに対する愛情を欠かさない。その意味で、当時としては、一寸進歩的であり、一寸モダンな小説としてうまく成立したものと思われる。

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