凡人伝

さわりの紹介

 「時に河原君、君は明治学園が気に入りましたか?」
 と安部君は話題を更えた。
 「ええ」
 「良い学校でしょう」
 「申分ないんですが、一つ案外に感じたことがあります」
 「何ですか?」
 「ミッション・スクールだから、生徒は皆信者だろうと思っていたら然うじゃないんですもの」
 と私は元来怪しげな信仰を如何にも確実のように衒った。考えて見れば、馬鹿なものだった。
 「それは仕方がありませんよ。誰でも入れるんですから」
 「ミッション・スクールなら、もっと信仰を勧めれば宜いでしょう。もっと伝道的に」
 「チャペルでやる礼拝がその積りですよ」
 「あんなことじゃ求道者は出ますまい?」
 「さあ」
 「洗礼を志願するものがあるんですか?」
 「ありますよ。僕なんか然うでした。それから日曜には朝晩説教があります」
 「誰がやるんですか?」
 「ジョンソン博士です。晩は他の人ですけど」
 「早く聴きたいものですな」
 「明後日あります。一緒に行きましょう。女学園と一緒です」
 「女学生が来るんですか?」
 「ええ。僕達は右側に坐ります。女学園の連中は左側です。それで面白いんですよ」
 「何ですか?」
 「皆女学生の方を見るんです」
 「説教中にですか?」
 「ええ」
 「それは不都合千万だ」
 「ハッハハッハ」
 「叱られるでしょう?」
 「何あに、時計が左側の壁にかけてあるものですから、それを見る風をして誤魔化します」
 「狡いんですね」
 「これを『左向け』と言っています」
 「成程」
 「皆左向けばかりするものですから、いつかジョンソン博士がチャペルで冷やかしましたよ。『皆さんの首、少し左へ曲がる癖出来ました。その道理、何でありますか?』って」
 「ハッハハッハ」
 「皆やっているんですよ」
 「しかし皆信者でしょう?」
 「信者には限りません。生徒ですから」
 「中学部も神学部も出るんですね?」
 「ええ。神学生が一番左向けをします」
 「これは驚いた」
 「アメリカあたりじゃ皆然うですって」
 「然う言えば、君も少し左へ曲がっていますよ」
 「ハッハハッハ。僕は大丈夫です」
 と安部君は否定した。

薀蓄

 本作品は、佐々木邦の自伝的色彩が強い小説。昭和4年4月から昭和5年4月にかけて「雄弁」に連載された。10人の子沢山で、三つの学校の講師を掛け持ちし、夜は内職で受験参考書を執筆するという英語教師の「私」こと河原友一が、回想形式で、子供時代からの半生を語り、自ら「凡人伝」と題して世人に示すというスタイル。

 佐々木邦は明治学院の出身である。本作の明治学園を書き出しで、
『私達の母校明治学園は字音、「飯が食えん」に通じる。』
と書いているが、この当たりからして、自伝的である。
 「凡人」の主人公「私」は、静岡県の○○村の出身で、父親は小学校の校長。品行方正・学術優等の尋常科4年・高等科4年を過ごした。でも優等生は仲間から疎外される。父親を信者にしようと尋ねて来た牧師に、その疎外感を訴えると、「悔い改めて、神を信じなさい」という。結局この牧師に私淑して、明治学園に進学することを夢見る。
 高等科を卒業すると隣町に中学校が出来、そこに進学する。出来立ての中学校なので、新入生といえども15歳から20歳まで色々な人がいる。このとき、年齢が上の長谷川さんや小松さん、北村さんと仲良くなる。
 中学校卒業後、「私」は念願の「明治学園」に入学する。ここでは後の教師・立花君、後の実業家・赤羽君、後の牧師・安部君、後の保険屋・野崎君、吉田君などと同級になる。当時の明治学園高等部は毎年数人の新入生しかなくて、「私」の同級生も合計9人。その内二人が途中で退学するので7人となる。この7人の高校生活の様子が本作品の白眉である。

 時代は丁度日露戦争。その時期の学生生活を描いた作品としては、漱石の「三四郎」があるし、藤村の「桜の実の熟する時」はもう一世代前の明治学院の生活が描かれているわけだが、本書は、戦争期のミッション・スクールでの学園生活と云う意味で特徴的である。

 私は、卒業後やっとのことで九州の中学校の英語教師の職を見つけ、同僚の老河原先生と出会い、その娘、操を娶る。
 10で神童、15で才子、20過ぎれば、という言葉の通り、アイロニカルな作品である。

 佐々木邦の作品のトーンは、一般に明るさに貫かれているのだが、本作品は、トーンにペーソスが溢れ、その意味でも異色作だと思う。

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