文化村の喜劇

さわりの紹介

 山岸君に限らず、文化村の人は不便を余り口にしたがらない。寧ろ困苦欠乏に堪える豪健の精神に富んでいる。多少都合の悪いことがあっても、それは地代に免じる。元来市内より便利の積りで来たのでない。しかし市内同様便利になりたいという希望はある。ついては不便だ不便だと触れ廻っていては椋鳥を誘き寄せるのに差支える。家さえ建て込めば市内と同じことになるのだから、一軒でも殖えることを喜ぶ。田圃が町になって、坪三十円の地価が百円を呼べば、地主共も知らぬ顔はしていない。駅まで十間道路を拵えてくれる。三越へ買物に行っても、
「届けて貰いたいんだが、少し遠いんでね」
 なぞと遠慮するにも当らなくなる。それで市内から同類を呼び集めるのが目下の急務だ。宣伝第一。好いところに輪をかけて各自及ぶ限り勧誘する申し合わせになっている。この故に郊外の友人を訪ねると、先ず聞かされることは空気と眺望の好い話で、それから後は必ず、
「何うです?越てお出でになりませんか?地面は未だいくらも明いていますよ」
 と来る。
 しかし生命財産に関係のあることは一言して置かないと公明正大を欠く。
「君に勧められてこんなところへ越して来たばっかりに、見給え、妻を強盗に殺されてしまった」
 なぞと後から苦情を申し込まれては困るから、山岸君も周囲の物騒なことは告白している。元来都会の雑沓を遁れて田園の閑寂を味うのが少なくとも表面の動機だったから、文化村の淋しいのは覚悟の前だが、物事には程度がある。昼間は申分ないけれども、坪四銭という地代の真価が夜分に現れる。駅へ遠く大道から外れている為め、九時過ぎると人通りが絶える。それから後が兎角無用心で、大抵の家は引越し早々泥棒に見舞われている。こんなところだからと思って油断もあるのだろう。尤も金持が少ないと見えて、二十円以上取られたという話は聞かない。主に品物を持って行く。居直りが一度あったそうだ。東京から終電車でやって来て、一晩稼いで朝の一番で帰るのらしい。これは沿線到るところ然うだとある。交通便利、駅から十分という宣伝が先ず泥棒の方に徹底するのである。
「今度は家の番よ」
 と言って、山岸夫人は怯えている。
「何あに、一度入れば免疫になるそうだから」
 と山岸君は世間並みに一度丈けは覚悟している。
「免疫なことはないわ。塚田さんのところは三度目だそうですよ」
「チブスだって二度も三度もする人がある」
「真正に厭やね。持ち合わせのない時にでも入られると困りますわ」
「泥棒にまで見栄を張るのかい?」
「泥棒なら宜いけれど強盗よ。強盗なら、真正になくても、ないじゃ通りませんよ。それだから私、十円丈けは始終肌身につけていますわ」
 と細君は笑いながら出して見せた。
「用心が好いんだね。幸子や、俺は強盗が羨ましいよ」
「何故?」
「実は俸給日前でもう小遣がないんだ」
「厭やですよ」
「文句をいわないで出せ」
「いけませんよ」
「貸しておくれ。利息をつけて返す」
「私も命が大切ですからね。迚も駄目よ」
「泥棒って厄介な奴だなあ」
 と山岸君は入られない中から迷惑している。

作品紹介

「文化村の喜劇」は、大正15年7月号〜12月号にかけて「主婦之友」に連載された中篇小説です。

日本において、雇い人が増え、職住分離が進み始めるのが大正時代でした。その雇い人の中身は、新聞記者、会社員、官吏、学校教師などで、財産こそ無いけれども有識者層であり、経済発展の担い手でした。彼らの住居を提供すべく、大正後半から昭和前半まで、いわゆる郊外住宅地の開発が進みました。

その代表が田園調布であり、成城なのですが、その他にも「文化村」と呼ばれる街並みが幾つか作られました。有名なのが落合文化村と荻窪文化村でした。これらが文化村と呼ばれたのは、文化人が数多く住んでいたからですが、本編の「文化村」は、文化住宅が建ち並んでいる郊外住宅地ぐらいの意味合いで使われているようです。

しかし、郊外住宅地は明らかにモダンの象徴でした。作品の舞台たる文化村は、駅から公称10分、山岸夫人に言わせれば急いで20分の不便の地ではありますが、大正末期でありながら、電化生活という非常にモダンな環境にあります。佐々木邦は、この文化村を「無産有識者階級の人達の村、無産であることは間違いないが、有識の方は保証出来ない。兎に角趣味性の著しく発達した手合ばかりらしく、建物が一軒一軒頗る気紛れな格好をしている」と皮肉っています。

ストーリーは、そんな文化村に住む山岸君夫妻を中心とした、ご近所の人々の交流記で、佐々木邦お得意のもの。こまごまとしたエピソードで綴られますが、小さなくすぐりが、あちらこちらに仕掛けられていて、どたばた風の作品となっています。

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