美人自叙伝

さわりの紹介

 「姉さん」
 「何ですか?」
 「実は僕、姉さんに内々申し上げて、力になって戴きたいことがあるんです」
 「御心配には及びませんよ。私、呑み込んでいますから」
 「何だかお分かりですか?」
 「ええ、なるべく沢山分けて戴こうってんでしょう?」
 「それも無論ありますが・・・・」
 「何あに?それじゃ」
 「・・・・・・・」
 「何よ?常次郎さん」
 「一寸申し上げ悪いんです」
 と常次郎さんはモジモジしています。
 「家で現代青年の心理状態を理解してくれるのは姉さん丈けです」
 「それはお母さんとは違いますよ」
 「お母さんやお父さんには直接申し上げられないことです」
 「常次郎さん」
 「はあ」
 「あなた、恋愛問題じゃなくて?」
 「・・・・・・・」
 「恋愛問題でしょう?」
 「はあ。然うです」
 「構いませんわ。若い中ですもの」
 と私は好い姉さんでございましょう? 斯ういう問題になると、親身の姉は却っていけません。
 「・・・・・・・」
 「早速小百合でしたわね」
 「姉さん、僕、真剣です。真面目になって相談に乗ってください」
 「乗りますけれど、相手次第ですわ。銀座あたりの小百合なら御免蒙りますよ」
 「大丈夫です。僕だって考えています」
 「何んな人?」
 「姉さんの妹として恥かしくない人の積りです」
 「何処の人?」
 「綿文の娘です」
 「まあ!」
 「姉さん、御存知ですか?」
 「いいえ」
 「少し面目無いんですけれど」
 と常次郎さんは真っ赤になりました。
 「河岸向こうなのに何うして御交際が始まりましたの?」
 と私は意外でもあり、思い当るところもございました。
 「隣へ始終来ますから」
 「あなたはお隣りへ上るんですか?」
 「いいえ」
 「それなら何処でお目にかかりますの?」
 「さあ」
 「兎に角、御交際していらっしゃるんでしょう?」
 「はあ」
 「何んな程度の御交際?」
 「主に文通です」
 「お会いになることはありませんの?」
 「あります」
 「何処で?」
 「三越の屋上です」
 「あすこなら公明正大でいいわ」
 「はあ」
 と常次郎さんは一々恐縮しています。

薀蓄

 『美人自叙伝』は、昭和5年(1930年)1月号から12月号まで「婦人倶楽部」に連載された作品です。佐々木邦は「婦人倶楽部」に、その前年「嫁取婿取」を連載し、好評を博しました。「嫁取婿取」は、普通のサラリーマン家庭の子女の結婚問題をユーモラスに描いたもので、「婦人倶楽部」の読者に共感をもって迎えられたものと思います。一方、『美人自叙伝』は、山の手の美貌の令嬢が、下町の商家に嫁ぎ、持ち前の美貌と明るさで奮闘する、という内容です。語りの形式が、主人公の富美子さんが直接読者に語りかける形式であるため、富美子さんの鼻持ちならない部分もよく出ており、読者の評判は必ずしもよくなかったのではないかと思います。

 さて、主人公の富美子さんは数え年26歳。結婚後6年になりますが、子供がいないせいもあって、若々しく、何処にいっても20で通る美貌の持ち主です。彼女は、自分の美貌に絶対の自信を持っていますが、幼少のときから、美人と言われつづけ、現在は、主人の常太郎さんが首ったけなので、その自信が揺らぐことはありません。山の手の高級官吏の令嬢と、下町の鰹節問屋の若旦那との接点は、震災の際避難した若旦那が、富美子さんを見初めたことにあります。常太郎さんも二枚目の良い男で、富美子さんは、家風の全く違う下町の商家に嫁いだわけです。

 富美子さんは、子供が出来ないことや、その他の日常の立ち居振舞いで、姑さんから嫌味をいわれます。でもお姑さんには笑顔で対応して、旦那さんに苦情を言います。常太郎さんは富美子さんに首ったけなので、富美子さんの苦情を受けとめます。一方で、下の弟の常三郎さんが落第しそうになった時は、先生の家に乗りこんでお願いしますし、上の弟の常次郎さんの恋愛問題では、それが成就するように働きます。下町の商家の嫁として十分な働きをします。

 このように富美子さんは、陽気でウィットに富み、センスも良いのですが、美貌が鼻にかかり、夫に対してはかなりワガママです。しかし、文化の違う、古いしきたりも多い商家にありながら、周囲と上手くやりつつ、その個性を存分に発揮します。昭和5年当時、女性は決して強い存在ではありませんでしたから、「美貌、理解ある夫」といった条件を付与することにより、富美子さんという自由闊達な個性をもったスーパーレディを創作したものと思います。この主人公を創出することによって古い因習を笑おうとする佐々木邦の意識があったのかもしれません。

 この作品は、連載中の昭和5年には新派によって劇化され、水谷八重子の富美子、花柳章太郎の常太郎という配役で、帝国劇場で上演されました。映画化は新興キネマで1936年9月封切。監督が青山三郎、脚本が陶山密、主要な配役は富美子が毛利峰子、常太郎が立松晃、鰹問屋沢常の主人常右衛門が大井正夫、お姑さんのお勝が田中筆子でした。

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