ガラマサどん

さわりの紹介

「我輩も考えてみれば、もう取る年で、先が短い。今の中に自叙伝を書いて貰いたいと思って、この間から然るべき文章家を探していた。しかし会社外のものに頼むのも具合が悪いから、先頃中島君が義太夫を聴きに来たとき、相談してみたら、君がナカナカ達者だということだった」
「ははあ」
「それから君の書いたものを二三種読んでみたが、皆面白い。何うだね?探偵小説がいけるくらいなら、自叙伝もいけるだろう?」
「さあ」
「似たり寄ったりのものだ」
 と社長は至って大ざっぱに考えている。
「はあ」
「何うだね?君、一つ引受けてくれるか?」
「はあ、私の力で出きることなら、犬馬の労を辞しません」
 と私は、首が飛ぶのかと思って心配していた矢先だから、殊更意気に感じて、直ぐにお受けをした。
「それは有難い」
「波瀾重畳のご生涯と承って居りますから、余程浩瀚なものになりましょうな?」
「上中下の三冊に纏めて貰いたい」
「ははあ」
「明治大正昭和に亙って、こんな桁外れの男が真の少しばかり国家に尽したということを聊か後世へ伝えたいと思ってな」
「はあ」
「二三年かかって、ゆっくりやって貰いたい。粗製濫造じゃ困る」
「心得ました」
「偉人伝というと語弊があるが、大体その意気込で宜しい」
「はあ」
「罷り間違えば、現代の青年を多少裨益しないとも限らない」
「いや、社長の御一生は後進の模範でございます」
「そんなこともなかろうが、読み方によっては、千載の後、懦夫を蹶起せしめるかもしれない」
「はあ」
「君の筆なら必ず相応のものが出来るよ」
「さあ。自信はありませんが、題材が題材でございますから、或は書き好いかもと存じます」
「早速心掛けてくれ給え」
「はあ」
「種々と註文があるから、斯うっと、今晩、何うだね?宅に来てくれまいか?」
「伺います。何時ごろがお手空きでございましょうか?」
「さあ。七時過、いや八時頃、御足労を願おうか?」
「承知致しました」
「それでは」
「失礼申し上げました」
「御苦労でした」
 と社長は頷いたが、
「熊野君、一寸」
「はあ」
「君に雅号がないのは我輩の自叙伝を書く上で何うにも面白くない。熊野権次郎著では如何にも社員に頼んだようで、具合が悪い」
「自叙伝と仰有るからには、無論社長御自身の御著述でございます」
「いや、人に書かせたものを自分の名前で発表する次第には行かない」
「しかし自叙伝でございます」
「それにしてもさ」
「ハッハハ」
 と松本さんが矛盾を認めて笑った。

薀蓄

 「ガラマサどん」は、昭和5年1月号〜12月号のキングに連載された小説。「愚弟賢兄」、「地に爪跡を残すもの」と並ぶ佐々木邦の代表作である。

 「ガラマサどん」とは、作品の主人公であるビール会社の社長の綽名。ガラマサどんとは元々熊本でのカニの俗称。社長の姿がカニに似ていることからついた。この「ガラマサどん」のタイトルは、邦が汽車の中で熊本の学生から聞かされた「ガラマサどんの横這い這い」という俗謡から来ているのだが、実はこれは邦の聴き間違いだったらしい。カニをガネとなまる地方がある。熊本もそうらしく、ガネマサどんの横這い這いが本当だった。しかし、「ガラマサどん」となったことで、この社長の柄は悪いが情けに厚い様子が示され、小説がうまく動いたのである。

 「ガラマサどん」は、弁護士の書生から身を起して、ビール会社の社長他いくつかの会社の重役を兼ねるに至った立志伝中の人である。ワガママで強引、稚気溢れる野人であるが、部下への思いやりに溢れ、部下からは怖がられながらも慕われている。

 語り部の「私」こと熊野君は、大学を卒業してから会社を幾つも転々としてきた人。ようやくこのビール会社に拾われる。この熊野君は、趣味で小説を書き、雑誌に発表していたことから、社長の「自叙伝」を書くように命じられ、秘書に取りたてられる。この熊野君の目を通して、「ガラマサどん」のエピソードを紹介して行く。

 義太夫を習い、無理やり聞かせてしまう所、これなぞは、落語の「寝床」と一緒だが、「寝床」の旦那は、自分が下手であることに気がつかないが、ガラマサどんはいやがられていることを承知の上で聴かせてしまう。この辺りは、ワンマン社長の面目躍如である。熊野君と同僚の秘書・松本君とは社長にすぐ叱られる。ある時、地震が起きて、松本君が「大変だ」と言って叱られた。そして、「我輩は度胸が据わっているから物に動じない。驚かしてみろ」と言われる。熊野君と松本君は一計を案じます。エレベーターボーイをそそのかして、エレベーターを階と階との間に止めさせます。その結果、ガラマサどんは、「大変だ」と鮮やかに言います。しかしその後の逆襲がまた楽しめます。この二人の秘書をいじめるため、エレベーターボーイを首にした、といい、二人が重役や庶務課長と共に謝りに来ると、義太夫をたっぷり聞かせます。

 ストーリーというよりはエピソードの羅列で作品を纏めています。そのエピソードの中から、ワガママだけれども部下への温情に厚いガラマサどんの個性が明らかにされます。

 映画化は2回。まず1931年振興キネマで。木村恵吾監督、山内英三脚色、主演のガラマサどんは、国城大輔でした。第二回目は「ロッパのガラマサどん」というタイトル。東宝東京の作品で、岡田敬監督、山本嘉次郎とと阪田英一の脚本。主演は古川緑波でした。舞台も新派の小堀誠、そして古川緑波が演じており、ことに古川緑波のガラマサどんは、彼の当たり役の一つでした。

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