源氏鶏太の見た佐々木邦
以下の文章は、源氏鶏太が講談社版「佐々木邦全集」第7巻(1975年4月出版)の月報に寄稿した文章の全文である。源氏鶏太は、佐々木邦につづく日本のユーモア小説の代表者と目されているが、実際二人の作風はかなり異なる。その意識をよく示した随筆であると思う。
佐々木邦氏の小説
源氏鶏太
私が、佐々木邦さんにお会いしたのは一度だけで、昭和二十七、八年頃でなかったかと思う。当時、佐々木さんは、すでに七十歳になっていられた。私は、四十歳を過ぎたばかりで、しかも文壇的にはまだほんの駈け出しに過ぎなかった。おなじくユーモア小説を書いている私にとって、佐々木さんは、仰ぎ見るような存在であった。お会いすることが怖いような気がしていた。どこかの雑誌社の対談であったかも知れない。しかし、私は、その席でどういうお話をしたか、全くおぼえていない。ただ、終始、優しい笑顔で私を見て下さったようにおぼえている。が、つまらぬことをひとつはっきりおぼえている。対談の場所は銀座辺であったのだが、終ってからパチンコのことを佐々木さんから訊かれて、その頃の私は、パチンコに凝っていたが、佐々木さんにはそのご経験がないとわかって、
「いかがですか、これからごいっしょに。」
と、誘ってみた。
佐々木さんは、ちょっとためらっていられたようであったが、
「いや、よしておきましょう。」
と、いうことで、そのままお帰りになった。
以上の程度だが私は、やっぱり佐々木さんにお会いしておいてよかったと思っている。そのことは佐々木さんの文学を理解するに私なりに役だっていると思うからである。
昭和五十年間に、日本でユーモア小説を大成させた作家は、佐々木邦さんと獅子文六さんのお二人だけであろう。殊に佐々木さんの小説が世間に熱狂的に迎えられるまで、日本にはユーモア小説という名称すらなかったそうである。滑稽小説といっていたそうだ。そのことが岡田貞三郎著「大衆文学夜話」(昭和46年2月、青蛙房刊)に書いてあると和田芳恵氏が別のところで書いていられる。ということは、佐々木邦さんは、従来の滑稽小説乃至諧謔小説をユーモア小説にまで高めた作家ということになる。そして、後に続く私たちは、そのお蔭をこうむっていることになる。
佐々木さんの小説の特色のいくつかを書くと、あくまで読みやすいこと、文章が軽妙であること、対話のうまさが抜群であること、更にはいつも日向に眼が向いていて影の部分がすくなかったことであろう。しかし、このことはいかに大変なことであるかは、現在、佐々木さんの小説の亜流すらも世に出ていないことで明白である。こんな小説なら自分にも書けると思って、その真似をして書いた場合、恐らく読むに堪えないような軽薄な小説になるに違いない。勿論、そこには佐々木さんほどの教養の深さがないからという原因もあるだろうが、何んといっても佐々木さんの物の見る眼の温かさが生得のことであって、偽物ではダメだということである。
私は、こんど佐々木さんの小説のいくつかを読み直して、その面白さにあらためて驚嘆した。しかも、文章も、内容も、すこしも古く感じられなかった。佐々木さんがいかに偉大な作家であったかが今にして本当にわかったような気がした。
佐々木さんの小説に影の部分のすくないことについてとやかくいうことは易しい。しかし、佐々木さんは、そのことを百も承知の上で、敢て日向にばかり眼を向けていられたに違いない。そして、そのことが却って佐々木さんの小説の特色になった。平凡な作家で無かったという証明になった。
私は、今にして思うのだが、自分がユーモア小説を書くについて、佐々木さんの小説をお手本にしなかったことの仕合わせである。もし、そんなことをしていたら手も足も出なくなっていたであろう。繰り返すようだが、佐々木さんの小説は、絶対に模倣を許さぬ小説である。
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